出雲大社本殿と古代出雲歴史博物館の感想

2016年2月18日木曜日 17:39
ここでは、古代出雲歴史博物館や出雲大社八足門特別参拝での個々の感想を、事前勉強の備忘を兼ねて残すことにしよう。
これらの写真はすべて、ツアー終了後に改めて撮って回ったもの。古代出雲歴史博物館の展示品は、一部を除き撮影OK。出雲大社八足門の内部は撮影禁止につき、外から撮ったものを使用した。

まずなんといっても出雲大社本殿の巨大神殿伝説。現在の本殿の高さは約24メ-トルだが、平安時代には倍の約48メ-トル、古代にはさらに96メートルにも及んだという。大昔にそんな木造建築が可能だったのかなど謎に包まれており、そこにロマンを感じるじゃないか。

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2000年に境内から出土した特大の宇豆柱は、巨大神殿の実在を窺わせる。決定的証拠とまではならないものの、16丈説はあながち嘘ではないかも知れないと思わせてくれ、ワクワクする。

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八足門の前には、発見された場所を示す丸いマークがある。こんな太い柱を3本束ねたなら、その上にどんな大きな神殿が建つのだろう……。
遺跡が現在の本殿の位置より南寄りなのは、文化財指定を受ける以前は建て替えを実際に行ってたからだ。今建ってる位置とは違う場所に新しい本殿を築くワケだから。引き合いに出すのは伊勢神宮ばかりになっちゃうけど、あちらは古殿地があるように、場所を交互に入れ替えながら本殿が造り直される。

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展示のなかで僕の心を一番揺さぶったのは、弥生土器に刻まれた絵画。1世紀の弥生人が描いた高楼は、まさに巨大神殿そのもの!こんなものをただの空想で描いたとは考えにくいから、自分が目にして驚愕した建物をそのまま刻んだんだろう。そうとしか思えない、っていうかそう思いたいし、そう思ったら楽しい!1世紀だよ、1世紀。今から2千年も前に、空高くそびえ立つ本殿がすでにあったんだ。

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そして平安時代の出雲大社本殿の10分の1再現模型。コレ見てるだけでカッコいい!こんなカッコいい神社があったら、きっと行きたくなるよね。コレを撮るために歴博行ったようなもの。

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1953年の遷宮の時まで実際に使われてた千木。本殿にはあまり近づけないからサイズ感が掴みにくいけど、この千木だけで8メートルを超える。画角が広くない僕のカメラではフレームに収めるのも苦労したほどで、やはり本殿は大きいんだなぁ。

神仏習合は出雲大社も例外ではなかったようで、一時期は朱塗りで境内には読経が響き、三重塔もあったらしい。
兵庫県の名草神社の三重塔は、出雲大社本殿の柱に杉を提供した縁で、出雲大社から譲り受けたものだそうだ。そんな遠くないし、いつか名草神社にも行ってみよう。

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少し毛色が変わり、青銅器の数々。
荒神谷こうじんだに遺跡から数百本もの銅剣が出土し、出雲に有力なクニがあった可能性を示唆してることは知ってたけど、こんな形でまとまって発見されたとは知らなくて驚いた。

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銅鐸は、子供の頃に教科書で見たヤツだぁ~。薄暗い室内でライトに浮かび上がるさまは、美しい。こういうの、小学生の時にこそ見ておきたかったな。
なお銅鐸は、音を鳴らしてたことまでは解ってるけど、その用途についてはまだ不明らしい。

歴博について、展示とは無関係だけど触れずにはいられないことが。
それは、スタッフが揃いも揃って美人ばかりで、しかも百貨店並みの接客応対をしてくれるってこと。いったいどういう方針なんだ、採用にしろ教育にしろ。もちろん嬉しい。

歴博から離れて次は、本殿と瑞垣内の社殿について。
本殿は荒垣,瑞垣,玉垣と幾重にも囲われており、その構成を知ったとき、厳重な結界で本殿を守ってるのかなと思った。八足門の中に足を踏み入れても、楼門と玉垣に阻まれ、本殿はなお遠い。

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出雲大社本殿は、最も古い神社建築様式である大社造たいしゃづくりで、国宝。
大社造は切妻造きりづまづくりの妻入り。建築用語で、屋根の三角形が見える側の面をつま、屋根と平行になる面をひらといい、妻に出入口がある形式を妻入り、平にある形式を平入りという。妻の中央に宇豆柱という太い柱があるので、入口を右(または左)に取ってある。本殿内部の真ん中には、心御柱しんのみはしらがあるらしい。
屋根は桧皮葺ひわだぶきで、棟には千木と鰹木かつおぎ(勝男木とも)3本が載る。
大屋根のこれらの棟飾りは銅板に覆われ、銅板には日本の伝統的塗装技術のひとつである『ちゃん塗り』が施されてる。それにより千木などの色が黒くなった。『ちゃん塗り』によって銅板を保護してるらしいが、単なる保護ではなく、年月とともに緑青ろくしょうと呼ばれる銅の錆が出てくるとそれと馴染んでいき、いずれ緑青に置き換わっていくそうだ。なんとも理に適った技法じゃないか。現在の状態でもすでに、修造完了時点からすれば黒色が薄くなってるらしい。

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本殿のすぐ東隣(写真中央)が御向社みむかいのやしろで、オオクニヌシの正妻であるスセリビメが鎮まる。ここに祀られるべくして祀られてるなぁと。

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反対に西隣に建つ天前社あまさきのやしろにはキサガイヒメとウムギヒメ。オオクニヌシが兄たちである八十神やそがみに殺されたときに彼を蘇生させた女神たちだ。こちらも瑞垣内に社があることに納得。

御向社と並んでるのは筑紫社つくしのやしろ。御祭神はタキリビメ。スサノオがアマテラスとの誓約うけいで産んだ宗像三女神むなかたさんじょしんの1柱で、オオクニヌシとの間にシタテルヒメなどをもうけた。たくさんいる奥さんの一人だし、スサノオとの関係も強い。でも、上記2つの社に比べるとちょっと弱いような。その由縁を神職さんに訊いてみたかったよ。

や~、出雲大社だけで複数のエントリーにわたり、こんなに長文になるとは自分でも考えてなかった。自分で考える以上に、好きな物事に対する想いが溢れてきたのかな。
ホント、古事記などの日本神話は面白い。神話が解ると、神社巡りはますます面白い。
僕が語る言葉に、楽しそうに耳を傾けてくれる嫁に感謝。

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