日別朝夕大御饌祭を見学

2024年5月23日木曜日 16:03
日別朝夕大御饌祭ひごとあさゆうおおみけさいは、外宮げくうの鎮座由緒に基づく神事で、朝夕の二度、神宮の神々にお食事をお供えする。この神事を、ほんの一部だけど参拝者も見学できるというので、時間と場所を調べて行ってきたよ!

この毎日の御神饌を奉る神事は、平安前期に外宮の禰宜ねぎらが神祇官じんぎかんへ提出した報告書『止由気宮儀式帳とゆけぐうぎしきちょう(延暦二十三年(804))』に、「二所大神朝御饌夕御饌供奉行事」として詳しく次第が載っている。抄訳を挙げておこう。
供膳物。
アマテラス大神の御前に、御水四毛比もひ、御飯二八具、御塩四つき、御贄等。
トユケの大神の御前に、御水四毛比、御飯二八具、御塩四坏、御贄等。
相殿神の三前に、御水六毛比、御飯三八具、御塩六坏、御贄等。
御田の稲を神嘗祭かんなめのまつり(外宮九月十五日・内宮九月十六日)に供奉し、その後は次の年の九月十四日まで、毎日二度、炊いて献上する。
内宮の御祭神であるアマテラス大神と、外宮のトユケ(トヨウケ)大神、外宮の相殿神3柱に対して捧げられる、御神饌の内訳や数量などがわかる。これとは別に、神嘗祭かんなめのまつり月次祭つきなみのまつりでは「由貴大御饌ゆきのおおみけ」が供される。日常のお食事とは違い、重要なお祭りでは晴れの日のお料理をお出しするということだろうね。
現行祭儀では、アマテラス・トヨウケビメ・外宮相殿神に加え、内宮相殿神・諸別宮の神々に至るまで、すべて御饌殿において供進することとなっている。

そもそも外宮の由来として、
アマテラス大神が、御食事の世話をする神として、トユケの大神をそばに置きたいとお望みになり、度会わたらいの山田原に宮を定めて御饌殿みけどの(神饌を調える所)を造り、アマテラス大神の朝夕の御食事を日々お供えするようになった。
ことが、『止由気宮儀式帳』に記されている。外宮のはじまりは、アマテラスのための御饌殿みけどのだったわけだ。このことから、日別朝夕大御饌祭の意義の重さも理解できるというもの。

明治期の神宮大改正により、時刻が規定され、祭儀も改められたようだ。
4~9月は朝8時・夕16時、10~3月は朝9時・夕15時。
と定められているけど、あくまで目安。特に夕は実態として30分前後早く、4~9月は朝7:50~8:20頃・夕15:10~15:40頃、10~3月は朝8:50~9:20頃・夕14:10~14:40頃、と余裕をみたほうが良さそうだ。なお、この日(5月)の夕の大御饌のために神職さんが参道を横切られた時刻は、15:10だった。
見学できる場所は、外宮の裏参道、御厩みうまやを過ぎて北御門きたみかど口鳥居をくぐった先にある、忌火屋殿いみびやでんの辺り。
詳しい内容は、以下日記の中で述べていこう。

さて、ひとつ予定の先食いに成功した僕らは、外宮参拝の前に、ホテルにチェックインすることにした。この日の宿泊先は、外宮にほど近いコンフォートホテル伊勢。敷地内駐車場が少ないのが難点だけど、14時過ぎとあってさすがにまだまだ空きがある。公式サイトから予約すると、14時からチェックイン可能なんだよ。この系列の利用は初めてなので、フロントで説明を受けつつ手続きを済ませた。部屋番号が1111のゾロ目で、なんか嬉しい。
部屋に荷物を置いたら、再出発。今にも雨が降り出しそうな空模様だから、リュックに折り畳み傘を忍ばせた。雨儀うぎになったらなったで、和傘を差した神職さんの姿も趣があって良いから、どっちでも構わない。JR伊勢市駅から延びる外宮参道を歩くと、懐かしさが込み上げてくる。外宮入口に着いたら、外宮第1駐車場の脇を抜けて、北御門口へ。

火除橋ひよけばしを渡って裏参道を進むと、御厩の前に人だかりができていた。お、神馬しんめがいるんだ。運が良い。「豊受大神宮御料御馬 笑智えみとも号」と書かれた札があり、その名が判った。芦毛が美しいね。

それから鳥居を抜けて、西側に建つ忌火屋殿を確認。ロープが張られ、入れないようになっている。

反対側にもロープがあり、参拝者は立ち入れない奥に、道が続いている。祭典の前夜に神職さんが参篭するという、外宮斎館さいかんまで繋がっているはずだ。

僕らは、忌火屋殿側の灯篭の前で待機することにした。ここからだと、忌火屋殿の前庭まで見やすいからね。
時刻には早すぎるくらいだったけど、どうしても見逃したくなくて。嫁とおしゃべりするなどして、暇をつぶす。するとふいに、ヒヒーンと笑智号のいななきが聞こえてきた。馬の鳴き声、初めて耳にした。
しばらくすると、衛士えしさんが現れた。日別朝夕大御饌祭ですか?と尋ねられたので、はいと応じると、ここまで近づいても大丈夫ですよと示された。とても親切にしてくださるんだなぁ。でも、ここでいい、いや、ここがいいんだ。
同じ目的と思しき男女がやってきて、自分たちとは離れた位置で待ち始めた。参詣を終えて帰る人たちは、佇む僕らを不思議そうに眺めながら通り過ぎていった。
一方で見学を希望する人は、ひと組、またひと組と、15時が近づくにつれ増えていく。彼らよりちょっと後ろにいた僕たちは、長い間じっとしていたからか、蚊に刺されてしまった。それでも付き合ってくれた嫁に感謝。

先ほどの衛士さんがあのロープを外すと、いよいよ斎服に身を包んだ3名の神職さんたちが、前衛の衛士さんに守られながら歩いてこられた。

ここからは祭式を参考に、何が行われているのか確かめつつ見ていこう。禰宜さん・権禰宜ごんのねぎさん・宮掌くじょうさんの順に参進する。宮掌さんは御鑰みかぎをささげ持つ。宮掌という神職は聞き慣れないけど、権禰宜の下に置かれる位らしい。逆L字形をした御鑰は、御扉を開けるためのカギだ。この場合、御饌殿のカギだろうね。

次に、忌火屋殿の前庭である祓所はらえどに並んで立つ。禰宜さんは西面し、権禰宜さんと宮掌さんは北上してから東面する。禰宜さんは柵の隙間からしか窺えないけど、権禰宜さんたちは良く見える。
これに先だって、御神饌を納めた辛櫃からひつを祓所にて担ぎ座る。死角になっている北側には、辛櫃とそれを運ぶための出仕さん2名がおられるはず。

続いて、権禰宜さんと宮掌さんが向き合って、宮掌さんから権禰宜さんへ御鑰が手渡された。

次に、宮掌さんは御塩を取って、御神饌と諸員を清める。この間、権禰宜さんは御鑰をささげ持つことになっているため、先ほど渡されたということね。手ぶらになった宮掌さんが北へ向かったのは、御塩を取りに行ったのか。禰宜さん、権禰宜さんとご自分、出仕さんの順に、御塩をまいて清めるようだ。

次に、辛櫃を担ぎ立って板垣北御門より参進する。禰宜さんは前を行き警蹕けいひつをし、権禰宜さんは付き従い、宮掌さんはその後に従って行く。警蹕は声を立てて先払いすること。その声は聞こえなかったけど、禰宜さんを先頭に、辛櫃を担いだ出仕さんが続き、その後ろを権禰宜さんと宮掌さんがついていかれていた。この位置から見えるのは、そこまで。

裏参道を少しだけ南に進むと、御饌殿の屋根とその北を通る道が見える。あの向こうに板垣北御門があるので、そちらへ神職さんたちが向かわれるところが、ここからなら見えたはずだね。

その後の祭典は、参拝者からは見えない御饌殿にて催される。祭式によれば、禰宜さんによって御扉が開かれ、御神饌が御神前に供され、祝詞が奏上されたのち、御神饌が撤される。
祝詞は長いので全部は引用しないけど、皇室のご安泰に続き、
百官人等もものつかさのひとたち天下四方国あめのしたよものくに公民おおみたからに至るまで長くたいらかく護恵まもりめぐさきわいたまい
とあり、天下万民の幸福を祈るものだ。これが毎日二度捧げられているのだから、有り難い話だよねぇ。

ちなみにお供えされる御水は、立入禁止区域内の上御井神社かみのみいじんじゃにて汲まれるらしい。そちらに不都合が生じた場合は、下御井神社しものみいじんじゃから頂くとか。下御井神社は別宮べつぐう土宮つちのみやの奥にあり、こちらは参拝可能。

見守る見学者たちも終始無言で、神職さんの歩く玉砂利の音だけが響いていた。居合わせた人はみな、その森厳な空気に触れたんだと思う。外宮域内というだけでも十分背筋が伸びるんだけど、それにも増して犯しがたい気配を感じたというか。
あちこち神社詣でをするなかで、祝詞を聞いたり神楽を見たりする機会はあったけど、それらともまた違う貴重な経験をさせていただいたなぁ。嫁と二人、しみじみ噛み締めたよ。

【参考文献】
神宮司庁『神宮要綱』神宮司庁,1928年

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