吉野山の大海人皇子伝説を巡る

2022年11月11日金曜日 12:16
病床の天智天皇からの譲位を辞退し、大海人皇子(のちの天武天皇)が吉野に隠遁したという歴史から、吉野山を舞台にした伝承が語られている。それが勝手神社かってじんじゃであり、大日寺だいにちじであり、櫻本坊さくらもとぼうである。
2022年は壬申の乱1350年の節目。大海人皇子伝説を巡ってみるのも面白い。

勝手神社の社殿後方の袖振山ふりそでやまは、大海人皇子が宮で琴を奏でたとき、天女が袖を翻して舞った山と伝えられている。
10世紀頃成立の『本朝月令』は、全4巻のうち現存するのが第2巻のみだが、他文献に引用される形で一部が伝わっている。天武が天女に出会う伝承は、『年中行事秘抄』の11月の五節舞姫の事の由来を語るのに、「本朝月令云」として引かれている。
五節舞姫者、浄御原天皇之所製也。相伝云、天皇御吉野宮、日暮弾琴有興。試楽之間、前岫之下、雲気忽起、疑如高唐神女、彷彿応曲而舞。独入天矚、他人無見、挙袖五変。故謂之五節云々。其歌曰、乎度綿度茂、遠度綿左備須茂、可良多万乎、多茂度迩麻岐底、乎度綿左備須茂。
(五節舞姫は天武天皇が作られたものである。伝わるところによると、天武天皇が吉野宮で、日暮れに琴を弾いていた。音楽の途中、目の前の峰の下に雲がたちまち起こり、高唐のような神女が現れ、曲に合わせて袖を振り舞を踊った~後略~)
と。吉野山の伝承としては、かなり古い部類に入る。
最近の発掘調査で、「吉野宮」は宮滝遺跡とされているため、その後方の山が舞台ということになり、勝手神社ではないことになる。しかし、江戸末期の『大和国国軸山金峯山寺由緒略記』にもほぼ同じ説話が、勝手神社の袖振山の由来として載っており、いつの頃からか、吉野山中に「吉野宮」があると考えられるようになり、天女伝説も吉野山で語られるようになったものか。
天女云々はさておき、「五節舞姫は天武天皇が作られた」というのは、続日本紀・天平十五年五月癸夘(5日)条に橘諸兄の言として載っており、史実と考えて良さそうだ。

大日寺の前身とされる日雄寺と、櫻本坊の縁起は、同じ文書の中に残されている。
天保年代成立とみられる『日雄寺継統記』の天智十年十月廿日の条に、
云、明日帝、詔角乗、昨夜夢甚奇異。其言曰、当山開花、一時如春三月、果朝且見庭上、桜樹一木咲乱如春。時角乗、具聞夢事、祝日為天下一党之主君取、其栄如春華開。帝感激弥深褒之、日雄殿賜寺号並御衣加之。詔長男光景為日雄主、次男為出家坊屋建立。名号桜本坊者也。
(天武天皇が、「昨夜とても不思議な夢を見た」と(役行者の弟子の)角乗におっしゃった。そのお言葉は、この山にまるで春のように花が開いて、翌朝庭を見ると、一本の桜が咲き乱れていた、と。夢のことをつぶさに聞いた角乗は、「主君が天下をお取りになり、その繁栄が春に花が開くようだという吉兆でしょう」と答えた。天皇は大変感激し、日雄殿との寺号と、お着物を下賜された。そして、角乗の長男・光景を日雄の住職とし、次男を出家させ寺院を建立し、寺の名を桜本坊と称した)
とある。
『日雄寺継統記』は、江戸後期の文献とかなり時代が下り、しかも「日雄寺」なる寺が、そもそもこの文献にしか見えない上に、出典不明と、取扱注意な伝承ではあるんだけど。「大日寺の前身が日雄寺である」というのも、典拠を見つけられなかった。

さて、金峯山寺で蔵王権現を拝んだ僕らは、そのまま中千本エリアを上った。勝手神社が角にある分かれ道に、大日寺の案内が。その脇の道を下った先にあるようだ。下るということは、あとで上るんだよね……と嫁も浮かない顔。がんばろう。


お地蔵さまの前を過ぎ、現れたひっそりと控えめな山門を、一礼してくぐる。
本殿の戸は施錠されている。戸の横に、御用の方は呼んでほしい旨が貼り出されていたので、お声をかけてみたものの、お返事が無い。というより、人の気配がしない。おおっと、詰んだか。せっかく来たのに残念……。
と、仕方なく立ち去ろうとしたところ、お地蔵さまにさっと合掌した女性とすれ違った。もしかしてと思い、境内へと舞い戻ってお尋ねしてみたら、開けてくださるとのこと。うわ~、お会いできて良かった~。秋とはいえ、平日では参拝客がほとんどいないのだろうか。拝観料を納め、中へ。


本堂には五智ごち如来が並ぶ。五智とは大日如来に備わる5種の知恵の意で、大日・阿閦あしゅく宝生ほうしょう無量寿むりょうじゅ不空成就ふくうじょうじゅの5体の総称が、五智如来。藤原時代とみられる5体が揃っているのは、大変珍しいのだとか。
それにしても、しんと静まり返った堂内で、お寺の方に見守られながらの拝観は、妙に緊張する。嫁との会話も、自然と小声になる。仏さまのお姿を拝めたし、嫁が特に惹かれているようで、良かったんだけどね。
お礼を言って、山道を戻った。大海人皇子ゆかりではあるけど、それらしいものは見当たらなかったなぁ。


続いて勝手神社。「社殿後方の山」と紹介したものの、その社殿が無い。2001年に不審火で焼失したそうだ。なんてこった。
賽銭箱があったので、そこから拝礼はすることにした。本殿が無い神社自体は珍しくない。ちょっと事情が違うけど。


跡地奥にあるこんもりした所が、袖振山。山という言葉から、想像していたものよりも小さいなぁ。でも、これならステージっぽくて、天女が舞い踊れそうだ。

そこからさらに上千本エリアまで歩く。すっかり人通りも車通りも減って、これなら車で行っても良かったなと。結果論だけど。吉野山中は、道路が狭い割には車の数が多くて大変だから、敬遠したんだよ。


そうしてようやく櫻本坊に到着。たった500m程だけど、上り坂だから結構かかる。
「天武天皇」と書かれた幟が何本も立っていた。奉納者の名も添えられていたから、そういうことか。出迎不動さまを眺めつつ階段を上る。


境内には夢見の桜。大海人皇子が夢に見たというあの桜を、継承しているという。本当に冬に咲いたら凄いだろうな。
拝観受付を済ませ、靴を脱いで上がる。大講堂、大師堂、聖天堂、本堂と回る形になっていた。弘法大師像や地蔵菩薩坐像、役行者倚像、秋葉大権現像などを順に拝んでいく。
白鳳時代の重文で、天武天皇のご念持仏と伝わる釈迦如来坐像は秘仏で、観桜期にしか拝観できない。宝聚堂に安置されているようだ。
大海人皇子所縁という以上に、役行者、修験道の色が濃いお寺だなぁ。由緒からして役行者の高弟が関わっているから、当然といえば当然なんだけど。

次の目的地には車で行くことにしたので、一旦駐車場まで頑張って戻る。金峯山寺を過ぎると、人も車もやはり増えてきた。


ほぼ戻ってきたところで休憩。『葛の元祖 八十吉』花山店へ。Twitterのフォロワーさんの呟きを見て、今度吉野に行ったら食べてみたいと思っていたんだ。
お昼どきの甘味処とあってか、ガラガラの店内の窓際の席で、ゆったりできた。二人とも、くずきり吉野天人お抹茶付を選んだんだけど、とっても美味しい!もちもちとした食感と喉越しが良くて、いくらでも食べられそう。それと、添えてあった和三盆糖みたいな小っちゃいお菓子、なんか知らんけど美味しいなこれくらいで食べちゃったけど、生葛菓子という店内でしか味わえない珍しいものだと、あとで知った。次の機会にはもっと噛み締めよう。でも美味しいものは美味しい。

いくら舗装されていても、吉野山散策はやはり登山だなぁ。嫁にはちょっと大変な思いをさせてしまったけど、お陰で気になっていた伝承地に足を運べたよ。ありがとう。

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