奈良の高天原伝承地には神話のロマンがある
2016年10月10日月曜日
11:38
な、なんだって~!?とそれを知ったときは驚いた。神々の世界というとてっきり天、雲の上のことだとばかり思ってたから、この地上に存在するだなんて考えもしなかったからだ。思い込みとは恐ろしい。
行けるとなれば面白い、というワケで晴れた日を選んで行ってみることに。
ゆっくり7時半出発。第二神明、阪神高速から阪和道経由で南阪奈道に入り、葛城インターで下りたら、あとはのどかな地道を走る。このあたりまで行くと、古代史ファンとしては地名だけでウキウキする。
高天原は金剛山の麓に広がる一帯を指す。麓までといいながら、路はどんどん坂を上っていくことになった。
駐車場は
駐車場に近づくと、路肩に停められた車が列を成してた。その先の駐車場もほぼ満車状態。どうやら金剛山へのハイカーたちの車のようだ。さすが名峰。
しかし僕たちは周辺を散策したいだけ。なんとかスペースを見つけて駐車した。静かなところだけど、登山シーズンは要注意だな。
まずは高天彦神社に向かう。申し訳程度の参道だけど、相当な樹齢と思われる杉も生えてて、大切にはされてきてるんだとわかった。
鳥居と立派な標石が目を引く。特殊な字体で読みづらいけど、『神霊』だろうか。神社の主祭神タカミムスヒの『ムスヒ』は、一説にはムスとヒの2語から成り、ヒは神霊の意。ここに由来するのだろう。社号標は見当たらないので、これが代わりなのかな。下半分にも文字が刻まれてて内容が知りたいけど、部分的な単語しか読めない。
手水場は鳥居の横にある。標石に気を取られて、一度は見逃してしまったよ。
いつものように、まずは一礼して鳥居をくぐり拝殿でお参りを済ませる。
タカミムスヒは記紀の冒頭に出てくる位の高い神で、天つ神を代表する1柱といって差し支えないと思う。高天原にある神社として、これ以上相応しい神さまはいない。
ひとつ気になるとすれば、タカミムスヒの別名として高天彦神が挙げられてること。高天彦は古代の豪族、葛城氏の氏神らしいとまでは出てきたけど、ハッキリしたことは判らなかった。場所が場所だけに明確にしたかったんだけどな。
参拝客は、登山の安全祈願に訪れたハイカー以外には、ひと組だけカップルがやって来たのを見た。長居したのは僕らだけだ。
境内の摂末社には祭神がいっぱい。
本殿向かって左側に春日神社(タケミカヅチ,フツヌシ,アメノコヤネ,ヒメガミ)。そのさらに左が菅原神社(菅原道真)。
その横は三十八社(葛城三十八皇神)。地名といい祭神といい、これは葛城氏についても勉強したほうが良いか。宿題にしよう。
右手には八幡神社(崇神天皇,仲哀天皇,神功皇后,武内宿禰)。字が掠れて判読が難しかったけど、たぶんこれで合ってるはず。
少し離れて小さな社が並ぶ。
奥の左から順に、稲荷神社(ウカノミタマ)、市杵島姫神社(イチキシマヒメ)、御霊神社(井上内親王)。
とまぁ、境内は狭いけど盛り沢山だ。個別に触れるのはよしておこう。
社の奥には、案内のない塚がひっそりと佇んでる。
それが本殿の隣に弔われてる。なんて懐の深い神社なんだ。ちょっと好きになった。
三十八社の向かいには明治天皇と神武天皇の遥拝所が。並びが並びだけに、戦時中のことを連想せずにはいられない。今度はモヤモヤした気分になった。
次は、高天彦神社を出て高天原の石碑を見に行く。鳥居前を横切る葛城の道を北に歩き、この道標に従い道なりに東に折れてから、また北へ進んでいく。
すると、葛城の里を見下ろせるポイントに出くわした。周囲は美しい稲田、眼下には人里が広がる――こんな場所こそ高天原に似つかわしい。帰りに見掛けた観光客も、同じ場所でカメラを構えてた。それほど印象的な光景なのだ。
その先の橋本院の駐車場の片隅に、『史跡 高天原』の石碑が立ってた。ここの景観は正直良くない。それでも、石碑を見に行って良かった。
青空に映える緑の山々を眺めながら、ふと考えた。
僕の思い込みがそうだったように、現代の日本人は「天の神さまの言うとおり」など“天”の思想が染み付いてる。だけど古代の日本人の感覚は違ったんじゃないかな。例えば、島根県には黄泉の国へ続くという
つまり、神々の世界も死者の国も自分たちが住むところと地続きにある。そういう感覚だったんじゃないかと。
見事な山容の白雲岳を背にして、人々が生活する台地を見下ろす場所に、神々が住まう――そこを高天原と呼んだ。そう考えたらスゴくしっくりくる。
そんなことや拙い解説などを聞かせたら、嫁も面白がってくれた。広い心で理解のある彼女にはいつも感謝する。ほとんど僕の趣味みたいな観光地でも、楽しんでくれたのなら良かった。
あの景色を見てロマンを感じる。ただそれだけのために、この地を訪れた価値があったよ。