国見ヶ丘と祖母嶽神社の伝承

2023年5月12日金曜日 12:53

国見ヶ丘くにみがおかは、宮崎県西臼杵郡高千穂町押方にある丘。雲海の名所として知られる。神武天皇の孫のタケイワタツ(健磐竜命)が九州統治の際に立ち寄られ、国見をされたという伝説がある。
また、祖母嶽神社そぼだけじんじゃは、同町五ケ所にある神社。祖母山そぼさん絶頂の社地を上宮とし、麓の境内を下宮とする。神武天皇が海難の折に、祖母に祈ったことで助かったという言い伝えが残る。
どちらも神話ゆかりの地だし、特に国見ヶ丘は眺望が良いらしいので、行ってみたよ。

まずは国見ヶ丘について。
『八幡宇佐宮御託宣集(正和二年(1313)神吽)』に引く『阿蘇一本縁記』によれば、タケイワタツ(阿蘇大明神)は、
豊後国の大野郡の緒方村 → 日向国の臼杵郡の熊代村 → 肥後国の夜部山
というルートを辿って阿蘇に入る。
別のルートとして、江戸後期の阿蘇大宮司・阿蘇惟馨これかが編纂した『阿蘇家伝』に引く『阿蘇宮由来略(寛永年中(1624~1644))』によれば、
タケイワタツは神武天皇の命で九州平定のため、阿蘇に下向した。
という。また、『宮崎宮略縁起(明治二四年(1891)永友宗年)』によれば、
タケイワタツが神武の旧都の地である宮崎に社を建立した。
という。これらを踏まえたとみられる『阿蘇郡誌(大正一五年(1926))』は、タケイワタツの下向ルートを、
宮崎 → 安賀多(延岡) → 三田井(高千穂) → 阿蘇
と載せている。安賀多と三田井に立ち寄ったという文献は、見つけられなかったけど。
ともあれ、タケイワタツが高千穂に寄ったとする伝説は、どちらの道順でも成立する。国見をしたというのは、口伝なんだろうね。『高千穂町史(昭和四八年(1973))』の中畑神社条くらいしか、見当たらなかった。ちなみに、立ち寄った時の行在所の跡に社殿を建立したのが、中畑神社だそうだ。

ブランチが済んだら、三田井を離れ押方へ。といっても、ものの10分ほどで国見ヶ丘無料駐車場に着いた。
ここにも先客が数台。高千穂峡ほどではないとはいえ、平日でもどこへ行っても誰かしらいる。さすが人気の観光地だなぁ。


展望台へ歩いていくと、新しそうな看板があり、そこに書かれた文を見て、二人とも思わず「あーっ」と声を上げた。「ここの山の 刈干しやすんだよ 明日は田んぼで 稲刈ろかよ」とあり、二上山を見たあとに『美禄園』で見かけた文と同じ!「刈干切唄」っていう民謡の歌詞だったんだ。こんな形で謎が明かされるとは思いもしなかったよ。
刈干切唄かりぼしきりうた」は、家畜の餌にする草を刈る際の労働歌で、ここ押方地区が発祥の地らしい。


その先の、国見ヶ丘展望台からの景色が素晴らしい!東は高千穂盆地をまさに一望できた。


西には阿蘇方面が広がっている。タケイワタツの伝説の足跡を辿るとまではいかなくても、これから向かう場所を見渡せたのは嬉しい。


阿蘇五岳あそごがくまで良く見える。阿蘇五岳は阿蘇山の中核をなす5つの山の総称で、向かって右から根子岳ねこだけ高岳たかだけ中岳なかだけ杵島岳きしまだけ烏帽子岳えぼしだけ
機内から見たあの荒々しい山はやっぱり阿蘇だったんだなぁというのと、杵島の地名を目にしてニンマリした。今勉強していることと関係が深いんだよ。それはまた別の機会に。


北に進むと、二人乗りのブランコがあった。乗ってもあんまり面白みは無いなぁ。


展望台広場の脇に丸太階段があって、そこを上るとニニギの石像が立っていた。『日向国風土記』逸文が刻まれているので、前に跪いているのが、天降りしたニニギをお迎えした大鉗オオハシ/オオクワ小鉗オハシ/オクワとわかる。右のほうが皴が深いので、こちらが大鉗かな。


背後に回ると、ニニギが高千穂を見下ろしているように見える。タケイワタツの口碑が伝わる地なんだからそっちでも良い気がしたんだけど、これはこれで神話ロマンを感じるシチュエーションだなぁ。


この展望所にもブランコがあって、こちらは漕いでみると崖から飛び出すような爽快感が味わえる。絶叫系アトラクションがちょっぴり苦手な嫁は、怖いくらいだと。

雄大な眺めに感動し、ブランコでも遊んで満足した僕らは、国見ヶ丘を後にした。あ、中畑神社の遥拝宮に寄るの忘れていた。
そこから北へ20kmほど車を走らせ、五ケ所へ。


続いては祖母嶽神社。
祖母山の名は、神武天皇の祖母(トヨタメビメ)をお祀りすることに由来する、というのが通説になっている。標高1756mと宮崎県最高峰を誇る高山で、大分(豊後)と宮崎(日向)の境をなし、山麓は広く熊本(肥後)にまで及ぶ。山頂の上宮を遥拝するため、豊後・日向・肥後の3国各地に下宮があり、その祖母嶽下宮八社の中でも重視されたのが、五ケ所の祖母嶽大明神という。
祖母山の御祭神にはこんな伝説がある。
神武東征の際、紀伊水道(豊後水道とも関門海峡とも)で嵐に遭い、船がまさにひっくり返りそうになったときに、西南にある添利山(祖母山)を眺め見て、「あの山には私の祖母の神霊がいらっしゃる。どうか皇孫の危難を救ってください」と祈ったところ、波がたちまち静まった。
祖母嶽神社には駐車場が無かったけど、鳥居の前あたりに車を停められるだけのスペースがあったので、少しの間お邪魔させてもらった。


鳥居をくぐってすぐの由緒書に、先述と同様の伝承が彫られていた。『祖母・大崩山群(昭和三六年(1961)加藤数功)』に紹介されているくらいで、典拠が見つけられなかったんだけど、社伝なんだろうか。
しかし、海神の娘が高山に鎮座するっていうのは、違和感あるね。伝承を否定するわけではないけど、不思議な話と思うのは、自然なことかなと。天孫降臨や神武天皇にゆかりの深い土地だから、祖母という名前の山の由来を語るのに、結び付いていったのかなぁと想像。


拝殿にてお参り。主祭神はヒコホホデミとその配偶神トヨタメビメ。
同じ高千穂町内なのに、人気が無くなったなぁ。見慣れた風景というか、落ち着く。


本殿は瓦葺の流造。縁側の端に立派な彫刻があるのが、高千穂神社を彷彿させる。


神社を詣でたのは祖母山の遥拝のためなんだけど、さて……祖母山はどれだ。想像していたより、境内から高い山がいくつも見える。方角と、ちょこっと覗いている山容から、たぶん、これ(写真中央)。こんなことなら、国見ヶ丘からも確かめておくんだった。ともあれ、見えて良かったぁ。

ここまで順調に旅程をこなせたから、祖母山を拝む時間が確保できた。付き合ってくれた嫁に感謝。
旅はまだ続くけど、高千穂町とはこれでお別れだ。

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