播磨国風土記にある石の宝殿に行ってみた

2016年10月29日土曜日 15:11

兵庫県高砂市の生石おうしこ神社には、石の宝殿いしのほうでんと呼ばれる不思議な大岩がある。JR神戸線に宝殿という駅があるので、前々から気にはなっていた。
播磨国風土記の賀古の郡にも載っている。
〈大国の里の伊保山の西にある〉原の南に作石あり。形、屋のごとし。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもまたかくのごとし。名号を大石といふ。伝へて云はく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なりといふ。
とあり、この作石つくりいしが石の宝殿といわれている。
気になる所が風土記と関連があるとなれば、俄然行ってみたくなるというもの。

予定のない週末の昼下がり。どこかへ出掛けたいな~。こんな時のために、近場の行ってみたい場所のストックがある。よし、生石神社に行こう。ただの神社ではなく珍しいものがあるので、嫁も興味を持ってくれた。
明姫幹線から狭い道に入って北上していくと、グラウンドのような駐車場に着いた。自宅からわずか30分足らず。播磨国在住なんだから、その風土記ゆかりの地が近いのは当たり前か。


道に対し斜めに構えた鳥居と参道が、いかにも後付けって感じがする。表参道は別にあるんだろう。
住宅街の中にある神社だけど、ちらほらと参拝客が訪れ、なかなか途切れない。地元民だけでなく観光らしき人も見掛けたから、自分が思う以上に認知されてるのかも知れないな。なんだか嬉しい。


坂を上り社殿のそばまで行くと、社殿正面に向かう階段が、休憩所の真ん中を貫くように延びてるのが見えた。こちらが表参道か。それにしても変わった構造だ。下を覗くと鳥居が見えた。面白い。


まずは拝殿にてお参り。
御祭神はオオナムチ(オオクニヌシ)とスクナヒコナ。播磨国風土記では、仲良く2柱一緒に登場することが多い。
拝殿の奥に進むと、拝観料を入れる箱が置いてあった。大人ひとり百円を納め、その先へ。


すると、間近に現れる巨岩!これが石の宝殿か。見られる空間が狭く距離が取れないので、カメラのフレームに収まり切らない。
岩を削り出して造ったようで、確かに人の手が介在してるとみえる。自然に成ったのではなく人工物だ。


後ろに回ると、屋根を思わせるような三角の突起があった。家を横倒しにした形だということが理解できる。


誰が、いつ、何のために、こんなものを造ったのか。実のところ良く判らない。
風土記の記述を信じれば、弓削大連ゆげのおおむらじすなわち物部守屋もののべのもりやが、聖徳太子の時代(6世紀末頃?)に造ったということになる。目的は不明。
神社の由緒書きによれば、
オオナムチとスクナヒコナがこの地に滞在した際に刻み、その工事中に反乱を起こした神を平定したが、石の宝殿は作りかけのまま捨てられた。
という。この場合、2柱の神の宮殿にするつもりだったということになるだろう。
神話好きとしては後者を推したくなるね。こんな神話が語られるくらい、古代の人々にとっても不可思議な物体だったってことかな。
神代、もっと新しいとしても1400年前、誰かが造ったことは確かなのに、そんな大昔からそれが謎とされてきた。ホントに不思議なもんだ。


横手に回り込むと、山上公園に続く石段があった。ここを上れば、石の宝殿を上から見下ろせるワケだ。


上からだと全体像が見て取れる。なんと上部には木が生えてる。植物の生命力……凄まじい。
それにしてもここってこんな高台にあったのね。町が見渡せるよ。そんな高いとこまで上った感じはないんだけど。この高低差にも驚いた。


このあたりは昔から採石場として有名。そんな土地柄から、岩の家を造ろうとしたんだろうか。


戻って末社にも寄る。左から、加志磨神社、恵美須神社、琴平神社、祖霊社。祭神の名も書かれてたけど、それに頼らずとも神社名だけですっかり判るようになってきた。好きなことって、いつの間にか頭に入っちゃってるよね。

親に連れられてきた小学生くらいの子供たちが、石の宝殿の周りを全速力でグルグル走り回ってるのを見掛けた。バターになる前にやめておけ。子供にとっては遊び場だよなぁ。

風土記には数行しかないエピソードが大半で、この石の宝殿もそのひとつ。だけど現地には、それ以上に感じるものの多くある場所だった。こうして訪ね歩くのは楽しい。

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