おはらい町を楽しむ
2024年5月24日金曜日
14:05
皇大神宮の門前町として栄えたおはらい町。その中ほどにあるおかげ横丁。江戸時代の伊勢街道を再現したような町並みには、地域の人たちの思いがこもっていることを知ったよ。猿田彦神社からおはらい町へ向かうのに、宇治浦田町の交差点の歩道を渡ったんでは面白くない。敢えて内宮B駐車場方面まで戻る。「内宮おかげ参道」という地下参道を使いたかったからだ。
御木本道路をくぐるだけの短い地下歩道なんだけど、壁面が「伊勢参宮道:おかけ参、抜け詣の図(1973年,門脇俊一)」を用いた屏風絵で彩られている。せっかくだから、これが観たくてね。
右手に題名と「京 三条大橋」の絵。こちらから順に並んでいるようだ。残り半分は、帰りに観賞することにしよう。「現代の浮世絵師」の異名を持つ通り、江戸時代の浮世絵のようなタッチで大勢の人々が生き生きと描かれており、観ていて楽しい。
「内宮おかげ参道」を抜けて真っ直ぐ西へ歩くと、おはらい町通りに出る。町並みに風情があって良いね。
神宮道場の前まで行くと、電柱と電線が視界から消えた。そうか、無電柱化しているのか。
気になったので調べてみたところ、おはらい町の近年の歩みが浮かび上がってきた。江戸期のおかげ参り大流行など、明治初期までは
僕らが昼食にと選んだ『すし
伊勢おはらい町会議の「住む人も来る人もみんな大切」というコンセプトが素晴らしい。伝統的建造物群保存地区とは異なり、観光客はもちろんのこと、地域住民の生活に配慮した運動になっているんだね。
さて、直前にウェブサイトから確認した時には大丈夫だったのに、タッチの差だったのか、お店に着くと3組の待ちが発生していた。でも5分ほどで席に通された。履物をビニール袋に入れて上がり、2階へ。
畳敷きで、長いテーブルを2組で共用する形になっていて、アクリル板で区切られていた。隣の客が気にならないわけではないけど、気にしないようにして過ごす。
二人とも注文したのは、てこね寿し(梅)。伊勢志摩の郷土料理で、漁師が船上で獲れた魚をその場でさばいて手で混ぜ合わせたことから、「てこねずし」と呼ばれるようになったそうだ。三重県が日本で有数のカツオの漁獲高だというのも知らなかった。
で、これが美味しい!肉厚のカツオの切り身が、舌の上でとろけるよう。臭みはまったく無く、甘辛い醤油が旨味を引き立てる。こんなにまろやかなカツオは、初めて食べたよ。写真だけ見ているとマグロみたいだけど、味は紛れもなくカツオのそれ。漬けとはいえ、生食の機会ってなかなか無いしね。
それに、待ち時間の短さといい、混んでいるにも関わらずハツラツとした店員さんたちといい、人気店であっても胡坐をかくことなく、むしろオペレーションも含め洗練されているんだと思う。スゴいとこだなぁ、『すし久』。
お店の裏手には五十鈴川が流れる。窓際席からの景色もきっと良いんだろう。
続いて、おかげ横丁へ。
おはらい町とおかげ横丁を混同している場面をまま見かける。おはらい町は、内宮の鳥居前町一帯を指し、江戸時代に御祓いをする館が立ち並んでいたことに由来する。おかげ横丁は、まちなみ保全事業と同じ文脈のなかから、『赤福』が往時の町並みを再現しようと1993年に開業したものだ。
横丁に入ってすぐ、『おみやげや』というそのままの名前のお店に入る。おかげ犬のかたちをしたはんかちやクッキーを、両実家のお土産に購入。あれこれ悩むより、ファーストインプレッションで決めちゃったほうがいいかなって。
そのあとは横丁の中をぷらぷら散策。中ほどにあってひと際存在感を放っていた『おかげ座』は、改修のために休館中だった。
それにしても、賑わっているねぇ。早朝に参拝を済ませておいて、やはり正解だった。
おはらい町通りに戻り、行きに興味を引かれた「名物へんば餅」の看板を見つけ、『へんばや』おはらい町店に立ち寄ってみる。少し行列ができていたけど、並ぶことにした。個包装のへんば餅が売り切れになっているなどしていたが、へんば餅を1つからイートインもできるみたい。
ということで、へんば餅2つ。湯呑を2つ載せてくださった。有り難い配慮。お茶はセルフサービスになっていた。
2階にもイートインスペースがあって、そこで頂いた。両面に焼き目が付いていて、こしあんの入ったお餅。特別なものではない素朴な味だけど、甘いものを口にしてホッと一息つけた。こういうのも良いね。
暖簾をスクリーンにしてプロモ映像が流してあったんだけど、めっちゃセンスを感じる。
「内宮おかげ参道」の屏風絵の後半は、いよいよ参宮道に入り、宮川の渡しを経て外宮・内宮が描かれ、最後は二見浦。面白かったぁ。
お昼ご飯を食べて、お土産を探して、軽くスイーツも味わって。いい具合に楽しめた。
それに、歴史を知ると見え方が変わってくるのは、つい最近のことであっても同じなんだね。