玉丘古墳に古代ロマンを求めるのは間違っているのか

2017年5月28日日曜日 17:24

播磨国風土記にこんな話がある。
オケ(のちの仁賢天皇)とヲケ(のちの顕宗天皇)の兄弟二人が、ネヒメという娘に求婚した。ネヒメはそれに応じる決心をした。ところが、皇子たちが互いに譲り合いをしている間に月日が経ち、ネヒメは老いて死んでしまった。悲しんだ二人は、彼女の墓を造り玉で飾るよう命じた。それで、その墓を玉丘という。
このネヒメ伝承の残る玉丘古墳は、兵庫県加西市にある。そこにロマンを求めて行ってみた。


晴れた日の昼下がり。天気が良いと出掛けたくなる。
年パス持ってるから兵庫県立フラワーセンターで、インパチェンスやリュウゼツランの花を愛でたあと、玉丘史跡公園に寄った。完全に僕の趣味である。


公園自体人気なようで、駐車場がかなり埋まってた。その一角に設置された自動販売機のデザイン。加西市のゆるキャラ、ねっぴ~が描かれてる。古代衣装を上手く取り入れてて、カワイイ。


公園内には合計7基の古墳が点在するらしい。入口入ってすぐ左手には、愛染古墳があった。こういうこんもりした円墳って、綺麗で好き。


たまたま目に付いたから寄ったけど、目的はあくまで玉丘古墳。周濠が巡らせてあり、かなり大きい。外堤は復元だそうだ。


周濠沿いに南側を歩いていくと、古代庭園なるエリアに着いた。埴輪がいっぱい置いてある。これが愛嬌のある顔が多いんだ。恐らく地元の子供たちが作ったんだろうね。公園から聞こえてくるはしゃぐ声と相まって、実に心和らぐ。
嫁はこれらの個性豊かな埴輪たちが、大層お気に召したようだ。楽しめる場所があって良かった。


埴輪越しに後円部を望む。
それにしても、冒頭で軽く触れたネヒメ物語、ハッキリいってヒドい話よね。
皇位を持つ二人からプロポーズされて、戸惑いつつもOKしたっていうのに、待てど暮らせどお呼びが掛からない。音に聞く美人だったろうから、他の男たちからも言い寄られたはず。それらをすべて断って待ち続けた挙句、入内が叶わないまま老死って。
オケ・ヲケ兄弟は、共に難関辛苦を乗り越えてきたからか、とても仲が良い。皇位も、譲り合いの末に弟が即位してる。そのせいで生まれた悲恋だよね。


訃報を聞いて、自分たちの行いを深く悔いたんだろう。だからせめて、朝陽も夕陽も隠れることなく照らし続ける地に、美しい宝石に彩られた墓を造ろうとした。当時の玉といえばたぶんヒスイかメノウ。皇族の陵よりも贅沢で、一際目を引く墓だったことだろう。写真はイメージとして、嫁のお手製ブレスレット。


ぐるりと回り古墳の北側まで行くと、立派な石碑などがあった。
玉丘古墳について整理すると、墳形は前方後円墳で、全長109m、築造は4世紀末。
さらに、身も蓋もないことを付け足すと、年代が応神天皇陵と同時期で墳形などから、被葬者は応神朝に貢献した地方豪族であると考えられている。さらに、顕宗・仁賢天皇の在位は5世紀末頃なので、百年ほども時代が異なる。
つまり、古墳とネヒメにはまったく関係が無い。ロマンぶち壊し。ああ……。

ただ、古墳のある玉丘史跡公園の住所は玉丘町76。玉丘は現在も地名として残っている。風土記から時を超えて存在する名前……ここにはロマンがあるよ~。

考古学や発掘調査の進展は甘美な夢を壊すかも知れない。一方で膨らむかも知れない。でもそれに関わりなく、語り継がれてきたエピソードの面白さは色褪せない。
事実は事実として受け止めたいし、物語は物語として楽しみたい。古代ロマンの危ういバランスの妙味について、考えさせられた気がする。

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