月夜見宮と神路通りと月神信仰
2024年5月23日木曜日
21:41

内宮と外宮の両方にツキヨミの宮がある理由も、ひとまず着地点をみつけたよ。
月夜見宮については平安前期の『止由気宮儀式帳』に、
月読神社とみえる。また、江戸初期の外宮の神官、
その間の二町の大路は、昔は並木があり、その通りの中央を不浄な者は遠慮して通らなかった。家々も戸口を道の方に向けて開けなかった。のちに家が並び立ち、並木もなくなると、石を敷いてその石の外側を不浄な人は通っていた。これは習わしであり、古老の伝承によれば、とあり、神路通りに対する地元の信仰が紹介されている。
・宮柱 立てそめしより 月読の 神の行きかふ 中の古道
・月読の 宮づかへとて つとに起き 通ふ神路を 清めざらめや
この二首の口碑に残っている。
文献に残っていない民間伝承では、月夜見宮の神さまであるツクヨミが、夜、宮の石垣の一つに杖を当て、白馬に変えてその馬に乗って、外宮の神さまであるトヨウケビメのもとへ通うのだという。まさに「神の通う
外宮ではなく内宮側の資料だけど、『皇太神宮儀式帳』を参照すると、
次にツクヨミのとある。先ほどの伝承が生まれた素地として、ツクヨミが馬に乗った男神であるという認識が、民間にも広まっていたからかもね。相手方となる外宮の神さまは、中世に起こった伊勢神道では男神とみなされたけど、少なくともこうして言い伝えていた民衆たちは、女神だと考えていたともいえる。命 を称す。御形は馬に乗る男性の姿であり、紫の御衣を着て、金で作られた大刀を佩いている。
さて、外宮参拝を終えた僕らは、表参道から再び北御門口方面へ向かった。スケジュールの都合で移動効率は悪くなったけど、構わない。



2015年の月夜見宮と比べ、社殿がだいぶくすんで落ち着いた色合いになった。前回は遷宮したばかりで素木がピカピカだったもんなぁ。しかも、西隣には古い社殿がまだ残っていたほど。当時はそんなことにすら気づかなかった。なかなかレアな状態だったのに。人間、視界に入っていも見えないものがあるねぇ。


内宮の別宮にも
月が海の潮の干満と結びついていることは、古代においても海洋民の間で知られていたという。また、夜露も月のもたらしたものと観想したとされる。前夜に雨が降らなかったのに朝になると草が濡れているのを、神の御業と思ったんだろうと。こうしたことから、月は水の支配者と考えられるようになった。海洋民にとっても農耕民にとっても、水は大切なもの。高河原神社も川原神社も、川のほとり、水のそばにあったことが名前から読み取れる。この伊勢の地で月神が信仰されたのは、そんな背景があったからじゃないかな。
9年前の落とし物を、色々見つけられた思いがする。
この日の予定を一通りこなせたところで、一旦ホテルに帰った。部屋で1時間ほど休憩。翌朝が早いから、無理をしないようにね。

それは気にせず、前菜盛り合わせをオーダー。ところが、嫁のおなかの調子が良くなくて、アルコールを控えるのはもちろん、脂っこいものを受け付けないそうで。フリットは僕が全部引き受けて、嫁は生野菜サラダばかり。追加で注文したリゾットはチーズがどうかと思ったけど、食べられていた。アクアパッツァは、アサリはダメだけど鯛は美味しかったとのこと。どうにか食事になって良かった。嫁も楽しみにしていただけに、残念。お店のほうは変わらず素敵だったんだけどね。
嫁には先に帰ってもらい、僕はドラッグストアを探して整腸薬を調達。旅行の醍醐味のひとつが食だから、嫁がかわいそうで……歩き回る分には元気なんだけど、心配になる。薬でしのげればいいけど。
【参考文献】
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
神宮司庁『神宮要綱』神宮司庁,1928年
松前健『日本神話の新研究』桜楓社,1960年
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
神宮司庁『神宮要綱』神宮司庁,1928年
松前健『日本神話の新研究』桜楓社,1960年