意富夫良神社

2018年3月17日土曜日 10:23

意富夫良神社おおふらじんじゃ/おおほらじんじゃは滋賀県長浜市木之本町に鎮座する神社。長浜市企画の『長浜ものがたり大賞2016』奨励賞受賞作品、『大法螺おおほらの神々』の舞台でもある。
不思議な御縁を頂いて是非とも参拝したくなった神社に、いよいよ念願かなって行ってきた。先に言っておこう、そんな背景を抜きにしても、とっても素敵なお社だったよ!


木之本名物を朝食にしたあと、意富夫良神社一の鳥居の前まで戻る。流れに架かる太鼓橋に、立派な社号標。格式の高い神社であることが見て取れる。注連縄は化繊製のようだけど、黄色が鮮やかだね。前日降った雨のお陰か、青く澄んだ空が清々しい。
改めて一礼して鳥居をくぐる。


一直線に続く参道と、幾重の鳥居。それだけでも爽快だ。


参道脇にあった児童公園は、遊具がすべて真新しい。こんなシャレオツなジャングルジム、初めて見た。


またひとつ橋。それを渡って、結界の奥へと進む。


神馬。向こうには時計台まであって、神域が憩いの場であることを窺わせる。


拝殿と本殿に触れる前に、境内社などを挙げていこう。
豊栄神社とよさかじんじゃは神明さんとあったので、御祭神はアマテラス。


手前には、笏谷石しゃくだにいしを使ったおかっぱ狛犬。笏谷石は福井県で採掘される。長浜市は福井県に隣接するから、さもありなん。


その横には菅原道真の像。


彼を祀る田神山天満宮たがみさんてんまんぐう。菅公といえば、ちょうど梅の花が咲いてたよ。


稲荷社。


秋葉神社。ここの玉垣と鳥居も新しそうで、ピカピカしてる。


かつては大洞山おおほらやま、それが田神山、田上山と呼ばれるようになった境内の裏山。古戦場でもあるので、登頂できるようだ。道が整備されている。


それと、田神山観音寺。神社の隣というより、ほとんど同じ敷地に建つ。最澄が開山したと伝え、木之本の氏仏だそうだ。鐘楼もあった。
他には、なで牛や武将兜掛石、そばに癸巳会と刻まれた石碑のある神池など。


さて、前後したけど拝殿。
お賽銭は千円札を納めた。それから二礼二拍手一礼。
SNSでお世話になっている方が、世間の認知を高めようとされている神さまが、こちらにお祀りされている。どうしてもご挨拶したかったので、気持ちを込めた。


御祭神はスサノオ。オオナムチ、サルタヒコ、オモイカネ、ナシトミ(梨跡臣命)を合祀する。ナシトミさんこそが、そのお会いしたかった神さま。
背後の大洞山は、霊峰として古来より崇敬を集めた。山の麓に、このあたりの土地の開拓神として、牛頭天王ごずてんのうことスサノオと、中臣氏の祖ナシトミが鎮座。山腹にも3社があったが、織田信長の朝倉義景攻めによる兵火に遭い、麓の社に合祀されたという歴史がある。
元は2柱並び立つ形で祭祀されてたのに、他所から、いずれもネームバリューの高い神さまが寄せてこられたってことは……あれ、もしかして信長さんのせいで、ナシトミさん肩身の狭い思いされてる?
尊卑分脈そんぴぶんみゃく』という系図集によれば、ナシトミは、天岩戸あまのいわと神話で活躍したアメノコヤネを始祖とする系譜に名を連ねる。そして中臣鎌足、藤原氏へと続く。中臣氏ということは、託宣を職能としたと考えられるかと。諸説ある神さまだけど、この系図だけでも素直に受け入れると、ナシトミも歴史上欠かせない存在だといえる。世間的には無名だけど。


だけどね。
この日たまたま、地域の方々による境内の掃除が行われていた。それだけなら何も感じなかったかも知れない。でも、すれ違いざま「良いお参りでした」と声を掛けられたり、「どこからお越しで?田舎の神社もええでっしゃろ」と朗らかに笑いかけられたりといった、ふれあいがあった。あるいは遊具などを一新しているのを見た。こうしたことから、この神社がいかに大切に扱われているか、わかろうってもの。末席に列せられた開拓の祖神のことを、どのくらいご存知かは訊いていない。だけど、地元に愛されている。間違いなく。
それが伝わってきて、心から嬉しくなった。嫁も、いいところだね、と笑顔。


是非とも木之本にお金を落としていきたい。そう強く思った僕たちは、駅構内の『ふれあいステーション おかん』にてお買い物。


色々迷った末、インパクトのある地蔵せんべい(木之本地蔵院にはお参りしてないけど)、ダイコウ醤油さんのたまりせんべいを選んだ。


神社らしい開かれた空気。あたたかい人たち。今回の旅でも、早々に素晴らしい出会いがあった。本当に、本当に素敵な時間を過ごせたよ。

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