御代神社と天叢雲剣の発祥地
2022年11月7日月曜日
13:56
古事記には、スサノオがヤマタノオロチを退治したときのこととして、
切其中尾時、御刀之刃毀。爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都矣刈之大刀。故、取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。是者草那芸之大刀也。とある。
(その中の尾を切った時、剣の刃が欠けた。これは不思議なことだと思って、剣の先で切り裂いて中を見ると、ツムガリの大剣があった。そこで、この大剣を取り出し、神々しい物と思って、アマテラスに献上した。これが草薙の剣である)
日本書紀にも同様の記述があるが、
草薙剣、此云倶娑那伎能都留伎。一書云、本名天叢雲剣。蓋大蛇所居之上、常有雲気。故以名歟。至日本武皇子改名曰草薙剣。と注釈が付いている。
(草薙剣、これをクサナギノツルギという。一説には、もとの名は天叢雲剣 。オロチがいる上に常に雲があった。それで名づけたものか。ヤマトタケルに至って、名を草薙剣に改めたという)
一方、出雲国風土記は、オロチ退治について一切語らない。最も有名な出雲神話が風土記に載っていないのは、如何にも不自然に思える。この件は、ひとまず別のエントリーに譲ることにしよう。
だいぶ時代が下って、江戸期の『雲陽誌』の大原郡・三代の条に、
尾留大明神。風土記に御代社とあり、素戔嗚尊、八岐大蛇を斬たまひ此所に鎮座なり。故に尾留と号したてまつる。『出雲神社巡拝記』の大原郡・三代村の条に、
同村尾留大明神〈記云〉御代社〈式云〉御代神社〈祭神〉すさのをの命。当社地は此神おろちをきり玉ひて、此所にて御休足ありしたる所なると申伝ふ。尾留と云は、おろちの尾を斬給ひけるに依て也と云伝ふ。とある。
記紀はオロチ退治の具体的な地名を記さないが、いつからか、三代の地がその舞台であると語られるようになったのだろう。
温かい出雲そばでお腹と心を満たした僕たちは一路、雲南市へ。時間の許す限り、ヤマタノオロチ伝説を巡ろう。宍道尾道街道に入り南下していくと、市内に入った。そこには、「幸運なんです。雲南です」という、目立つキャッチコピーが掲げられていた。いいね、嫌いじゃないよそういうセンス。
斐伊川水系の赤川を越え、三代地区の細い路を進み、御代神社駐車場に着いた。小さな神社だけど、こうして駐車場が設けられているのが、本当に有り難い。
社殿のほうへ行こうとしたところ、丁度階段の前に、黒い体に茶色い斑の猫が。何か用かとばかりに、我々を見ている。ゴメンね猫ちゃん、君の邪魔をする気はないんだけど、僕たちはその先に用があるんだ。近づくとさっと避けたので、ちょっと悪いことした気分。
御代神社運動場を通り抜けて、随身門あたりに出る。一礼してくぐり、拝殿にて拝礼。ここも注連縄が太く立派だ。
本殿は、出雲のスタンダード・大社造。構え型の狛犬といい、ここいらを巡っていると、何が当たり前か混乱してくる。
嫁が少し肌寒いから上着を取ってくると言うので、キーを渡し、その間にささっと境内正面を確かめることにする。
随身門の前に鳥居が二つある。その最初の鳥居の脇の狛犬たちは、だいぶ崩れていた。ちょっとかわいそうな姿。
それから嫁と合流し、神社境内を離れて北西へと歩く。
その途中、風に舞う紅葉を見て、思わず立ち止まった。さやさやと木の葉の擦れ合う音だけが聞こえる、静かで、あったかい時間。何気ない風景だけど、とても美しく感じた。
坂道をほぼ下りきったところ、ガードレールの奥にひっそりと、尾留大明神旧社地はあった。「八岐大蛇ゆかりの伝説 尾留大明神天叢雲剣発祥地」と刻まれた、割と新しい記念碑も立っている。
何も無いと思う人もいるだろうけど、石碑があるだけで十分だよ。ここでスサノオがオロチの尾を斬り、剣を手に入れたんだ……この地に立つだけで、神話に実感がこもる。酩酊にも似た、不思議な感覚に陥る。この瞬間が、好き。
坂の下には畑が広がっており、元々はそのあたりに鎮座していたということか。その北には赤川、西には斐伊川が流れ、なるほど水害に遭いやすそうな場所だよなぁ。
道の端に、コスモスが元気に咲いていた。頑張って坂を上って、駐車場まで戻ろう。