八口神社とオロチが草枕にした山
2022年11月7日月曜日
14:00
同名の神社が同市木次町西日登にも存在するが、そちらはまた別で、鎮座地からしても式内社ではないとみられる。
近くの
古事記では、スサノオのオロチ退治に際して、
乃毎船垂入己頭飲其酒。於是飲酔留伏寝。爾速須佐之男命、抜其所御佩之十拳剣、切散其蛇者、肥河変血而流。と述べられている。日本書紀もほぼ同様。
(酒桶ごとに自分の頭を入れて、その酒を飲んだ。そうして酔って寝た。そこでスサノオが、その佩いていた剣を抜いて、そのオロチをズタズタに切り刻むと、斐伊川が血の色に変わった)
『雲陽誌』の大原郡・神原の条には、
矢口大明神。風土記に矢口社あり。延喜式には八口社と記す。是則素戔嗚尊をまつる。社家伝て矢口明神といふ。八岐大蛇の八の頭を斬たまふ故に、八口と称して可ならむか。とある。
草枕。横山といふ所にあり。八岐大蛇斯処の草を枕としたり故に号す。
『出雲神社巡拝記』の大原郡・下神原村の条には、
矢口大明神〈記云〉矢口社〈式云〉八口神社〈祭神〉いわつゝのをの命・いわつゝのめの命。当社はすさのをの命なるべし。此辺広くおろちをたいじの地也。八口ノ社と云も、大蛇の八ツの頭をきり給ふ故に、八口と称けるならん。別当石に草まくらと云石あり。おろち、やしをおりの毒酒呑て此所へにげて、草をまくらにして伏たる故に名付とぞ。と。
ヤマタノオロチ伝説にまったく触れない出雲国風土記において、気になる記事がある。意宇郡・拝志郷の条の、
所造天下大神命、将平越八口為而幸。と、同郡・母理郷の条の、
(天下をお造りになった大神(オオナムチ)が、越の八口を平定しようとしておいでになった)
所造天下大神大穴持命、越八口平賜而、還坐。だ。
(天下をお造りになった大神オオナムチが、越の八口を平定なさって、お帰りになった)
オオナムチの
「八口社」も関係ありそうな名前だけど、そちらは大原郡にあるので、神門郡・古志郷とは地理的に繋がらない。
クチは「くちなは(蛇)」・「くちばみ(蝮)」と同義とする説に従うと、ヤクチは八蛇となり、すなわちヤマタノオロチ。古事記に、
高志之八俣遠呂智、毎年来。とあることとも整合する!つまり、オオナムチが北陸まで出向き、ヤマタノオロチを退治した……のかもしれない。この解釈だと、スサノオではなく、その子孫のオオナムチの事績ということになるのも興味深い。また、越国の出来事であるなら、出雲国の風土記に載らないのも当然ということに。
(高志 =越のヤマタノオロチが、毎年やって来る)
あくまで諸説ある内のひとつの考え方ではあるけど、こんな風に捉えるのも面白い。
御代神社から八口神社までは、北へわずか1キロほど。尾留大明神旧社地から徒歩でも行ける距離だけど、時短を狙えるならどこまでも狙う。御代神社駐車場から八口神社の参道前のスペースまで、車で移動。
交通の邪魔にはならないものの、明確な駐車場というわけではないので、手短に参拝を済ませよう。
拝殿にてお参り。
本殿はやはり大社造。判り切っていても全部確かめる。カッコいいんだよなぁ。
草枕山の説明板を境内で見つけた。オロチが寝たであろう本来の山は、切り開かれて無くなってしまったのか。
西のほうにある、山の残骸といえる丘を見渡しつつ、元の山容を思い描いた。
オロチが巨躯だったことは古事記に描写されているけど、山を枕にして伏せったり、ここ八口神社で頭を斬られ、数百メートル離れた尾留大明神旧社地では尾を斬られたりと、現地を訪れたからこそ、その大きさを体感できるね。本当にそんな巨大な怪物が存在したかもしれない……妙なリアリティをもって迫ってくる伝承たち。
滞在時間は短かったけど、しっかり空気を受け取って、次なる由来の地へ。