佐那神社
2024年5月23日木曜日
13:54
アメノタヂカラオについて『古事記』には、
次にタヂカラオは、とある。「佐那々県」は地名だろうけど、「々」が付いているのは『古事記』最古の写本(いわゆる真福寺本)によった場合。江戸初期の国学者、佐那々県 に鎮座していらっしゃる。
佐那神社は、『延喜式』「神名式」の
佐那神社二座に比定されている。御祭神二柱のうち一柱は、アメノタヂカラオとする説が有力。もう一柱は、『古事記』
このとあることから、曙立王 は、伊勢の品遅部君 ・伊勢の佐那造 の先祖である。
ただ僕の興味は「神名式」における二座の内訳より、『古事記』に「佐那県に鎮座」とある記述が、何を意味しているのかに向いている。
アメノタヂカラオという神さまは、腕力の神格化という単純な存在なので、如何にも原初的に感じるけど、あまりに概念的すぎて実体性が乏しいようにも思う。『古事記』や『日本書紀』にある神々の系譜や、畿内の氏族の始祖が記された『
そこで面白いのが、天岩戸神話での行動から「戸の脇に隠れ立つ神」とみて、神宮の所領(
西は……とある。「磯部河」をどの川に比定するか諸説あるものの、多気郡と飯野 郡の磯部河 。これを神の近堺とする。
さて、念願の松阪牛を堪能したところで、まだ13時前。食事に要する時間が読めなかったので、長めに確保しておいたのだけど、思ったより早く済んだ。それならひとつ予定を繰り上げて、佐那神社へ行こう。松阪多気線を南下し道なりに国道42号を走って、コンビニに寄りつつ、佐那神社南鳥居前の駐車場に到着。
まず目を引いたのが顔出しパネル。ウズメはわかるとして、タヂヲ?と引っかかって調べてみたら、多気町商工会の企画したキャラクターらしい。ウズメちゃん可愛いよね。
鳥居をくぐり境内に入ると、伊勢神宮から下賜されたという灯篭3基があった。
『延喜式』「大神宮式」に、
およそ大神宮は、修造を行うべき年限(20年)が満ちたときには、使者を遣わし、冬の初めに工事を始める。神宮は七院、社は十二所〈朝熊社・園相社・鴨社・田乃家社・蚊野社・湯田社・月夜見社・草名伎社・大間社・須麻漏売社・佐那社・櫛田社〉。とあり、神宮の式年遷宮に合わせて造営される12社の中に、「佐那社」がみえる。佐那神社と伊勢神宮の関係は古く、深い。
その先の拝殿にて拝礼。主祭神アメノタヂカラオのほか、明治期に村内の各神社が合祀されたため、全部で26柱がお祀りされている。その中には、
拝殿内に絵馬が掛かっていた。岩戸を押し開くタヂカラオに、伏せた桶の上で舞うウズメ。常世の長鳴鳥もいる。まさに天岩戸神話のワンシーンだ。
パネルのタヂヲといいこの絵馬といい、タヂカラオが細身で描かれている。もっとゴリマッチョのイメージだったけど。
脇に回って本殿を拝む。神明造だ。
境内には、「やすらぎ神 ほこら祠」という男根のような石も鎮座していた。「昔本殿の下にお祀りされて居た」といい、その昔というのがいつ頃からなのか、主祭神への信仰やその神格に関わりそうで、ちょっと気になる。
アメノウズメの
他に、神宮遥拝所や熊野三社遥拝所などがあった。
短い滞在時間だったけど、良いお参りだった。現地に足を運ぶことで、地理関係を実感したり、地域の空気みたいなものも感じられるからね。
【参考文献】
大西源一「神三郡」『大神宮史要』平凡社,1960年
倉野憲司『古事記』岩波書店,1963年
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
津田左右吉「神とミコト」『津田左右吉全集 (2)』岩波書店,1963年
林一馬『伊勢神宮及び大嘗宮に関する建築史的研究』,1999年
堀健彦「八・九世紀伊勢神郡の再編成過程と領域性」『史林 (78-1)』史学研究会,1995年
吉井巌「スクナヒコナノ神:神統譜から締め出された神」『天皇の系譜と神話 (2)』塙書房,1976年
大西源一「神三郡」『大神宮史要』平凡社,1960年
倉野憲司『古事記』岩波書店,1963年
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
津田左右吉「神とミコト」『津田左右吉全集 (2)』岩波書店,1963年
林一馬『伊勢神宮及び大嘗宮に関する建築史的研究』,1999年
堀健彦「八・九世紀伊勢神郡の再編成過程と領域性」『史林 (78-1)』史学研究会,1995年
吉井巌「スクナヒコナノ神:神統譜から締め出された神」『天皇の系譜と神話 (2)』塙書房,1976年