美保の埼と美保神社
2022年11月7日月曜日
12:38
ちなみに「みほのさき」と「みほのせき」って紛らわしいけど、前者は島根半島最東端にある岬・
コトシロヌシに関して古事記から抜粋すると、オオクニヌシの言葉として、
我子八重事代主神、是可白。然為鳥遊取魚而、往御大之前、未還来。とある。
(我が子コトシロヌシが、申し上げることでしょう。しかし鳥の狩りに、また魚の釣りに、御大 の岬に行ったまま、帰ってきておりません)
日本書紀の神代下・第九段には、
是時、其子事代主神、遊行在於出雲国三穂之碕、以釣魚為楽。或曰、遊鳥為楽。と、ほぼ同様の記述。
(この時、その子コトシロヌシは出雲国の三穂 の岬にいて、釣りをして楽しんでいた。あるいは、鳥の狩りをしていたという)
古事記にはもう1か所、美保の埼での神話がある。
大国主神、坐出雲之御大之御前時、自波穂、乗天之羅摩船而、内剥鵝皮剥、為衣服、有帰来神。~中略~此者神産巣日神之御子、少名毘古那神。国譲りの前段、国造りにおいて、オオクニヌシがスクナビコナと出会ったのが、美保の埼ということだ。
(オオクニヌシが出雲の御大 の岬にいらっしゃった時、海の彼方から、ガガイモで作った舟に乗って、蛾の皮で作った衣服を着て、やって来る神がいた。~中略~この方はカムムスヒの御子、スクナビコナです。
もう1柱の御祭神ミホツヒメについては、同じく神代下・第九段・第二の一書に、
時高皇産霊尊、勅大物主神、汝若以国神為妻、吾猶謂汝有疏心。故今以吾女三穂津姫、配汝為妻。宜領八十万神、永為皇孫奉護。とあるのみ。
(その時にタカミムスヒがオオモノヌシに、「もしお前が国つ神を妻とするなら、私はお前になおよそよそしい心があると考える。だから今、私の娘ミホツヒメをめあわせてお前の妻としたい。八十万の神たちを率いて、末永く皇孫のために守ってほしい」とおっしゃった)
ミホツヒメとは“美保の姫”のことなので、この地とゆかりがありそうな名前ではある。しかし、タカミムスヒの娘の天つ神だということ以外、よく判らない。
また、美保神社とその周辺の地理については、出雲国風土記に載っている。島根郡に「
ではその風土記に、「三保社」に鎮座する神さまのことが、記されているのか。
島根郡・美保郷の条には、
所造天下大神命、娶高志国坐神、意支都久辰為命子、俾都久辰為命子、奴奈宜波比売命而、令産神、御穂須々美命、是神坐矣。故云美保。とある。
(天下をお造りになった大神(オオナムチ)が、高志国 にいらっしゃる神オキツクシイの子のヘツクシイの子のヌナカワヒメと結婚し、産ませた神ミホススミ、この神が鎮座している。それで美保という)
つまり出雲国風土記は、美保におわします神を、オオナムチ=オオクニヌシとヌナカワヒメとの間に生まれた、ミホススミだと述べている。現在の美保神社の御祭神とは一致しないし、記紀神話にも登場しない。オオクニヌシの御子という点だけは、コトシロヌシと共通しているものの、謎だ。
前夜の宴会で散々はしゃいだので、この日はちょっとだけ朝ゆっくり出発。ひとつ多めに予定こなせているしね。
ホテルの提携駐車場を出たら、くにびき大橋を渡る。橋の名前からしてズルいよね、出雲の国。神話要素に溢れているもの。それはさておき、附属中前の交差点を東に折れ、ひたすら東北東へと車を走らせる。進むにつれ、片側2車線のバイパスが、対面走行になり、さらに路が狭くなっていく。同じ方向へ向かっていた他の車も、いつしかいなくなった。美保神社周辺の大混雑を確認しつつ、さらに東へ行くと、美保関灯台の駐車場に到着。こちらは空いている。
駐車場から緩やかな坂道を上ると、美保関灯台が見えてきた。抜けるような青空に白亜の灯台が映える。もちろんこれはこれで良い景色だけど、一番の目的はここじゃあない。
灯台の裏手に回れば、鳥居が姿を現す。
その向こうに見える島々は、美保神社の飛地境内。手前の磯が「地の御前」、奥の白い塔のような物が建っているのが「沖の御前」。肉眼では、その脇にあるという鳥居は確認できない。いずれもコトシロヌシとイクタマヨリビメをお祀りする。鳥居越しに遥拝。
出雲国風土記にあった「上島」が地の御前島で、「等々島」が沖の御前島とされる。波間に消えそうなくらいの島なのに、1300年前から認識されていたんだよなぁ。当時と同じ大きさなのかまではわからないけど。
展望デッキからは、遥かに隠岐諸島が望めた。眼下の岩場には釣り人たち。コトシロヌシさんに出会ったような思いがする。
コイン式望遠鏡があったので覗き込んでみたけど、沖の御前島の鳥居はやはり見つけられなかった。角度の問題だろうか。
駐車場の端にも眺望デッキがあり、そちらからは美保湾と大山まで見渡せた。
スクナビコナさんはどこから来たのかなぁ。小さなガガイモ舟では日本海の荒波は厳しそうだし、穏やかなこの美保湾ならあるいは……などと想像が膨らむ。カムムスヒさんの指の隙間から零れ落ちて中つ国に降臨して、例えば粟島に住んでいて、あるとき海を越えて、美保の埼で思案するオオクニヌシさんのところへやってきた……とかね。
続いて美保関の集落まで戻る。案の定、美保神社参道は満車。ここまでは想定内。チェックしておいた美保関文化交流館横の無料駐車場へ向かうと、ここもほとんど埋まっている。どうにか空いているスペースを見つけ、車を停められた。やれやれ。いくら神在月とはいえ、平日にこんなに混む所なのかな。
その答えを、そこいらに立っている幟や一の鳥居前の屋台などを見て、悟った。「七日えびす祭」というのが催されているのだ。毎月開催の祭事があるとは、うっかりしていたわ~。今後の著名神社参拝の際は、見落とさないようにしよう。勉強になった。
二の鳥居の傍らに、立派な社号標。
その奥の狛犬が、大きくてめっちゃカッコいい!煽りアングルで撮りたくなった。
神門がまた凄い立派。大きなお社の風格を漂わせている。
杮葺きの拝殿にてお参り。独特な造りで、船庫を模しているそうだ。コトシロヌシさんの、海上安全・大漁満足のご神徳に相応しい。
この日だけの特別な御守を求めてか、授与所には行列が。これを狙って行ったわけではなかったので、混み合う境内はどうにも落ち着かないな。
本殿は大社造を2つ並べた特殊な形式で、美保造または比翼大社造と呼ばれる。内部は、2殿の間を装束の間で繋いでいるらしい。
背後に回るとよく判る。左殿(
気ぜわしい空間を離れ、港をぐるりと回る。地主神たるミホススミにお会いするためだ。道が細すぎて一度は通り過ぎてしまったけど、「神の
人家の合間の、こんな路地を歩む。
その先に、ひっそりと小さな祠が佇んでいた。この地主社の御祭神が、コトシロヌシあるいはミホススミと伝わる。
日陰でなんとも寂しい場所だけど、ここのほうが心は安らぐ。柏手を打ってご挨拶。謎は解けないままだったものの、訪れた価値があった。もう少し調べる余地がありそうだ。
駐車場に戻ると、出入口に車列ができていた。こうなる前に停められたのだから、まだ運が良かったってことか。列の横を慎重に脱出。
そろそろランチにしようと、松江市街へ。前夜が島根の“ハレ”の料理とすれば、この日は“ケ”の料理。『たまき』は島根県を中心に展開する、地元民に愛されるうどん・出雲そばのお店。そうと聞けば、行ってみたくなるというもの。
変化する旅程に柔軟に対応できる点も嬉しい。此度は、くにびき道路沿いの『手造りうどん たまき』松江店を選んだ。粟島神社を繰り上げていなかったら、米子店に行くつもりだった。
注文も決めていた。ぴよさんがブログで薦められていた、梅とじあんかけそば。これに、しょけめしを付けた。しょけめしとは、山陰の方言で炊き込みご飯のこと。
美保神社周辺で神経をすり減らしたあとだったから、この素朴さがとても有り難かった。嫁もにっこり。これ以上ないタイミングで行くことができたね。