大物主神と事代主神 1 大神神社

2023年7月16日日曜日 07:25
橿原神宮に期間限定のビアホールがあるので、そこをメインとして神武東征じんむとうせいゆかりの神社に行く――なんて魅惑的なオフ会が企画された。これはもう参加するしかない。
飲酒するなら一泊したほうが良いな。行先に等彌神社とみじんじゃが含まれていることだし、此度の旅行は、神武じんむ天皇即位前後の神話をテーマにしよう。と計画するうちに、こんな疑問にぶつかった。神武天皇の皇后は、オオモノヌシの娘なのか、コトシロヌシの娘なのか?

日向ひむか高千穂宮たかちほのみやを出発したイワレビコが、苦難の末に大和やまと橿原宮かしはらのみやで初代・神武天皇として即位するという神話は、神武東征や建国神話と呼ばれる。即位にあたって神武天皇は皇后を求めるんだけど、『古事記』と『日本書紀』とでその出自が異なるんだよね。
『古事記』ではオオモノヌシの娘のヒメタタライスケヨリヒメといい、『日本書紀』ではコトシロヌシの娘のヒメタタライスズヒメという。名前も微妙に違うけど、何より父神がオオモノヌシだったりコトシロヌシだったりするのは、皇統に関わる見過ごせない重大な事柄だと思うわけで。
この違いは何を意味するのか、そして可能ならどちらが本来的な物語なのかまで、偉大な先人たちの研究を参考にしながら、読み解いてみたい。もちろん、諸説あるのは承知の上でね。


まずこの記事では、オオモノヌシについて見ていきたい。

オオモノヌシは、奈良県桜井市の大神神社おおみわじんじゃの御祭神として知られる。大神神社は『延喜式』神名帳に「大神大物主おおみわおおものぬし神社」とある式内社で、本殿が無く、背後の三輪山みわやまを御神体とする原初的な信仰形態を留めているのが特徴。三輪山は御諸山みもろやま三室山みむろやまなどとも呼ばれる。
御室みむろ/みもろ」は、『万葉集』に「祝部らが斎くみもろのまそ鏡」などと詠まれるように、神さまが来臨する場所を意味する普通名詞。「御諸山」とは神さまが鎮座する山の意だけど、「みもろつく」が三輪山にかかる枕詞であるように、三輪山がその象徴的な存在であり、特に神聖視されてきたことを表しているんだろうね。
「御諸山の神」とは三輪山の神霊で、それをお祀りしたのが三輪山祭祀のはじまりと考えて良いと思う。

三諸岳みもろのおかの神の姿を見たい雄略ゆうりゃく天皇が、少子部ちいさこべのスガルに捕らえてくるよう命じる話が、『日本書紀』雄略巻にある。
スガルは三諸岳に登って、大蛇を捕らえてきて天皇に見せた。それは雷のような音を立て、目をキラキラと輝かせた。
という。
山の神霊がヘビの姿で現れるので、少し新しい所伝といえる。またその様子から、雷神を思わせるよね。

『日本書紀』崇神すじん巻には、三輪山のそばの箸墓古墳はしはかこふんの由来を語る、いわゆる箸墓伝説が載っている。
神の妻となったのに、その神は昼は来ないで夜にだけやってくるので、ヤマトトトヒメは顔を見たいと夫に言った。大神は、「もっともなことだ。明日の朝、あなたの櫛箱に入っていよう。どうか私の形に驚かないように」と答えた。ヤマトトトヒメは変に思いつつも、明けるのを待って櫛箱を見た。すると麗しい小蛇が入っていたので、驚いて叫んだ。大神は恥じて、人の形になり御諸山に登った。ヤマトトトヒメは悔いて座り込んだ拍子に、箸で陰部を突いて死んだ。葬られた大市の墓を箸墓といい、昼は人が造り夜は神が造った。
という。
御諸山の大神はここでもヘビの姿で現れる。一方で人の姿にもなり、巫女的な女性との神婚が語られている。

『古事記』崇神巻にも、似たような三輪山伝説がある。
スエツミミの娘イクタマヨリビメの所へ、絶世の美男が夜な夜な通い、妊娠に至った。娘の両親はその男が誰かを知りたくて、麻糸を通した針を男の着物の裾に刺せと、娘に言った。娘が教えの通りにして朝になってみると、麻糸は戸の鍵穴を通り抜け、美和山みわやまの神の社で止まっていた。その麻糸が三巻分だけ残ったので、その地を美和と名づけた。
という。
男の正体が美和山の神だったことは明らかで、それがヘビであると直接は描かれていないけど、鍵穴を通るあたりに蛇体を想像させる。相手の女性の名にタマヨリ(魂が依りつく)とあるので、こちらも巫女のような存在を窺わせるよね。

そして今回のテーマである、神武天皇の皇后の誕生を語る『古事記』の丹塗矢にぬりや伝承にも、類似した要素がみられる。
ミシマノミゾクイの娘セヤダタラヒメは容貌が美しかった。それを美和のオオモノヌシが見惚れて、その美人がトイレに入った時に、丹塗矢に姿を変えて、トイレの溝の上流から流れ下って、その美人の陰部を突いた。美人は驚いたが、それでもその矢を持ち帰って床のそばに置くと、矢はにわかに立派な若い男に変身した。そうして男がその美人と結婚して生まれた子が、ヒメタタライスケヨリヒメという。
ツッコミどころ満載のお話なんだけど、それをさしおいても考えるべき点が多い。詳細は別記事に譲って、ここではオオモノヌシの神婚譚であることだけを確認して、次へ進もう。

『日本書紀』神代巻第九段の一書(第二)では、出雲いずもの国譲りに続いて、フツヌシが方々を巡り歩き平定したとある。
従わない者は斬り殺し、帰順する者には褒美を与えた。この時に従った首長が、オオモノヌシとコトシロヌシだった。そこで八十万神を天高市あまのたけちに集め、神々を率いて天に昇り、その誠の心を披歴した。その時、タカミムスヒがオオモノヌシに、「お前がもし国つ神を妻とするなら、私はお前がなお心を許していないと考える。そこで、我が娘のミホツヒメをお前に娶わせて妻とさせたい」と言った。
という。
大和、ひいては国つ神を代表する神として、オオモノヌシとコトシロヌシが現れていて、オオモノヌシは天つ神の娘との結婚にまで及んでいる。

崇神天皇の時代に、オオモノヌシの祟りによる疫病が起こるという伝承が、大同小異はあるものの『古事記』にも『日本書紀』にも記されている。
オオモノヌシは崇神天皇に託宣して、疫病は自分の祟りであること、自分の子孫であるオオタタネコに自分を祀らせれば、祟りが消えることを教えた。崇神天皇はオオタタネコを探し出し、オオモノヌシを祀らせた。さらに諸々の神を祀ると、疫病がまったく止んで、国家は平安になったという。また、オオタタネコは賀茂かも氏・大神おおみわ氏の祖先である。
という。
最後に国造り神話。『古事記』には、オオクニヌシの国造りの途上、海面を照らして近寄ってくる神がいたとある。
その神は、「私を十分に祀るならば、私もあなたと一緒に国を造り成しましょう。もしそうしないならば、国造りは成功しないでしょう」と言った。そこでオオクニヌシが、「お祀りするには、どうしたらよいですか」と問うと、その神は、「私をやまとの青々と垣をなすその東側の山の上に祀りなさい」と答えた。これが御諸山の上に鎮座している神である。
という。
『日本書紀』では、オオナムチが国造りを終えたとき、海から不思議な光がやってきたとある。それから、
「私がいたからこそ、お前は大きな国を作ることができたのだ」と言った。オオナムチは、「ではお前は何者か」と尋ねると、「私はお前の幸魂さきみたま奇魂くしみたまだ」と答えた。オオナムチはそれを認めつつ、「どこに住みたいと思われますか」と訊いた。すると、「私は日本国やまとのくに三諸山みもろやまに住みたい」と答えたので、宮をその所に造って住まわせた。これが大三輪おおみわの神である。
という。
祀らなければ国造りは失敗するし、疫病を引き起こす恐ろしい祟り神だけど、祀れば国造りは成就するし、国家に平安をもたらす恵みの神となる。祀らないとマイナスが大きいけど、祀ると大きくプラスにも転じる、強い強い神格が窺えるね。

文献上の時系列を取り払って「御諸山の神」の伝承を並べてみた。このように見ていくと、ヘビ神(雷神)として土地に根ざした神である一方、賀茂氏・大神氏の祖神おやがみであり、国の動静さえ左右する神でもある。
自然に対する畏怖の念の表れであるヘビ神・雷神が、元来在地で信仰されてきた神さまの姿だろうね。そこへ氏族の祖神としての性格が加わり、さらには日本全体のモノを支配する神に位置づけられていったんじゃないかな。
オオモノヌシが重層的な神格を有するからこそ、大神神社は、山を御神体とすることと氏族の祖神を祀ることが、矛盾しないで成り立っているんだろうね。


さて、旅行記録がとても短くなってしまいそうだけど、それでも残しておきたい。
久しぶりの単独行動で嫁はお留守番なので、早朝から動き始めるという無茶ができる。5時半に出発し、7時半前に大神神社駐車場に到着。連休中日とはいえ、こんな早くにそこそこの台数が停まっていた。虫よけスプレーを全身に振り、日傘を差して歩き出す。


さすがに境内は静か。何度か訪れているけど、こんなに人気が無い大神神社は初めてだ。陽光は容赦ないが、空気が清々しい。
柏手を響かせ参拝を終えたら、オオモノヌシと切っても切り離せない摂社へと向かうのだ。

【参考文献】
大物主神と事代主神 7 文末参照

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