即成院 圧巻の二十五菩薩

2016年10月24日月曜日 13:53

阿弥陀如来と二十五菩薩がズラリと居並び、極楽浄土を表現した世界が、京都市東山区の即成院そくじょういんにあるという。
二十五菩薩とは、臨終のときに、阿弥陀仏に従い浄土から来迎するとされる、25の菩薩。極楽へのお迎えのさまが立体的に描かれてるとは、実に興味深い。仏の世界を、現世にいながらにして観られるということじゃないか。

大報恩寺を出る頃にはお昼前。京都で昼食となれば、2年前に行ってすっかり気に入ってしまった『千登利亭』へ。ここの鯖寿司が美味いんだ。
おなかと心が幸せになったところで、即成院に向かう。近くにコインパーキングは無く、泉涌寺せんにゅうじの駐車場を利用することにした。あとで寄るつもりだし。


東大路通を泉涌寺道の交差点で東へ折れて、泉涌寺道を進むと山門が見えてくる。それを車に乗ったまま潜り抜け、500mほど走れば、駐車場に到着。知らなかったら山門の手前で進むのを躊躇いそうだ。
そこから歩いて、先ほど通り過ぎた即成院まで戻った。

即成院は泉涌寺の塔頭たっちゅう。弓の名手として知られる那須与一なすのよいちゆかりの寺でもある。


僕らの目当ては阿弥陀如来と二十五菩薩像。本堂に入ると特別拝観の受付があった。
拝観料を納めたら、その相手をしてくれた若い学生さんと思しき女の子が、堂内の案内までしてくれた。「簡単に説明」というのでそれを聞いて、そこで終わりだと思ったら、まだ続きがあった。内陣まで先導して、仏像についても解説してくれたのだ。ここまでやってくれるのね。最初気づかなくて、彼女の段取りを狂わせてしまったかな。申し訳ない。誰かが訪れるたび、同じ言葉を繰り返すんだろうな、大変だ。なかなか珍しい取り組みでもある。

さて、眼前の仏像群を改めて見上げる。内陣まで入れるということは、間近に拝礼できるということ。しかもスゴい数。
二十五菩薩を、長くなるのは覚悟のうえで列挙してみる。観世音かんぜおん薬王やくおう大勢至だいせいし薬上やくじょう普賢ふげん陀羅尼だらに法自在王ほうじざいおう白象王びゃくぞうおう虚空蔵こくうぞう徳蔵とくぞう宝蔵ほうぞう金蔵こんぞう光明王こうみょうおう山海恵さんかいえ金剛蔵こんごうぞう華厳けごん日照王にっしょうおう衆宝王しゅうほうおう月光王がっこうおう三昧ざんまい獅子吼ししく大威徳だいいとく定自在王じょうじざいおう大自在王だいじざいおう無辺身むへんしん
阿弥陀如来坐像は平安時代、定朝じょうちょうの作ではないかといわれており、重文。
本尊を除けば25躯のはずの仏像だけど、数えると26。なんと左端に如意輪観音菩薩が。如意輪は本来二十五菩薩には含まれない。如意輪には女の子の案内では一切触れなかったし、公式にも説明がなく、なぜ一緒に並べられてるのかは不明。
それにしても、まさに圧巻の一言!5mを超える阿弥陀如来と、周囲には手に手に楽器を奏でる等身大の二十五菩薩。オーケストラと称するのも合点がいく。
しかも、ただ数で圧倒されるワケではない。三十三間堂のアレもスゴいけど、この即成院の仏像たちは、来迎の様子そのものが現出してるのだから。彫り上げた仏師たちや、極楽浄土を願った平安期の人々の、強い力を感じずにはいられない。その迫力に押されるのだ。
そして、一体々々個性があって面白い。配置も芸術的だと思った。やっぱり、仏像はお堂に安置されてる姿が美しいなぁ。

気が済むまで眺めたら、せっかくなので那須与一の供養塔にも寄った。聞き覚えのある名前なのは、古典の授業で平家物語を習ったからだな。それ以上の感想が出てこないぜ。

振り返ってみても、最も印象に残ったのがココだ。良いものを拝めて非常に満足。嫁も良かったと言ってたよ。

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