高野山奥之院
2015年10月8日木曜日
15:48
奥之院は、真言宗を開いた弘法大師空海の御廟がある聖地。その奥之院への参道は、一の橋から始まる約2キロの道のり。
その途中には、なんと20万基を超える墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が立ち並ぶ。織田信長に明智光秀、浄土真宗の開祖親鸞、さらに一般の人々まで。
敵も味方も、宗派も身分さえも問わない懐の深さ。これこそが高野山の魅力なんだと思う。
そこでの僕たちの目的は、空海の御廟はもちろん、好きな戦国武将たちの供養塔を参ることだ。
ランチを済ませたら、すぐ目の前の千手院橋の停留所から、バスに乗って奥の院口へ。先は長いから、できるショートカットは活用。
正式な参拝の入口である、一の橋で合掌一礼してスタート。
樹齢数百年の杉木立の中に、延々とひしめく墓石群。日本最大級の霊場だというのが、改めて言われるまでもなく、わかる。
キョロキョロしながら歩いてると、徳川吉宗墓所を発見。三つ葉葵を刻んだ碑もあった。
暴れん坊将軍好きだから、手を合わせておく。
誤解を恐れずに言うと、色んな人のお墓があって、面白い。別に遊んでるワケじゃないんだけどね。
武田信玄・勝頼墓所。音声ガイドに対応してる。ただ、その内容が薄い。
それはここに限った話ではなく、墓所全般に及んだ。ふーんとか、うん知ってるってことばかり。高野山と直接は関係ないからか、解説があっさりしてる。
上杉謙信・景勝
ここは立派だねぇ。供養塔だけの所との、違いはなんなんだろ。
それから伊達政宗,石田光成,明智光秀の墓所を参った。全部が全部道沿いにあるんじゃないから、意外と探すの大変。
結構早足で中の橋(二の橋とも)まで行ったけど、あちこち寄り道するから時間は掛かる。
最近体力をつけてきた嫁には、まだ余裕がありそうだ。高野山は山の上の盆地だから、登り道はほとんど無い。だけど、距離だけならかなり歩いてきたはずで、それでも元気な嫁を見て、嬉しくなった。
中の橋の架かったこの川は死の川、つまり三途の川らしい。ここから先は浄土ということか。
その傍にある姿見の井戸は、自分の姿が映らなければ、3年以内に死ぬとか。
通りかかったオバチャンが、「映らないわけないじゃん」と馬鹿にしたように吐き捨てたのを、偶然耳にした。そりゃそうだけどさ、言い方がちょっと不愉快だなぁ。高野山に多少なりとも敬意を持ってれば、あんな口ぶりにはならないと思う。いったい何しに来たんだろう。色んな人が訪れるもんだな。
僕の心に潤いを与えてくれたのが、この小さくて可愛いお地蔵様。思わず笑みがこぼれた。
随所に置かれた地蔵は、嫁の興味も惹いてた。いわく、オシャレなお地蔵様が多い。言われてみれば、帽子や前掛けのデザインが凝ってる。ただの赤い布じゃない。嫁の目の付け所スゲーな。
僕はここで目撃してしまった。前を行くおばさまが躓いて転びかけたのを。丁度この坂を撮ろうとカメラ構えてる、目の前の出来事だった。危うく人様の恥ずかしい写真撮っちゃうとこだったので、自重した。
よりによってここで躓くなんて……コケなくて良かったね。
それから豊臣家と織田信長の墓所をお参り。
行きたかった供養塔はすべて巡ることができた。
いよいよ御廟橋に着く。
ここから先は聖域中の聖域。撮影禁止だ。私語も慎むべし。
橋の真ん中は弘法大師が通るとされ、僧侶たちは端を渡るそうだ。
しかしそうした注意書きの類いは見当たらず、橋の向こうも賑やかで、平気で写真撮ってる人もいる。礼儀作法を知らない人間が多いんだな……ホント、みんなここに何しに来たの?
高野山サイドも、もうちょっと工夫したほうが良いと思う。空海が愛され慕われてるのとは、あれは違うでしょ。それこそお坊さんが一喝したって構わないと思うんだけど。
空海は即身仏となり、この御廟で生き続けているとされる。だから入滅ではなく、
しかしそろそろ帰りのバスの心配をし始めないとならず、またも端折った回り方に。
燈籠堂は、上がらずに少し眺めた程度にとどめる。
その地下にも時間があれば寄りたかったが、諦めた。
帰りは東側の参道を歩いた。
こっちは企業の慰霊碑などが目立ってて、ヤクルトの石像とか面白い物も多かった。ここらをじっくり巡るのも、楽しいかも知れない。それも次回に譲ろう。
奥之院参道は、実際歩いてみると見所が多く、短く感じた。
その代わり、思った以上に時間が掛かる。やはりポイントを絞らないと、高野山を一日で巡るのは厳しいな~。