高市大寺と大官大寺跡
2023年7月17日月曜日
09:50
日本初の官寺である
『日本書紀』天武天皇二年(673)条に、
とある。高市大寺 の造営担当を任命した、これが今の大官大寺である。
『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』にも、これに対応する記事がある。壬申の乱に勝利し即位した天武天皇は、宮都を近江から飛鳥に戻すとともに、百済大寺を高市の地に移したわけだ。天武天皇六年(677)に高市大寺の名を大官大寺と改め、その後、文武天皇の時(697~707)に九重塔と金堂と丈六像を造ったという。
天武天皇が造営したはずの大官大寺だけど、文武天皇が塔や金堂を造ったとある。『続日本紀』大宝二年(702)八月条に造大安寺司を任命したとあり、発掘調査で大官大寺跡が文武朝の造営と判明していることから、新たに造ろうとしたとみられる。初の条坊制をもつ、藤原京に相応しい伽藍が必要だったからだろうか。平城京への遷都後も造営は続けられていたようだが、調査により工事途中に全焼したことも判っており、平城京には大安寺が移建されたため、結局、文武朝の大官大寺は完成しないままとなった。
百済大寺は吉備池廃寺跡、大官大寺は文武朝造営の大官大寺跡、そして平城京の大安寺は、場所も伽藍配置も明らかになっている。高市大寺だけが、未だに諸説あって場所すら特定されていないのだ。
大官大寺跡と合わせて、高市大寺の有力候補地を尋ねたい。
畝尾都多本神社の南には、奈文研の藤原宮跡資料室が建つ。藤原京左京六条三坊にあたり、ここから吉備池廃寺と同笵の軒瓦が多数出土している。木之本廃寺と仮称されてきたが、寺院遺構が検出されていないこと、ここが古代の高市郡ではなく十市郡に属すると考えられることが課題。
畝尾坐健土安神社から戻ってきて、畝尾都多本神社の社叢を眺めた。もしここら辺に高市大寺が建っていたのだとしたら、高市皇子の宮のすぐそばだったということにもなるよね。
紀寺跡(小山廃寺)は藤原京左京八条二坊に位置し、朱雀大路を挟んだほぼ対称の位置に薬師寺(本薬師寺)があり、平城京における大安寺と薬師寺の関係に符号する。立地だけなら大変魅力のある候補地なんだけど、伽藍が条坊に規制されており、その規模が大官大寺に比べて著しく小さいことが難点。
この日、テニスの大会か何かあるのだろうか、明日香庭球場に入る車が多く、史跡案内板の前は自転車で埋め尽くされていた。どうにか潜り抜けてカメラに収める。
ギヲ山西方(雷廃寺)も、大官大寺や大安寺と共通する瓦や、これよりさらに古い瓦が見つかっていることから、有力視されている。ただ、百済大寺と同じ瓦が出ていないこと、大官大寺との距離が近く移建理由が見当たらないことが、指摘されている。
奈文研は最有力とみているようだけど、特に史跡としては整備されていないもよう。ギヲ山(祇園山)を遠望するにとどめた。
大官大寺跡は、ギヲ山から東へ数百メートル。中門・金堂・講堂・塔・回廊など、飛鳥最大の寺院遺構が検出されており、平城京の大安寺と同笵の軒瓦が出土している。大安寺の前身寺院に他ならないということで、国の史跡に指定された。
近年まで礎石も残っていたんだけど、残念なことに、明治二二年(1889)の橿原神宮造営の際に運び去られ、橿原神宮の本殿を囲む石垣などに使われてしまったそうだ。
塔の基壇がまたデカい。その規模から九重塔であったことが推定されていて、文献の記述が信頼できるということだろう。せめて礎石だけでも、見てみたかったなぁ。
汗だくで車まで戻り、今度は橿原市藤原京資料室へ。入室は9時からなので、それまで車内のクーラーで涼んで待った。
改めて藤原京復元模型を見たかったんだよ~!藤原宮を中心に、小山廃寺や大官大寺など、これまで巡ってきた寺跡なども復元されていて、わかることがだいぶ増えたことを実感できる。
また、大型モニターのメニューに「藤原京アニメ(ストリートファイター)」があることも確認。藤原京創都1300年記念祭「ロマントピア藤原京'95」のために制作された「よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち」というアニメらしい。2022年に橿原市とストリートファイターの協定がニュースになっていたけど、カプコンの創業者が同市出身とのことで、こんなに前からコラボしていたんだね。
亀石の呪いでタイムスリップしたストリートファイターたち。やたらと藤原京に詳しくなったケンがリュウに歴史を解説するわ、春麗は新羅からの遣使団に入っているわ、エドモンド本田は都の造営で下働きしているわと、ツッコミどころ満載。平易ながら本格的な説明でちゃんと学べるし、アニメ自体のクオリティも高い。謎に豪華で、楽しく笑いながら勉強できる。
奈良博の『大安寺のすべて』展から数えたら1年越しに、ようやくその変遷を辿ることができた。平城京における存在意義は大きいし、阿閇ちゃんの一周忌供養にも関わる“大寺”だからね。現地に立って、規模や場所を肌で感じられて良かった。