函館八幡宮からは函館の歴史が見えてきた

2017年5月26日金曜日 12:55

函館八幡宮は北海道函館市、夜景観賞で有名な函館山の麓に鎮座する神社。その変遷からは、函館の歴史が浮かび上がってきて、とても興味深く面白い。それを抜きにしても、社殿がカッコいい!


函館旅行二日目の朝、荷造りを済ませたらホテルをチェックアウトし、函館駅のコインロッカーにザックを放り込んだ。これで身軽に動ける。
朝食は『きくよ食堂 函館朝市本店』にて海鮮丼を。三種お好み丼なんていう素敵なメニューがあるので、ウニ・イクラ・イカと、好きなものばかりを選んだ。特筆すべきはミョウバンを使用していないウニ。その柔らかい口当たり、久しぶりに新鮮なウニ食べたわ~。

さて、市電に乗って神社近くまで行こう。函館駅前電停に向かうと、丁度電車が入ってきたので、慌てて乗り込んだ。ところがこれが函館どつく前方面ゆき。でも焦ることはない、確か乗り換えができるはず。十字街で下車する際、運転手さんに谷地頭やちがしらまで行く旨を伝えると、そこまでの料金を前払いすることで、乗換券を発行してくれた。下りた停留場で次の電車を待って乗り、無事に終点谷地頭まで行くことができた。なかなか面白い経験になった。
神社までは500mほどの距離だ。


大きな一の鳥居とその奥に函館山を望む。これ、白飛びしてるんじゃない、この日も霧が掛かってたの。どこからが空なのか判別つかない。
何やら路駐が多いが、これらが参拝客のものでないことは、境内に入れば判った。


社号標と二の鳥居。石段を上がっていく参道って好きだな。
ここらで函館八幡宮の由緒について記しておこう。
文安2年に河野政通こうのまさみちが現在の元町公園あたりに館を築き、その隅に八幡神を祀ったのが始まりとされる。この館は宇須岸河野館うすけしこうのだてと呼ばれ、遠くから見ると箱に似ていたところから、箱館という地名が発祥したらしい。寛政11年に蝦夷地奉行が河野館跡に置かれることになり、宮は現在の八幡坂の上に移された。この、江戸時代に坂の上に八幡宮があったから、今も八幡坂と呼ばれているというわけだ。その後、明治11年の大火で社殿を焼失するなどして、同13年に現在の地に移ったという。この神社もまた、大火の歴史の中にあったんだね。
時代が室町から江戸、明治と遷るなかで、函館八幡宮もまた移り変わってきた。函館という地名も起こった。八幡坂という名前も残った。この神社を紐解いていくだけで、こんなにも好奇心をくすぐる事柄が出てきた。


前日の、八幡坂を下から撮った写真。かつてこの上に鎮まられてたこともあったんだなぁ。


続いて三の鳥居。扁額の『神威』(アイヌ語で神の意)が良いね。


やけに鳩胸の狛犬。あんまり可愛くない。


社殿がムチャクチャ気になるけど、まずは拝殿にてお参り。
御祭神は八幡大神こと応神天皇。開拓と航海漁業の御神徳をもって、函館を守護されている。


拝殿と幣殿と本殿が連なるこの形式は、聖帝八棟造しょうていやつむねづくりという。迫力があって見栄えがする!後ろに函館山を背負った佇まいといい、境内の厳かながらやさしい空気が素敵。やっぱ神社建築好きだわ。日吉造とほぼ同じらしいので、確認のためにもいつか日吉大社にも参拝せねば。


境内社は鶴若稲荷神社(ウカノミタマ)。戦時中に建物疎開に遭い再興もできなかったり、この社も色々あったみたい。それが今はこの地に祀られてるのだから、地元の方々に大切にされてきたってことだよね。そう思うと心が温かくなる。

僕ら以外の参拝者は、ぽつりぽつりと訪れた。初詣は大変賑わうそうだけど、平日ならこんなものか。


境内の隅に群生していたタンポポの綿毛。なぜか嫁は心惹かれたようで、熱心にシャッターを切ってた。二人でカメラを持つと、同じ場所なのに違う絵があったりして、なかなか楽しいことになる。

帰りのフライト時間があるので、観光はここまで。
谷地頭電停で電車を逃した僕らは、タクシーを拾って函館駅まで戻った。


最後にオマケ。箱館ハイカラ號を写真に収めた。明治に使用されていた車両を復元したという、レトロな風貌がオシャレな市電だ。運行中は現在の走行位置をスマホで確認できるので、駅前で待ち構えたのだ。とりあえず見られたので満足。
空港までタクシーで行き、復路もプレミアムクラスで快適に過ごし、伊丹空港へ。

一泊二日でほぼ夜景目当てなのにそれに失敗。だけど、二日目の短い時間を有効に活用できた。北の大地にも魅力的な神社があったよ。
函館には再び行くことになるだろう(今度こそ夜景を!)。その時には、元町公園にも寄ってみようかな。

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