椿大神社と椿岸神社
2017年5月20日土曜日
15:51
2柱とも日本神話において比較的メジャーで、特にウズメは嫁も僕も好きな神さまなので、いつかご挨拶にお伺いしたかったところ。清々しい空気と、原始的な
なばなの里で美しい花々を観賞したあとは、日本随一の華のある神さまに会いに行こう。東名阪道を鈴鹿ICで下りて県道を走っていると、赤い大鳥居があった。くぐるときに車内でぺこりとするのも、もはや恒例だ。
そして椿大神社駐車場に到着。進入口が小さくて見落とし、一度奥の鳥居前まで行って引き返してから入ったよ。さすが伊勢国の一宮、広い駐車場が満車に近いほど、多くの参拝客がいた。
立派な社号標と鳥居。右側がやけに窮屈だな。
鳥居のすぐ先には
まずは手水舎で禊ぎを済ませる。水が出ているところは竜の口を良く見かけるけど、ここのはカエル。しかも、ピューッと口から噴き出してるみたいでユーモラスだ。
続いて獅子堂の写真を撮ろうと思ったんだけど、窓口の人の目がじっとこちらを見てるもんだから、気になってカメラを構えられなかった。なんだったんだ、あれ。
次の鳥居を抜けると、御祭神のサルタヒコとアメノウズメが描かれた巨大な絵馬が立て掛けられてた。
ここで神さまについてさらっておこう。
アメノウズメは、アマテラスが天岩戸に隠れてしまったとき、妖艶に神楽を舞い、アマテラスが出てくるのに一役買った女神。サルタヒコは、アマテラスの孫のニニギが天下りしたとき、天と地の間にある分かれ道で、天孫を道案内するために待っていた男神。
天つ神からすれば、得体の知れない光り輝く神サルタヒコに、気後れしないウズメが最初に話しかけた。それからニニギに付き従って地上に降臨したのち、ウズメは正体を尋ねたサルタヒコの名を貰うことになり、サルメとなった。このことをもって2柱が結婚したと解釈される。
サルタヒコは巨躯で鼻が長いとされることから、天狗のイメージで描かれることが多い。ウズメは乳房をあらわにして踊ったとあるから、絵馬もそのようになったんだろう。サルタヒコが導きの神とされるのは先のエピソードからだが、単に旅行安全というだけでなく、幸福や良縁などあらゆるものを導く神徳を持つ。ウズメが芸能の神なのは解りやすい。
それにしても、鎮守の森に覆われた境内は、特に緑の美しい時期ということもあり、非常に気持ちが良い。神域に相応しい雰囲気が好きだな~。
最奥の鳥居手前には2対の狛犬。そのうちの1対がずんぐり体型で可愛い。どんな狛犬がいるかは、寺社巡りの楽しみのひとつだ。
さあ拝殿へと思ったら、チラシを配る女性に声を掛けられた。宗教の勧誘かと訝ったけど違った。社殿前などで木彫り椿の美術展示を開催してるとかで、その案内だった。ツバキの花が咲いてても良い季節だけど、こんな展示をするということは、境内に本物の木は無いってことなのかな。
椿大神社は、仁徳天皇の夢に椿の字が出てきたことからその名を冠するようになったそうだけど、なぜ椿なのかは別の機会に調べてみたい。
拝殿にてサルタヒコさまに拝礼。
自分たちが退いたあとにも、ひっきりなしに参拝者が訪れる。遠慮して、慌ただしくその場を離れてしまった。もう少しじっくり社殿を観察したかったなぁ。
続いて僕らの主目的、椿岸神社へ。朱塗りの鳥居と拝殿が、女神さまらしいというか綺麗。
さっきので小銭が尽きた。でも、ウズメさまにお会いするためにここまで来たんだ、お賽銭なしなんて考えられない。ええい、この期に及んでケチケチすることはない。というわけで千円札を納めた。うん、このほうが晴れやかに拝める。お賽銭は金額の多寡ではなく、やはり気持ちの問題だね。
賽銭箱の横には
招福の玉なるものもあった。せっかくだからと、嫁が撫でながら祝詞を唱えてた。
さらに、かなえ滝という願いを叶える滝。で、ここにもカエルが。
女子旅向きというか、所謂パワースポットの多い神社だな。
由緒書を読んでると、近くにいた男性グループの話し声がふと聞こえた。
「アメノ……ホソメ?サルタヒコの奥さんかぁ」
『ウズメ』ですよ~!って教えたかったけど、あのくらいのお歳の方の多くは、頑なに自分の誤りを認めようとしないから、やめといた。ただ、間違えた人を責めることはできない。神名を知らなきゃまず読めない漢字。由緒書にルビ振ってほしいよ。いっそカナだけのほうが良いとさえ思う。
アメは天であり雨であり、元来的な日本語においてアメはアメなんだ。ウズメも鈿女でも宇受売でも良い。こと古代より伝わる言葉に関しては、乱暴にいえば、漢字そのものに意味など無い。だから大切なのは、読めるようにすることじゃないかなぁ。
余談だけど、古事記によればサルタヒコは、漁をしているときにヒラブ貝に手を挟まれて、海に沈み溺れてしまう。ウズメと結婚した、次の1行でいきなりだよ。どうしてそんなことに……。
かなえ滝からさらに東へ歩いていくと、
戸を開けた先には脱いだ靴がびっしりと並んでおり、そんなに流行ってるのかと思いきや、どうやら丁度団体さんが先客にいるようだ。どうすればいいか困ってると、奥から慌ただしく巫女さんが出てきて応対してくれた。前後して入った一人の男性やカップルと一緒に、立礼席で待つことに。
お茶を飲む人たちとそれを待つ人たち。静かで落ち着かない変な空気が漂う。ぼんやり眺めてると、巫女さんだけでなく、茶室の主と思しき着物姿の女性が接客に出てくるのが見えた。しばらくして先客が去ったあと、僕らも広間に通された。
正座は平気だが、お作法を良く知らない。多少なりとも知識のある嫁に従うことにした。そんな堅苦しい席ではないと思うけど。
出されたお菓子を食べ終えた頃、お茶が供された。巫女さんから受けられるなんて有り難い。珍しい経験をさせてもらった。
銘々皿は土産として持ち帰って良いとのこと。癖のない無地なので、食卓で使えそう。
一服したあと、そばにある松下社へ。茶室にも表れてるように、椿大神社と縁の深い松下幸之助を祀る。亡くなってまだ30年足らずという人だけど、経営の神さまと呼ばれ、神格化されている。
“無宗教”で“無神論者”と自称する日本人は多い。一方で、神絵とか「あの人マジ神だわ」とか去年流行った「神ってる」とか、割と気軽に“人を神にする”。そういうところに日本人の宗教観が滲み出てるよね。
このことを理解できずにいた頃は、ずいぶんと安っぽい神がいるもんだと斜に構えてた。でも違ったんだね。八百万の神がいるくになんだから、神さまとはそのくらい身近な存在だということだ。GODとは異なる概念だということだ。
行満堂神霊殿の奥には椿自彊館。弓道場って初めて見たから、テンション上がる。少しの間練習を見学した。背丈を超える長い弓を構え、眼差しを的に向ける立ち姿が、メッチャカッコいい。
周辺には教育勅語記念碑やさざれ石、亀甲石が点在してた。加えて椿立雲龍神社。立札以外は何ひとつ案内が無く、パンフや地図にも記載されていないため、祭神も由緒も不明。こういうのってもやもやする。
一度参道に戻って
最後に
周りを玉垣で囲われ、禁足地とされていた。社殿とはまた違った厳粛な空気が漂う。磐座というのも良いもんだ、と気づかされた。
この磐座といい御陵といい、本殿が建ち神社としての体裁が整う以前の、信仰の起源を垣間見たような心地がする。
ウズメさまに会いたいというだけで行ったけど、色々と得るものの多い参拝となった。ますます神社の魅力にハマってきたよ。