スクナビコナの粟島神社
2022年11月6日日曜日
15:05
島根旅行といいながら鳥取に寄るのには、もちろん理由がある。今回、国譲り神話ゆかりの地を巡ることも、テーマに含まれるのだ。となれば、前段となる国造り関連も、行きたいというもの。
予定を繰り上げたから、先にスクナビコナがオオクニヌシと別れた場所に行くことになったけど、後で出会った場所にも行くんだ!
というわけでまず、オオクニヌシとスクナビコナの国造り神話について。
古事記では、スクナビコナはオオクニヌシの国造りを手伝っていたが、
然後者、其少名毘古那神者、度于常世国也。という。
(そうした後、そのスクナビコナは、常世の国に渡ってしまった)
日本書紀の神代上・第八段・第六の一書には、
其後少彦名命、行至熊野之御碕。遂適於常世郷矣。亦曰、至淡島、而縁粟茎者、則弾渡而至常世郷矣。と、常世の国への出発地について2説が記されている。
(その後スクナビコナは熊野の岬に行って、ついに常世の郷に行ってしまった。また、淡島 に行って、粟茎によじ登ると、弾かれて常世の郷に渡ってしまったともいう)
釈日本紀に引用された伯耆国風土記の逸文には、
相見郡。郡家西北、有余戸里、有粟島。少日子命蒔粟、莠実離々。載粟弾、渡常世国。故云粟島也。と、日本書紀の後者の記述とほぼ同じ内容。
(相見郡。郡役所の西北に、余戸里があり、そこに粟島がある。スクナビコナが粟を蒔いたら、実が穂一杯に実った。そこで粟に乗ったところ弾かれて、常世の国にまで渡った。それで粟島という)
国境にあったからか、出雲国風土記の
粟島神社の位置する
弓ヶ浜は
夜見の島……と聞くと
上代特殊仮名遣において、「夜」はヨ甲類の音。一方「黄泉」は、古事記に「
つまり、夜見と黄泉を結び付けるのは、適切ではないと考えられるんだよね。“ヨミガエリ”などの混同した考えは、甲音乙音の区別がなくなった、後世のものか。
比婆山を想定よりかなり早く下りることができたので、ひとつくらい予定を繰り上げても良さそうだ。美保関……はちょっと遠いな、じゃあその手前の粟島神社にしよう。来た道をさかのぼり始めていたので、嫁にカーナビを操作してもらった。国道9号線まで戻ったら、今度は北東へ。県境を越えて中海沿いを回り込み、米子境港線を北西へ。
幹線道路に面した駐車場はチェーンで閉ざされていたため、参道脇の駐車場に停めさせてもらった。一の鳥居越しにこんもりした社叢を望む。かつて島だったことを、容易に想像できる姿だね。
説明板には、
粟嶋は標高36mの小山です。かつては中海に浮かぶ小島でしたが、江戸時代中頃、周辺の新田開発のため干拓され、地続きとなりました。と書かれてあった。弓ヶ浜とくっついた直接の原因は干拓だったわけね。とはいえ、砂州が巨大化していったからこそ、繋げることができたんだと思う。
二の鳥居の前に、構え獅子と狛犬。出雲型と呼ばれることもあるけど、山陰地方のスタンダードみたいなんだよね。
その向こうは、187の石段。見上げたら終わりが見えるから、まだ楽なほうじゃないかな。嫁のペースで上がる。
上り切った先の随身門をくぐると、拝殿の前にも狛犬たち。こちらは玉乗りしているし、ずんぐりでなんだか可愛らしい。
息を整えて、拝殿にてお参り。スックー、会いに来たよー!
スクナビコナさんが主祭神の神社に参拝したの、初めてなんだよね。仲良しのオオクニヌシさんと一緒だったり、各社の摂末社でお会いしたことは何度もあったから、とても馴染みがある神さまなのに。
粟茎に乗ってびよーんって弾き飛ばされて去っちゃうなんて、身体の小っちゃな神さまらしいエピソードでさ、ホント可愛い。
それでまた、鎮座地が彦名町なんだよ。いつからの地名か調べてないけど、萌えるわ。スクナビコナさんが海の彼方からやってきたという、美保関との距離の近さも気になるところ。
本殿がちょっと見えづらいけど、たぶん大社造。狛犬といい、出雲の影響が色濃い地域だなぁ。
境内には他に、伊勢神宮遥拝所などがあった。
石段を下りていると、小学生くらいの子供たちが、トレーニングのためかダッシュで上ってきた。すれ違い、さらに追い抜かれる。確かに、鍛えるには丁度良いかもしれない。静けさを破られてしまったけど、彼らにとって身近な神社ってことだから、喜んでいいことだよね。