大物主神と事代主神 4 高鴨神社
2023年7月16日日曜日
09:44
オオモノヌシに続いて、コトシロヌシについてこれから考えようというのに、なぜアジスキタカヒコネが出てくるのかというと、『古事記』にて2神ともオオクニヌシの子とされていることと、関わってくるからだ。
神話での活躍を見ると、コトシロヌシが託宣の神であることは疑いないと思う。最も著名なのは
とはいえ、元々はどの地の神さまなのか。ここで『出雲国風土記』を確かめてみると、コトシロヌシは登場しない。『延喜式』神名帳の出雲国の条を見ても、コトシロヌシの名を冠した神社はひとつも無い。そう、出雲においてコトシロヌシの信仰の基盤は無いんだよ。
ではどこなのか。『古事記』では、
オオクニヌシが、タキリビメと結婚して生まれた子がアジスキタカヒコネといい、カムヤタテヒメと結婚して生まれた子がコトシロヌシという。とある。
アジスキタカヒコネのほうは、『出雲国風土記』
とある。葛城賀茂社は、『延喜式』神名帳の大和国・所造天下大神 (オオナムチのこと)の子のアジスキタカヒコネは、葛城賀茂社 に鎮座していて、この神の神戸なので、鴨(賀茂)という地名だ。
この高鴨の神と対になる
『古事記』や『日本書紀』などで、大神氏も賀茂氏も大三輪の神の子孫、オオタタネコの子孫とされている。オオモノヌシはオオナムチの魂とされ、アジスキタカヒコネやコトシロヌシとは親子関係となっている。大神氏と賀茂氏の祖神が共通というのが、神々の系譜にも反映されているんだね。
『新撰姓氏録』大和国の神別・地祇にも「賀茂朝臣」は大神朝臣と同祖とあり、オオタタネコの孫のオオカモツミは賀茂神社を奉斎したと添えられている。この賀茂神社が「高鴨阿治須岐託彦根命神社」と「鴨都波八重事代主命神社」のどちらを指しているかハッキリしないけど。
いずれにしろ、アジスキタカヒコネもコトシロヌシも、葛城の鴨の神、つまり大和の神だということ。
とすれば、1つの賀茂氏がなぜ2つの鴨の神を祀っているのか。それは、最初は1つだったものが、賀茂氏の勢力拡大に伴って2つに分けて、高鴨の神と下鴨の神ができたためと考えられる。それらにアジスキタカヒコネとかコトシロヌシとかいう名前が付けられたんだろうね。
『姓氏録』で見たように、単にカモの神といった場合にどちらを指すのか曖昧なのも、元が1つだったからじゃないかな。
というわけで、大神神社駐車場から葛城地方へ。移動効率だけを考えれば、先に葛城に行ったほうが良いんだけどね、早朝の大神神社の空気を味わいたかったんだよ。しかし、橿原バイパスから京奈和道の橿原高田ICにかけて、大渋滞にハマったのには参った。京奈和道に乗ってからもノロノロで、これなら下道を走ったほうが早かったかもしれない。冷房のお陰で、体力は回復したけど。
御所南ICで下りてさらに南下していくと、右手には青々とした金剛山地が広がり、一転気持ちの良いドライブに。どこかに車を停めて、写真の一枚でも撮れば良かったかな。
そうして徐々に上り坂になっていき、山裾とはいえ少し高い場所にあるんだと実感しつつ、高鴨神社第1駐車場に到着した。先客が数台。
鳥居をくぐった先に祓戸神社があったので、拝礼して心身を清める。
参道の西側には大きな池があり、舞台が水の上に張り出していた。
木陰から眺めている分には良い景色だけど、陽射しが厳しく日傘を差さないとツラい。
そこをまっすぐ進むと、石段の上に白木の立派な拝殿が見えてきた。鳥居脇の杉もかなり太い。
新しそうな拝殿にて柏手を打つ。
室町時代再建という本殿は三間社流造で、国の重文。社殿の撮影は御遠慮くださいとの注意書きがあったので、写真は無い。本殿を写すのは御祭神に対して無礼と考える、神職さんの方針だろうと受け止めたので、境内社すべて撮らないことにした。なので、境内案内図を代わりに示しておこう。
拝殿の東側の道は使えないようなので、西側の道から下りて、東神社へ。御祭神はアメノコヤネ・アマテラス・住吉三神。
周囲に摂末社が並ぶなか、目を引いたのが雷神社。ホノイカズチをお祀りしており、天神系賀茂氏とゆかりの深い神さまがいらっしゃることに、嬉しくなったからだ。
反対側に向かう途上にも境内社が点在していた。一言主神社の御祭神がコトシロヌシとなっていて、そう来たか、と。ヒトコトヌシとコトシロヌシは、いずれも託宣に通ずる神さまで、時に同一視されることもある。とはいえ、高鴨の地でそんな扱いになっているんだなぁ。
西神社の御祭神は、タキリビメ・アメノミカジヒメ・タキツヒコ・ヤムヤヒコ。母神・后神・子神2柱と、こちらはアジスキタカヒコネゆかりの神さまたちばかりだ。
風格漂う社叢は、さすが鴨の総本宮。良いお参りになったよ。
【参考文献】
大物主神と事代主神 7 文末参照
大物主神と事代主神 7 文末参照