瀧原宮
2024年5月24日金曜日
15:39
気持ちの良いところで、距離はちょっとあるけど行く価値があると思ったよ。
『皇太神宮儀式帳』に、
瀧原宮一院〈伊勢・志摩両国の境の大山中、大神宮の西へ九十二里のところに在り。〉天照大神の遥宮と称する。御形は鏡に座す。とあり、『延喜式』「伊勢大神宮式」には、
並宮一院
瀧原宮一座〈大神のとある。瀧原宮と遥宮 。伊勢と志摩の境の山中に在り。大神宮の西へ九十里。〉
瀧原並宮一座〈大神の遥宮。瀧原宮地内に在り。〉
瀧原宮を伊勢神宮の前身とみて、『続日本紀』文武天皇二年(698)十二月二十九日条にある、
多気大神宮を度会郡に遷した。の「多気大神宮」を瀧原宮と解する説がある。「多気」と「瀧」でなんとなく似ている気がするかもしれない。だけど上代特殊仮名遣でそれぞれ読むと、「多気」は「たけ(乙)」、「瀧」は「たき(甲)」で、古代の人からすればまるで別物。考古学的にも、瀧原宮周辺には縄文時代の遺跡は多いものの、古墳時代の有力な遺跡が見つかっておらず、瀧原宮自体からも古墳時代にさかのぼる遺物は発見されていない。これらのことから、この説には従えないかなと。
瀧原宮の創祀伝承は、『古事記』や『日本書紀』はおろか、『儀式帳』にもみえない。となるとあまり掘り下げる気になれない。伊勢船木氏による日神祭祀との関係が指摘されており、その歴史自体は古いと考えられるけど、伊勢神宮との関わりはそれより遅れるんだろうね。というくらいでとどめておこう。
さて、おはらい町を満喫したあと駐車場に戻り、40分ほどドライブ。伊勢西ICから伊勢道に入り、勢和多気JCTで紀勢道へ。大宮大台ICで下りたら、道の駅奥伊勢木つつ木館の前で折れて、瀧原宮の駐車場に到着。10台分のうち半分ほどが埋まっていた。平日の昼下がり、アクセスが良いとは言えないのにこれだから、やはり人気があるんだなぁ。
駐車場の向かいに、瀧原宮大祭運営委員会による「(倭姫伝説)瀧原宮の起源」と題したマンガのパネルが設置されていた。内容からして『
鳥居をくぐって境内に入ると、青々とした木立に囲まれとても清々しい。すぐさま気に入った。
「
嫁が手を水に浸しているのだけど、水面との境が写真では見分けにくくなるほど。
深い杜があって、小川で禊ぎをしてと、まるで内宮の縮小版だね。雰囲気も素敵だし、人気になるのも頷ける。
その先のお宮は、一段高い場所にあった。東の瀧原宮、西の瀧原並宮の順に拝礼。
続いて、境内にある瀧原宮所管社を巡拝。瀧原宮の東の高まりにあるのが
次に瀧原、並宮、〈河島に坐す長由介、若宮〉、とある。創建時期、御祭神ともに不詳。それは他の所管社についても同様のようだ。
若宮神社の南に
他の参拝者たちも順番にお参りしていて、さすがここまで足を延ばす方々だけのことはあるなぁと。
参道を戻り、あれこれウワサを聞くねじれ杉を見上げた。行きは、ここで佇む人がいたから後回しにしたんだよね。ゼロ磁場がどうとかってパワースポットとして扱われているようだけど、それはともかく、目立つうえに珍しいとは思う。
ねじれた木目を
宿衛屋そばの青もみじが美しくて、思わず足を止めた。
内宮に似た部分はあるけど、それとはまた違った魅力のあるお宮だね。緑豊かで、嫁も気に入っていたよ。
【参考文献】
大倉精二『樹幹における繊維回旋の現われ方』,1958年
岡田登「瀧原宮・瀧原並宮」『大宮町史 歴史編』大宮町,1987年
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
筑紫申真『アマテラスの誕生』講談社,2002年
東京農業大学短期大学部環境緑地学科『樹木の形の不思議』 東京農業大学出版会,2014年
西宮秀紀『伊勢神宮と斎宮』岩波書店,2019年
穂積裕昌『伊勢神宮の考古学 増補版』雄山閣,2023年
大倉精二『樹幹における繊維回旋の現われ方』,1958年
岡田登「瀧原宮・瀧原並宮」『大宮町史 歴史編』大宮町,1987年
阪本広太郎『神宮祭祀概説』神宮司庁教導部,1965年
筑紫申真『アマテラスの誕生』講談社,2002年
東京農業大学短期大学部環境緑地学科『樹木の形の不思議』 東京農業大学出版会,2014年
西宮秀紀『伊勢神宮と斎宮』岩波書店,2019年
穂積裕昌『伊勢神宮の考古学 増補版』雄山閣,2023年