出雲大社参拝は神話と古代歴史に思いを馳せて~前編
2016年2月18日木曜日
12:49
出雲大社は島根県出雲市にある神社で、正式には『いづもおおやしろ』という。創建は
オオクニヌシは一般に縁結びの神として知られてる。記紀の神話によれば、日本の国づくりを行い、天皇家の祖先となる神に国譲りをしたのち、巨大な神殿(出雲大社の本殿)を建ててそこに鎮まったとされる、日本という国を語るうえで重要な神様だ。たくさんの別名を持つ神様で、オオナムチ,ヤチホコ,
10月に全国から
島根だけでなく全国的にも信仰の厚い神社なのだ。
また、3年前に大々的ブームを起こした平成の大遷宮は、もう終わったと思ってる人も多い。しかし、本殿遷座祭が催された時点で終わったのは本殿の修造だけで、その他の摂末社など遷宮事業は今年まで続いてるのだ。
出雲大社前駅に降り立った僕ら二人は、そこから真っ直ぐ大社へは向かわず、一度南下。出雲大社には4つの鳥居があると聞いたので、どうせなら一の鳥居から順にくぐりたいと考えてのことだ。4という数字は縁起が悪いとされるが、四合わせなどといって、“4つの鳥居をくぐって幸せに”だなんて、日本人の語呂合わせの巧みさにはマイッタ。
堀川に掛かる
なんだけど……現状調査のためとかで足場が設置されており、すっぽり覆われて隠れてた。調査は3月25日までと看板には書かれてた。遷宮の一環なのかな。巨大な扁額をこの目で見たかったのになぁ~、残念。
改めて大社に向かうべく、
旅行先でべたなことをやるのが好きになった僕は、縁結びかまぼこを食べることを提案。嫁も乗ってくれた。格別美味しいもんじゃないけど、そんなことは構わない。ただ浮かれてるだけなんだから。
神門通りは大社に向かうにつれ、少し上り坂になってた。かまぼこを頬張りながら上る。
二の鳥居、
このあたりはかつて広場で、芝居小屋などが来たりして賑わった「人の勢いが溜まる場所」ということで、勢溜と呼ばれたのだとか。参拝客を相手に商売するのは、古今東西を問わないワケだな。
この鳥居は木製。その真ん中や社号標の隣で記念撮影をする参拝客の姿を良く見掛けた。
2月の平日だというのに、想像以上に人が多い。混雑はしてないし、空いててゆったり回れるけど、淋しくない程度にはそこここに人影がある。閑散期でコレだから、行楽シーズンは落ち着いて参拝できないかもと思ったり。
ここからは下り参道。
下り参道というのは全国的にも稀らしい。言われてみれば、これまで参った神社仏閣には無かったような。出雲大社のほかに、宮崎県の
だから、下り参道としたのには何か意味があるんじゃないか。出雲大社の主祭神オオクニヌシは幽界の王であるので、冥府に近づくようにしたとか、大和朝廷が征服した出雲の神を祀るにあたり、敵方だから敬いたくない気持ちから下にしたとか、その理由を想像すると、なかなか面白い。
しかし実際のところは、たまたまそういう地形だったから、というのが真相だろう。というのも、勢溜は江戸時代、それより南の参道は明治から大正時代にできたもので、旧参道はそこより少し西にある。旧参道から大社を目指すと、現在の四の鳥居辺りに着く。そして、その先からが境内とされており、それは今も変わらない。つまり、一から三の鳥居とその参道は、古代からあるワケではないのだ。
付け加えると、出雲大社と呼ばれるようになったのは明治に入ってから。それまでは
今回は初参拝ということで現参道を素直に歩いたが、次に訪れた際には、旧参道や稲佐の浜にも行ってみたい。
下り参道を少し進むと、右手に
ここで初めて二礼四拍手一礼を実践。二拍手に慣れてるから、ちょっと不思議な感じ。
普通ならこのまま本殿へというところなんだけど、僕らは一旦引き返す。『古代出雲歴史博物館ガイド付き観覧と出雲大社「八足門」内での特別参拝(神職がご案内)』というツアーの受付時間が迫ったからだ。
集合場所である島根県立古代出雲歴史博物館は、大社のすぐ隣にある。
このツアーの詳細は別途エントリーを設けよう。また、本殿についてもそれとは別に記すことにする。
出雲大社参拝については後編へ続く。