比婆山久米神社とイザナミの御神陵

2022年11月6日日曜日 14:15

比婆山久米神社ひばやまくめじんじゃは、島根県安来市にある神社。イザナミを主祭神とし、比婆山山頂にはイザナミの御神陵とされる塚がある。古事記と照らしても、相応しいと考えられる場所にある、日本の国土を生んだ神さまのお墓!大好きなイザナミちゃんのお墓!いつかはお参りしたいと願っていたので、望みを叶えてきたよ!

まず、比婆山久米神社に関連すると考えられる、文献の記述を引用しておきたい。
古事記に、
故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲国与伯伎国堺比婆之山也。
(それで、亡くなったイザナミは、出雲国いずものくに伯伎国ほうきのくにの境の比婆ひばの山に葬った)
日本書紀の神代上・第五段・第五の一書に、
伊弉冊尊、生火神時、被灼而神退去矣。故葬於紀伊国熊野之有馬村焉。
(イザナミは火の神を生む時に、焼かれて亡くなった。それで、紀伊国きのくにの熊野の有馬村ありまのむらに葬った)
同じく第十の一書に、
時伊弉諾尊亦慙焉。因将出返。于時、不直黙帰、而盟之曰、族離。又曰、不負於族。乃所唾之神、号曰速玉之男。次掃之神、号泉津事解之男。凡二神矣。
(イザナギはまた恥ずかしいと思ったので、出て帰ろうとした。その時、ただ黙って帰らないで誓って言うには、「離婚しよう」と。また、「お前には負けないつもりだ」と言った。そして吐いた唾から生まれた神を名付けて、ハヤタマノオという。次に掃いて(関係を断って)生まれた神を、ヨモツコトサカノオと名付けた。全部で二柱の神である)
江戸中期の松江藩士である黒澤長尚が完成させた地誌『雲陽誌うんようし』の能義郡・橫屋の条に、
岑山三所権現。伊弉册尊・速玉男命・事解男命をまつる。本社三間拝殿仁王門あり。里俗遺嶽山金剛宝寺といふ。文永三年、紀伊国熊野神を此所に勧請す。
江戸後期の国学者であり商人の渡部彝わたなべつねの著した『出雲神社巡拝記』の能義郡の条に、
横屋村〈ひば山〉熊野神社〈記云〉久米社〈式云〉久米神社〈祭神〉いざなみの命・はやたまのをの命・よもつひらさかのをの命。当所は格別の神跡也。古書にいざなみの命は出雲と伯伎の堺、ひば山にほふむると有所にて~中略~山の上や平なる地に、径四五丈斗と見ゆる程の塚の如く小高き所有て、石のいがき周らしたり。是なんいざなみの命の御陵と云。
ここまでを整理しておこう。
比婆山と称する山は広島県庄原市にもあるけど、「出雲国と伯伎国の境」の条件を満たすのは、現在の島根県安来市。
別伝承では、現在の三重県熊野市有馬町に葬られたことになっている。久米くめくまに通じ、ここ出雲国の比婆山に紀伊国の熊野神を勧請したとの記録もあり、この2つの地の複雑な関係を窺わせる。あるいは伝承の混同があったのか。
比婆山久米神社の配祀神であるハヤタマノオ・ヨモツコトサカノオは、イザナミがイザナギと離縁する際に生まれた神ということになる。
また、江戸時代には頂上の塚を、イザナミの御陵と考えるようになっていた。

道の駅あらエッサで昼食をしっかり摂った僕らは、山陰本線の踏切を渡り、米子伯太線を南下。安来伯太日南線にぶつかってもさらに南へ進んでいくと、比婆山久米神社の駐車場に着いた。先客が2台。そこそこ有名だし神在月の日曜だし、あり得るかなとは思っていた。


参道の入口には由緒書きの案内板が立ち、その奥には伯太川はくたがわに架かる宮前橋が。


神域との境界に川が流れている例は多いけど、ここは瀬音が耳に心地よく、とても清々しい。


鳥居から拝殿と本殿の屋根。頂上の奥宮に対し、ここは里宮と呼ばれる。


出雲地方では典型的な、構え獅子。鮮やかな黄色に染まったイチョウが美しい。
惚れ惚れと眺めているとそこへ、作業服の男性が現れるや、拝殿に一礼して登山口に消えていった。仕事で来られているのか何なのか判らないけど、きちんとした姿に感動しちゃったよ。


僕たちもこれから奥宮に行くけど、ひとまず拝殿にてお参り。本殿を通じて遥拝する形になる。


神明造の本殿は、静かな佇まい。


比婆山には横屋よこや参道、清水掻こりかき参道、峠之内たわのうち参道の、3つの登山ルートがある。入口の案内板にも書いてあった。「こりかき」に「たわのうち」って、読み方変わってるよなぁ。
里宮の境内から登るのが横屋参道で、途中には鎖場もある最も過酷なルート。トレッキングシューズにレジャーコンパス、地形図、嫁はダブルストックもと、念のため二人ともフル装備をしてきたけど、なにせ時間が惜しい。最短の峠之内参道を選ぶことにした。


里宮から2キロほど南に、峠之内参道口はある。そこへ向かう道中、比婆山の玄武岩柱状節理を確認できた。
西へ折れて厳島神社の前を過ぎると、コンクリート舗装の細い坂道が見えてくる。慎重に上り、比婆山不動の滝の横を通った先に、駐車場らしき空間があったけど、道はまだ続いている。行けるところまで行ってみよう。


すると、舗装の途切れる手前に、車を停めるには十分なスペースがあった。
そこで二人のハイカーが、丁度これから登るところに出くわした。お仲間だろうか。
この先は車は無理だけど、砂防ダムまでは舗装路がまだあった。


最初に出会った山頂までの距離を示す道標は、430m。横屋のほうは1050mだから、その差は歴然だ。


山内のあちこちで見かけた、陰陽竹インヨウチクという珍しい竹。自生しているのは比婆山だけだそうで、島根県の天然記念物に指定されている。笹状の葉の付き方が、一般的なそれとは異なる。


峠之内参道は、妙見峰から御陵峰へ向かうことになる。妙見との名が示すとおり、総持坊跡に、山本坊跡、金剛坊跡と、山中には神仏習合の痕跡がたくさん残されていた。夫婦岩や妙見池、八乙女屋敷跡、ちんちん井戸なんていうものも。


妙見池の脇に、妙見峰のピークを目指す道があった。もちろんそちらへは行かない。
ところで、途上であの作業服の男性とすれ違ったのには、ちょっとビックリした。あちらから登ってこちらへ下りるコースを取ったんだ。にしても速い。


程なくして奥宮に登頂。陽に照らされた社殿が、得も言われぬ素敵な雰囲気……思わず足を止めた。
それにしても、拍子抜けするほどあっさり登れてしまったなぁ。写真を撮りながらのゆっくりで20分。時間的にも体力的にも、有り難い限りだけど。
拝殿の前では、一人の女性が何やら書き物をしているようす。話に聞いていた参拝者用のノートかな。拝殿と向き合う位置にある石には、男性が腰かけていた。連れのようだ。下で見かけたハイカーたちかどうかはわからない。ともあれ、山で会う人には挨拶するのが基本。こんにちはと声をかけた。


奥宮の拝殿でも拝礼。その後ろの本殿は大社造だった。


そして本殿の奥に、石垣を巡らせた塚。これこそが、「伊邪那美大神御神陵」。
古事記にハマって、最初に好きになった神さまがイザナミちゃんだから、手を合わせられてもう、感無量だよ……歴史上の人物ではない、神話の中の神さまのお墓……不思議といえば不思議だよね、でもそれがこうしてここに在るんだよ……たとえ伝承だとしても、ここに在ることに意味があるんだよ……。
御神陵の外を囲う玉垣には、寄進者の名前がびっしり。多くの人々の崇敬を集めていることが、そんなところにも表れている。
拝殿前のイチョウの紅葉が見事で、里宮との奇妙な一致を見せていた。そこに霊威を感じるなんて、だいぶセンチな気分になっているのかな。

満たされた思いを胸に、サクサク下山。計画より前倒しできているし、上々のスタートを切れたね。

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