奈良博 大安寺のすべて
2022年5月2日月曜日
20:00
この寺院の重要性もさることながら、僕が興味を持ったのは、阿閇ちゃんの一周忌供養として、娘の氷高ちゃんが供養具などを大安寺に寄進していたからだよ!
朝はゆっくり起きて体調・体力を最優先。お昼ご飯を食べたら出発。平日とはいえGW真っ只中、予め渋滞予想をチェックしておいた甲斐があり、スムースに奈良まで走れた。心配していたいつものコインパーキングも満車にはなっておらず、無事停められた。ホテルのチェックイン開始時刻まで30分もある。せっかく生まれた余裕だから、活用しよう。
というわけで、奈良博へ向かう前に興福寺へ。春の北円堂特別開扉を催しているので、3年ぶりに拝観。四天王像を改めて目に焼き付けておこうと。これが奈良博の特別展と関連しているのだ。
それにしても、観光客が増えたね。その中を歩いている自分たちも、人のことをとやかく言えないけど。
それから奈良博の東新館にて、チケットを購入。カバンと上着をロッカーに預け、音声ガイドを借りたら、特別展『大安寺のすべて』の鑑賞を始めた。
特に印象に残った展示を中心に述べていこう。
まずなんといっても『
しかも、冒頭の縁起部分だけしか見られないと思いきや、件の奉納物が載っている箇所も広げてあってさ……!供養具の項の、
右平城宮御宇 天皇以養老六年歳次壬戌十二月七日納賜者灌頂幡の項の、
右平城宮御宇 天皇以養老六年歳次壬戌十二月七日納賜者というのが、それ。養老年の「平城宮御宇天皇」といえば元正天皇こと氷高ちゃん、「養老六年十二月七日」は元明天皇こと阿閇ちゃん崩御から一年の日付。もう嬉しくって、しばらくかじりついて読んでしまった。
全面に捺された、改竄防止の
ちなみに、『資財帳』には舒明・天智・天武・持統・文武・元正・聖武の奉造や施入はあるのに、元明は見えない。詔などから仏教カラーが薄い印象の阿閇ちゃんだけど、こんなところにもそれが感じられるんだよね。
次に、百済大寺の有力な比定地・吉備池廃寺や、高市大寺の候補地の藤原京左京六条三坊(木之本廃寺)・小山廃寺、文武朝の大官大寺跡、大安寺旧境内などからの出土品たち。軒平瓦や磚仏から大寺院の存在をうかがうことができる。彩り豊かな釉薬が施された
奈良時代前期の仏像8躯も素晴らしい。中でも、十一面観音立像の胸飾りの精巧さは圧巻。こんなにも美しく刻み出せるものなのか。
『日本霊異記 上巻』や『諸寺縁起集』など、馴染みのある文献の実物を見られたのも収穫だ。
是非とも拝みたかったのが、『刺繍釈迦如来説法図』。大安寺のものではないが、日本に伝わる古代の
『資財帳』に「合繍仏像参帳」とあり、この同時代の作品から、失われた大安寺の繍仏の姿を偲ぶことができる。
なお、3帳のうち1帳は縦横約670cmというから、これよりさらに大型ということに。百済大寺の金堂本尊の可能性があるのも頷ける。
『
大安寺の礎を築いた
天智天皇の時に造られた、今は無き釈迦如来像の姿に迫ろうという、関連展示も面白かった。返す返すも、多くの寺宝が今日に伝わっていないことが残念でならない。
そして最後は、興福寺北円堂の四天王立像のパネルを中心に、大分・永興寺と香川・鷲峰寺の四天王立像が左右にズラリ。この2組の四天王は、北円堂像の模刻とのこと。北円堂像はかつて大安寺にあったことが、台座の最下底部裏面の墨書から読み取れるらしい。これを予習していたから、先に北円堂に寄ったってわけ。こうして比較できる工夫がお見事。
奈良時代の仏像群や出土品、大安寺伝来の各地に散らばった宝物の数々など、派手さこそないものの日本初の勅願寺として隆盛を誇った、“大寺”の魅力がぎゅぎゅっと詰まった素敵な展示だった!
僕の興味が前半殊に強く、嫁も興味深そうにじっくり回っていたので、後半ペースアップせざるを得なくなったほど。2時間半ではちょっと足りなかったかもしれない。
急いだ理由は、夕食を予約していたから。いそいそと図録だけ購入して、奈良博を後にした。
向かったのは、老舗料亭『菊水楼』内にある本格江戸前鰻料理『
正面の暖簾をくぐり、左手の趣のある石畳を進んだ先に、『うな菊』の入口が。店内も落ち着いた雰囲気。店員さんの接客がまた丁寧で、これなら目上の方の接待にも利用できそう。
注文したのは、蒲焼と白焼が半尾ずつ載ったあいのせ重。お吸い物は肝吸いに変更。飲み物に純米酒のうな菊ラベル。お猪口を選べたのが、些細だけど楽しい。活ウナギだけを使用するという贅沢さで、焼き加減が抜群だから美味しいのなんの!どちらもふっくら。蒲焼のタレが濃すぎず、ウナギ本来の風味が味わえ、白焼はよりそれを強く感じられる。あいのせ重を選んで良かった。うな菊純米もよく合う。
ここで敢えて奈良時代に寄せた話をすると、大伴家持の万葉歌に、
石麻呂に われ物申す 夏痩せに 良しといふ物そとある。当時はもちろん蒲焼なんかにはしなくて、煮るか白焼にして食べていたんだろうけどね。夏にウナギを食べて精力をつけようって発想が、その頃からあったのかもしれないんだよ。もうすぐ立夏。翌日の儀式参加に向けて、相応しい食事を摂れた。鰻 取り食せ