草部吉見神社と高千穂の神
2023年5月12日金曜日
13:42
ここにお祀りされている国竜神は、日向国からやってきた「高知保神」という伝承があり、メチャクチャ興味深いのでお参りしてきた!
まずは、くしふる神社や高千穂神社のエントリーで詳細は別途としていた、阿蘇の伝承について語りたい。
『阿蘇家伝』に収められた『阿蘇宮由来略(寛永年中(1624~1644))』によれば、
吉見社は国竜神の本祠である。国竜神は神武天皇の皇子ヒコヤイ(彦八井耳命)である。日向国より草部郷に来て、宮を造る所を探していると、池があってそこを気に入り、その水を谷に注ぎ流そうとしたところ、大蛇が現れて国竜神を追って来たので、佩いていた剣で斬り殺した。こうして宮を造って鎮まった。これが今の社地である。という。
また、同じく『家伝』に引く『阿蘇大明神流記(寛正三年(1462))』に付記された考証では、
高知保神といへるは吉見神のことなるべし。としている。
つまり、「草部吉見神 = 国竜神 = 彦八井耳命 = 高知保神」だということ!くしふる神社のエントリーにて詳しく述べたように、“高千穂”と呼ばれる地域は日向・肥後両国に跨り、草部の地も含まれる。日向国からやってきた「高知保神」は、『続日本後紀』の「日向国・高智保皇神」や『三代実録』の「日向国・高智保神」のことだろう。高千穂町三田井にお祀りされている「高智保皇神」は、ヒコヤイだったかもしれないわけだ!
ヒコヤイ(日子八井命/彦八井耳命)は、『古事記』や『先代旧事本紀』によれば神武天皇の皇子。『日本書紀』には見えないもの、『新撰姓氏録』はその点を指摘しつつ、神武の皇子のカムヤイミミ(神八井耳命)の皇子とする。『阿蘇宮由来略』では神武の皇子とする一方、カムヤイミミの皇子とする割注が付いている。
関連する伝承が豊前国(大分県)の宇佐神宮にもあって、『八幡宇佐宮御託宣集(正和二年(1313)神吽)』に「阿蘇一本縁記云(阿蘇のとある一書の縁起が言うには)」として、
阿蘇・高知尾・八幡の3人は神武天皇の皇子。だという。『託宣集』本文でも、
高知尾と八幡は兄弟であった。今はおじと甥である。と、異伝があることを承知している。
『家伝』の『阿蘇大明神流記(寛正三年(1462))』にほぼ同様の縁起が記されているので、『託宣集』のいう阿蘇の縁起を、参照しているのかもしれない。
ゆかりの深い阿蘇神社の御祭神について『由来略』は、
タケイワタツはカムヤイミミの皇子である。宇治郷より阿蘇に下ったあと、草部吉見神の娘と結婚した。としている。
ヒコヤイとタケイワタツの関係が、兄弟だったりおじ甥だったり親子だったりと、伝承の混同が激しいものの、神武天皇の子または孫である点が共通しており、近しい縁者とはいえるね。ヒコヤイの娘とタケイワタツは結婚しているので、その点でも強い結びつきがある。
ちなみに、『由来略』はタケイワタツを「阿蘇都彦」、その配偶神であるヒコヤイの娘を「阿蘇都媛」としている。「阿蘇都彦」と「阿蘇都媛」は『日本書紀』景行天皇段や『肥後国風土記』逸文に出てくるけど、神武天皇の皇子世代だとすると、時代が合わない気がする。阿蘇国造を、代々その名で呼んだってところじゃないかなぁ。
ところで、高千穂神社のエントリーで詳述したとおり、同社伝で十社大明神は荒ぶる神の鬼八を退治している。
阿蘇の口碑にも、鬼八が登場する。タケイワタツは鬼八を使役しており、弓を射ては鬼八が矢を取りに行くのを繰り返していた。最初は従順にしていたが、とうとう我慢できなくなり、矢を足の間に挟んで投げ返した。この無礼に怒ったタケイワタツは、逃げる鬼八を追い回し、捕まえてこらしめたという。
高千穂にも阿蘇にも鬼八伝説がある。しかも、高千穂での鬼八退治はヒコヤイの事績の可能性もあるわけで、阿蘇でのヒコヤイによる大蛇退治も、広い意味では荒神討伐譚といえる。神武東征によって空白地となった旧都をヒコヤイたちが救ったのだとすれば、記紀には無い番外編ともいえ、ますますロマンが膨らむね!
『新撰姓氏録』によれば、「茨田連」などのようにヒコヤイの後裔と称する氏族がいるわけで、『日本書紀』が書き漏らしたんだとしても、決して無視できない存在なんだよ。
これは何の根拠も無い妄想だけど、大和国でのメインストーリーとは直接関わらないから、ヒコヤイの活躍が記紀に載らなかっただけのかなぁと。
このように、高千穂と阿蘇の関係性は深く、高知保神ことヒコヤイで繋がっているといってもいいんじゃないかな。繰り返しになるけど、かつて“高千穂”と呼ばれた地域は、日向国と肥後国とに跨っていたんだからね。
さてさて、祖母獄神社から草部吉見神社へ、宮崎県から熊本県へ。レンタカーのカーナビにルートを任せてみたら、センターラインの無い狭い道路ばかり走らされる羽目になった。そんなこともあろうと軽四を選んでいたから、いいんだけどね。
行きに見かけた神社への道案内のある交差点を南に折れて、駐車場に到着。
鳥居脇の灯篭などが新しそうだわ立派だわで、いきなり目を引いた。
一礼して鳥居をくぐると、下り参道が。本殿の屋根まで見下ろせる。
参道に立てられた幟も真新しかったなぁ。
拝殿にて拝礼。前述の通り、主祭神は神武天皇の第一皇子ヒコヤイ。
僕たちの他に参詣者はおらず、静謐なひとときを過ごせた。
拝殿内に、ヒコヤイの大蛇退治を描いた絵馬が掛けられていて、めちゃくちゃカッコいい。
本殿は三間社流造。縁側のつくりといい、この地方の特徴なのかな。
手水舎の手前には「塩井社」と扁額の掛かった鳥居があり、奥には大蛇が棲んでいたという吉ノ池や、不老長寿の水が湧く長命の泉があるらしい。
らしいというのは、遠いのかなと思って確かめに行かなかったから。結果論だから言ってもしょうがないんだけど、時間余ったから行っておけば良かったなぁ。
境内にも灯篭があって、これが凄まじく凝った意匠。インパクト強い。
奉納品の数々から、とても崇敬されているお社なんだと感じさせられた。
神社の西にはまた、草部郷土資料館が建っていた。こちらも作られてあまり時間が経っていなさそうで、調べたところ2022年4月にオープンしたばかりのようだ。
ヒコヤイさまにお会いできるのを楽しみに参拝したのだけど、人々の思いのようなものに圧倒された。嫁と二人で、スゴいスゴいばかり言っていたくらい。
ここまで巡拝して、高千穂旅行をやり切れた感がある。まだあと少し続くんだけどね。