大物主神と事代主神 7 河俣神社
2023年7月16日日曜日
11:48
コトシロヌシが元々は大和国の鴨の神だったことを確かめられたところで、この神のもつ神格の普遍性について見ていこう。
コトシロヌシの「コト」は事・言・辞、「シロ」は代の字が充てられ、その名義については諸説あるものの、神の言葉を伝える、託宣の神という理解が通説。
神功皇后の新羅征伐の際に、コトシロヌシは託宣している。同じく戦時である壬申の乱でも、
『延喜式』祝詞式の「
自らの和魂を倭のオオモノヌシくしみかたまの命の名でと続く。宇奈提は奈良県橿原市大御和 の神奈備に鎮座させ、自らの子のアジスキタカヒコネの御魂を葛木の鴨の神奈備に鎮座させ、コトシロヌシの御魂を宇奈提 に鎮座させ
そして、『延喜式』神名帳の
コトシロヌシは、託宣という普遍的な神格をもつゆえに、氏族や地域を超えて、国家の神へと発展していったんだね。
もう1つの鴨の神アジスキタカヒコネはといえば、『古事記』や『日本書紀』ではアメノワカヒコの喪を弔った時に死人と見間違えられて暴れたくらいで、オオクニヌシの子という割には国譲り神話にも出てこない。それなのに『古事記』は、アジスキタカヒコネを「
「大御神」は、『古事記』では他にアマテラス・イザナギの2神にしか用いられない、最上級の尊称。大した活躍をしていないのにそう呼ばれるのは、『古事記』編纂時、コトシロヌシが鴨の固有の神ではなくなっていたため、「迦毛大御神」といえばアジスキタカヒコネを指すのが自明だったということなんじゃないかな。
「迦毛大御神」の名は、コトシロヌシにこそ相応しい。と言ったら言い過ぎだろうか。
オオモノヌシとコトシロヌシがどのような神か明らかになったところで、神武天皇の皇后の父神が2説ある理由に迫りたい。
父神をコトシロヌシとする『日本書紀』の伝承のほうが本来的とみられることは、鴨都波神社の記事にて確認した。ではなぜ『古事記』ではオオモノヌシの娘としているのか。これはもう、編纂方針の違いによるとしか言いようがない。
崇神・垂仁・景行の3代にわたる天皇が皇居を構えた
一方『日本書紀』では、神武~懿徳の4代続けてコトシロヌシの血筋から皇后が選ばれている。コトシロヌシが大和を代表する神であり、託宣という神格から国家的な存在にまで昇華する神であることから、こちらもまた皇統に適う。また、八尋熊鰐になるというところから、水神としての側面も持つコトシロヌシ。神代にて海神の娘トヨタマビメ・タマヨリヒメの血統を取り込んだように、さらに水神の血を入れるという構想もあったのかもしれない。
最初に掲げたテーマについて、一通り紐解くことができたと思う。もちろん諸説ある。その中から自分なりに納得した論考を咀嚼して、整理してみた。
古代史はわからないことが多い。だからこそ様々な可能性を見いだせて、面白い。今回の考えだって、研究の進展があればひっくり返るかもしれない。だから楽しい。
さあ、テーマの締めくくりに河俣神社へ向かおう。
ただ、河俣神社には駐車場が無い。近くにコインパーキングがあればと探したら、今井町西環濠広場駐車場を見つけた。鴨都波神社からは20分ほど。幸い空車で、無事に停められた。そこから歩いて15分。五井町の交差点の赤信号が長かったなぁ。
鎮守の森は鬱蒼としており、周りとは空気が違う。
鳥居の手前に達筆な万葉歌碑。説明板が無ければ読めなかったよ。
と刻まれているらしい。卯名手の社の神というのは、コトシロヌシのことだね。思 はぬを思 ふと言 はば真鳥 住む卯名手 の社 の神 し知らさむ
拝殿にて拝礼。
格子の隙間から手を伸ばすと防犯ブザーが鳴るとネットで見かけたけど、手前にお賽銭入れの口があったから、その心配は無かった。
本殿を見ることが神社参拝の楽しみのひとつなんだけど、ここは近づくことができず、残念ながらあまり見えなかった。
その本殿の周囲に神職さんと思しき人影があって、何かされているようすだった。お祭りの準備というわけではなさそう。
駐車場に戻りながらふと南東を見やると、畝傍山。暑くてたまらないけど、抜けるような青空が気持ち良い。
そして、神武天皇即位の地との近さを実感する。葛城の鴨のコトシロヌシさまも良いけど、高市のコトシロヌシさまも良いね。
【参考文献】
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鈴木正信『大神氏の研究』雄山閣,2014年
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谷口雅博「古事記における大物主神:その位置付けを中心として」『国学院大学大学院紀要 (21)』国学院大学大学院,1989年
塚口義信「古代伝承と五世紀のヤマト政権(朝廷)」『古代伝承とヤマト政権の研究』1994年
塚口義信「神武天皇と大物主神」『三輪山の神々』学生社,2003年
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土橋寛「神話と歴史:大物主神をめぐって」『日本文学 (22-8)』日本文学協会,1973年
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