平城宮跡
2015年6月28日日曜日
16:46
一日目最後の目的地は、平城宮跡。唐招提寺からコインパーキングに戻り、車で10分。
駐車場入口があんなに広いとは思わず、スルーしてしまった。Uターンして入り直す。そういや“せんとくん”で盛り上がってた頃に、スゴい力注いで作ったんだっけ。
入るときに警備員さんから、17時までには出るように言われた。そんな2時間もいるつもりはないよ~。
先に停まってた車の数は、駐車場の広さからすれば、非常に少ない。早くも廃れてきてんのかな。
平城宮跡といえば、言わずと知れた、710年の遷都でこの国の首都だった場所。なんと立派な平城京、ってね。
ここが、前日観たブラタモリ情報が役立った所のひとつだ。
まず朱雀大路。
幅約50メートルあるが、当初はさらに西側に20メートルほど広かったという。自動車の無い時代に、なぜこんなに広い道を作ったのか。それは、海外からやって来る使節を迎えるのに、見栄を張りたかったんだと。
昔の人はデカイ高い大きいが大好きって言ってたけど、天皇の住み処の前の道が狭かったら、外国にナメられるって思ったんだろうなぁ。
朱雀門は近年の復興。
ここをくぐれば都の中だ。
しかしそこには、だだっ広いグラウンドがあるだけ。メチャクチャ無駄なように感じるのだけど、宮跡ってだけで何か意味があるのかな……。ただの公園にしか見えない。
その都の敷地内を、近鉄奈良線の線路が横切ってる。テレビでもやってたけど、なかなかおかしな光景。
平城京からまた遷都があり、するとかつて都だったここら一帯は、千年間田畑に変わってしまった。そこへ近鉄の前身である大阪電気軌道が線路を引いた。その後、国から特別史跡に指定され、要所要所が復元されていき、現在のような姿に……ということらしい。
線路などの移設が検討されてはいるらしいけど。
敷地内の踏切を渡る。変な感じ。
せっかくだから、第一次
大極殿は大きさも形も推定から復元したらしく、実物がどのようだったかは定かでない。そう聞くと、有り難みが無いねぇ。
その新しさが良く判るのが、階段部分。復元した上に緩やかな鉄階段を載せてある。下が歴史ある石段なら、まずこんな傷めるような真似はしないはず。なんだかな~。
中は、復興工事のようすが描かれたパネルやら何やらの、展示室になってた。外枠だけ立派で、完全にイベントスペースなのね。少々興ざめ。
大極殿を出て、駐車場のほうへ。
その途中にもブラタモリ情報が活きる。興福寺は平城京を見下ろせる高台に建てられたという。
東を向くと、興福寺こそ見えないが、東大寺大仏殿の屋根が確かに見えた。つまりそちら側が高台にあるってこと。だいたい4キロ弱離れてるみたいなので、知らなかったらちょっと見つけるの難しいと思う。
普通の観光とは違った目線で楽しめて、結構面白い。
一応行ってきたというだけで終わってしまった。基本的に何も無い所のせいか、奈良時代によほどロマンを感じる人でないと、感動は薄いのかも知れないな。