大物主神と事代主神 6 鴨都波神社
2023年7月16日日曜日
10:56
いよいよ神武天皇の皇后誕生伝承を検討していこう。
『古事記』では、
美和のオオモノヌシがという。丹塗矢 (朱塗りの矢)になって、ミシマノミゾクイの娘のセヤダタラヒメの陰部を突いた。娘が持ち帰った矢が若い男の姿になって娘と結婚し、ヒメタタライスケヨリヒメが生まれた。
『日本書紀』では、
コトシロヌシがという。八尋熊鰐 (大きなサメ)になってミシマノミゾクイヒメ(あるいはタマクシヒメ)の所に通い(あるいはミシマノミゾクイミミの娘のタマクシヒメと結婚し)、ヒメタタライスズヒメが生まれた。
神がオオモノヌシだったりコトシロヌシだったり、化けるのが丹塗矢だったり八尋熊鰐だったりするけど、相手がミシマノミゾクイの娘であることは共通している。異伝があるにしろ、この点は動かなかった、あるいは動かせなかったんだろうね。
ミシマノミゾクイの
また、『記』『紀』とよく似た伝承が『山背国風土記』逸文の
ホノイカズチが丹塗矢になって川を流れ、カモタケツノミの娘のタマヨリヒメが矢を取って寝床に置いていたら妊娠し、カモワケイカズチが生まれた。という。『新撰姓氏録』山城国の神別・天神に「賀茂県主」がタケツノミの子孫とあるのを持ち出すまでもなく、この伝承が賀茂氏に関わることは言うまでもない。
ということは『記』『紀』の丹塗矢型神話も、元来は賀茂氏の伝承だった可能性が高い。これらのことから、父神を鴨の神コトシロヌシとする伝承が、本来的とみられるんだよね。
『姓氏録』大和国の神別・地祇「大神朝臣」条にも、これらと類似した伝承がある。
オオクニヌシはミシマノミゾクイミミの娘タマクシヒメと結婚したが、いつも夜明け前に去り、昼には来なかった。そこでタマクシヒメは麻糸を神の着物にかけた。夜が明けて麻糸を辿っていくと、茅渟県の陶邑を通ってまっすぐ大和国の御諸山に至っていた。帰って糸を見ると、ただ三巻分だけ残っていた。それで姓をという。大三縈 といった。
大筋は『古事記』の三輪山伝説とほぼ同様だけど、相手がミシマノミゾクイの娘になっている。大神氏が持っていた三輪山伝説に、同祖関係を結んだ賀茂氏の伝承を取り込んだという意味では、『古事記』の皇后誕生伝承と同じだね。
娘の居住地が不詳だった『古事記』とは異なり、陶邑の近くに住んでいたらしいことが読み取れる。が、三輪山まで距離がありすぎることはすでに指摘した通り。ただ、そうまでして結び付けたかったほど、陶邑は重要な地だったということ。
なんにしても、あれこれ混ざりすぎ。
本来コトシロヌシの伝承だったものをオオモノヌシに置き換えたことで、『古事記』にもほころびや矛盾が生じている。
皇后誕生伝承で、丹塗矢で陰部を突いたことは神婚の暗喩と考えられるのに、そのあと男の姿になってまた結ばれている。おかしいとまではいえないけど、神婚は一度で十分だったはずだ。
オオタタネコ伝承では、オオモノヌシは自分の子孫による祭祀を望んでいるが、崇神天皇もオオモノヌシの血を引いていることになるので、天皇あるいはそこに連なる皇族が祀っても良かったはずだ。
さて、そういうわけで鴨のコトシロヌシさまにお会いしに行こう。
葛城一言主神社からこちらも10分ほどの近さ。ただ、駐車場への行き方がわかりにくい。国道168号線を進み、「三室」の交差点を東に折れ、青翔高校の東側の路地を北上すると、社号標と一の鳥居が左手に見えてくる。鳥居をくぐり、参道右側のアスファルトの路面を行けば、突き当たりに鴨都波神社専用駐車場がある。
この日はやけにたくさんの車が停まっていた。そのわけはすぐわかることに。
鳥居や神門の代わりのように、一対の狛犬が迎えてくれる。社号標の写真、撮りに行けば良かったな。
その先に祓戸神社。葛城の3社すべてにあったことになる。
拝殿前まで行くと、テントの設営やらで忙しなく働く人たちが。さらに、夏祭りの看板にはこの日の日付。あちゃ~、よりによって夏祭り当日に訪れてしまったのね。せめて、準備の邪魔にならないようにしよう。
ススキ提灯献灯行事というのが催されるらしい。拝殿にも提灯が吊るされ、素敵な雰囲気。
手早く、だけど丁寧に、参拝。
境内社は、八坂神社(スサノオ)・笹神社(イチキシマヒメ)・神農社(スクナビコナ)など。
御神木の奥に、伊勢神宮と宮中神殿の遥拝所があったのが、印象に残った。その意味については、次回に譲ろう。
落ち着かない参詣になってしまったけど、事前に確かめなかった僕が悪いね。それでも、きちんとご挨拶できて良かった。
【参考文献】
大物主神と事代主神 7 文末参照
大物主神と事代主神 7 文末参照