大安寺と吉備池廃寺跡

2022年10月10日月曜日 19:26
大安寺だいあんじは、奈良市大安寺にある寺院。伝承では、聖徳太子が建立した熊凝精舎くまごりしょうじゃにはじまるとされる。その後、百済大寺くだらのおおてら高市大寺たけちのおおてら大官大寺だいかんだいじ/おおつかさのおおてらを経て、平城京に遷り大安寺と名を改めた。
春に奈良博の大安寺のすべて展を鑑賞したものの、現地はまだ参拝できていなかった。せっかく雨が止んだし、南下しつつ寄ってみることにした。氷高ちゃんが母・阿閇ちゃんの一周忌供養に供養具などを寄進したのが大安寺ということで、元正天皇展から繋がってもいる。

平城宮跡から大安寺までは、南東へ車でわずか10分ほどの距離。参拝者用駐車場には、先客が数台停まっていた。
平城京において大安寺は左京にあり、朱雀大路を挟んで反対側の右京には薬師寺が、ほぼシンメトリカルに位置する。遷都にあたり、計画的に造営されたということだ。実質的に舒明天皇による日本初の勅願寺で、かつては単に「大寺」と呼ばれた、奈良時代における筆頭寺院。


旧南大門の復元基壇の上に建つ南門。発掘調査で判明した南大門の平面規模は、なんと平城宮朱雀門と同じ。壮大な門がそびえていたに違いない。


門をくぐった先には中門跡の碑。向こうに現在は宝物殿が見えているが、このさらに奥に金堂が建っていたわけだ。
碑の上にだるまが載っている。後で寺務所に寄ってわかったことだけど、だるまみくじという授与品で、ここだけでなく境内のあちこちに並んでいた。ちょっと可愛い。


西を向くと今の本堂。拝観受付は寺務所とのことなので、そちらで拝観料を納めてから、中へ。
御本尊の秘仏・十一面観音立像が特別に開扉されており、すぐおそばまで近づいて拝むことができた。博物館での展示では、360度から見られたし、胸飾りの美しさに魅了された。だけど、仏像はやはり御堂の中で手を合わせるほうが、いいな……。


嘶堂いななきどうの馬頭観音立像も秘仏。秘仏2体同時開扉は12年ぶりだそうで、宝物殿が改修工事中で拝観できない代わりとのこと。こちらも特別展に出ていたが、やはりこういう機会というのは有り難い。
静謐な仏前で合掌する時間も好き。

お参りを済ませたら、史跡を確かめに行こう。嫁には少し車で休んでいてもらい、僕独りで旧境内の塔院地区までささっと駆け足。現境内の北側にも史跡は広がっているんだけど、大安寺式伽藍配置の特徴がよくわかり、かつその大伽藍の規模を体感するには、こちら側に行ってみたい。


西塔跡には奈良時代の心礎が残っている。七重塔が建っていたというが、バカでかい礎石からもそれを察せられるなぁ。


東塔跡にあるのは復元基壇。こうして見渡すと、西塔が遠い。なんて広大な寺域を誇っていたのか。

嫁の元に戻ったら、次はぐーんと南下して桜井市へと車を走らせる。吉備池の北にある広場の横のスペースに、停車した。ここも短時間の単独行動。


広場からは池に近づけないようなので、ぐるりと路地のほうへ回ると、神武天皇聖蹟磐余邑顕彰碑じんむてんのうせいせきいわれのむらけんしょうひが目に入る。
日本書紀の神武東征神話が語るところによると、神武軍が敵を破るに至って、大軍がその地に満ちた(いはめり)ので、地名を磐余いわれに改めたという。磐余は現在の桜井市南西部から橿原市南東部にかけた地域に比定されており、顕彰碑もこの範囲に含まれている。
訪れた主目的ではないけど、またひとつ回収できた。


春日神社の前を通り過ぎると、池のほとりに出た。吉備池廃寺跡と呼ばれる史跡だ。この一帯から伽藍遺構が発掘され、7世紀前半とみられる瓦なども出土しており、百済大寺であるとの見方が有力。つまり、大安寺の元となった寺院があった場所なのだ。
百済大寺の創建について、日本書紀には次のような記述がある。舒明天皇十一年(639)秋七月条には、
詔曰、今年造作大宮及大寺。則以百済川側為宮処。是以、西民造宮、東民作寺。
(舒明天皇が、「今年、大宮と大寺を造らせる」とおっしゃった。そこで百済川のほとりを宮所とした。西国の民は大宮を造り、東国の民は大寺を造った)
同年十二月是月条には、
於百済川側、建九重塔。
(百済川のほとりに、九重の塔を建てた)
皇極天皇元年(642)九月癸丑朔乙卯(3日)条には、
天皇詔大臣曰、朕思欲起造大寺。宜発近江与越之丁〈百済大寺〉。
(皇極天皇が大臣に、「大寺を造りたいと思う。近江国と越国の人夫を集めよ」とおっしゃった〈こうして造られたのが百済大寺である〉)
と。
吉備池廃寺跡は塔と金堂が東西に並び、法隆寺式伽藍配置に近い。基壇が極めて大きく、なるほど九重塔であってもおかしくないほど。池の向こう岸あたりに、そんな巨大な塔がそそり立っていたんだ……と想像を膨らませた。


池の堤防の上には、万葉歌碑が2つあった。天武天皇の御子の大津皇子の、
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲がくりなむ
と、そこから少し離れたところに大伯皇女の、
うつそみの 人なるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む
百済大寺の時代より少し後のことで、磐余の地と大津皇子にちなんだものだろう。にしても、ここにそんな切ない歌を置かれるとさ、感情がどこへ行けばいいのか振り回される~。
なお、春日神社にも歌碑があるらしいが、確認していない。
堤防を歩くだけでも、濡れた草を踏み分けながらだったので、随分と靴が汚れた。一周するつもりでいたけど、ここらで戻ろう。

続いては奈文研の藤原宮跡資料室。以前は、ちょっと変わったボランティアガイドさんのお話を聞くばかりで、一枚の写真も撮らずバタバタで終わってしまったから、その再挑戦と史跡が目当て。展示をじっくり見学できたのは良かったけど、また雨が降り出し、外を歩くのはちょっと厳しいなぁ。
むぅ、大寺跡巡りのはずが、中途半端になってしまった。寺社は雨の中でも情緒があるんだけどね、史跡は地味にツラい。こんな日もあるか。


気を取り直して、お茶して帰ろう。予め大安寺に着いたときに、『花水土香』さんにお電話して席を確保しておいたのだ。今期最終営業日に滑り込めた。
まず、可愛いウサギの工芸点心と小籠包をつまむ。小籠包が前よりさらに美味しく感じたんだけど、気のせいかな。単に疲れていたからかもしれないけど。それから、熱々ふわふわマーラーカオ。そのままでも美味しいし、金木犀ジャムをのせると、蒸しパンの甘味に金木犀の香りと酸味と塩味もほんのり加わって、深みのある味わい。またまた素敵なデザートに出会ってしまった。
毎度こんなに感動をくれるお店ってそうそう無いよ!味はもちろんのこと、おしゃれで落ち着いた内装に丁寧で温かみのある接客で、全体的に品があるというか。だからもう大好き。

なかなか予定通りにいかなかったけど、締めくくりが最高だったから良し!行きそびれた史跡は、近々改めて計画しよう。

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