大避神社 坂越の船祭

2018年10月14日日曜日 17:03

大避神社おおさけじんじゃは兵庫県赤穂市坂越さこしにある神社。渡来系氏族である秦氏はたうじの中で特に有名な、秦河勝はたのかわかつが主祭神だ。毎年10月開催の“坂越の船祭”は瀬戸内三大船祭りらしい。

良い天気だしどこかおでかけしたいなぁ~、近場だと赤穂あたりとかいいかも、じゃあまず大避神社に行くかぁ。日曜の朝、そんな思い付きで行動開始。
赤穂市には、有り難いことにあちこち無料の駐車場がある。坂越港にも無料駐車場があり、無事に停めることができた。まだ10時だが結構埋まっている。


とりあえず観光案内板を確認していると、「今日はお祭りを見に来られたんですか?」と地元のおじさんからにこやかに声を掛けられた。聞けば、この日は“坂越の船祭”が行われるとか。
そういや10月の週末なんだから、祭りに出くわすことがあっても不思議じゃない。とはいえ狙ったわけではなく、まったくの偶然!なんだか、河勝さんに呼ばれたような思いがする。『大避大明神』と書かれた大きな幟が立っているのも、祭りがあるからなのかな。
他にも、祭り見物に良い場所や観光のメインストリート、食事できる場所などを教えていただいた。幸先の良いスタートだ。一日ここで遊べそう。


まずは河勝さんにご挨拶を。港から延びる参道を歩き、大避神社へ。そこここで祭りの準備が進められていた。


拝殿にてお参り。
御祭神は秦河勝・アマテラス・春日神。秦河勝は大避大明神とも称される。飛鳥で聖徳太子の側近として活躍した彼は、赤穂で偉大な神さまになっていたよ……。


境内の見所としては絵馬堂。廻船業で栄えた坂越らしく、多くの船絵馬が奉納されている。
日本最古の品もあるというけど、僕が惹きつけられたのは梅原猛先生の新作能『河勝』の絵馬。著名な学者さんの名前を見つけて、ちょっと嬉しくなった。


摂社の新宮には聖徳太子がお祀りされている。
本殿のほうには、祭りの主役であろう男衆たちが、ふんどし姿で続々参拝に訪れてきた。


その脇を抜けて、次は教えられた展望広場に行ってみる。そこそこ展望はあるものの、遮蔽物が多くて祭りの様子を眺めるにはどうなんだろ。
ともあれチェックできたので、さらなる眺望を求めて茶臼山を登ってみることにした。綺麗に整備された道があるので、装備不要のお気軽ハイク。


中腹には宝珠山妙見寺ほうじゅさんみょうけんじ観音堂。奈良時代の僧・行基ぎょうきの開山で、かつて大避神社の神宮寺だったらしい。
先客に子連れがいたけど、地元の方だろうか。


お堂の前で合掌。振り返ると、なかなかの眺め。しかしもう少し全容を見たい。


さらに登っていくと、妙見寺の奥の院があった。クモの巣の張ったお堂に朽ちかけた標識が物寂しい。維持するの大変なんだろうな。
そこから10分ほどで茶臼山山頂に到着。嫁のペースでゆっくり登っても、トータルで30分弱ってとこ。


ここなら生島いきしまが良く見える!生島は、東に御旅所おたびしょ、西に河勝の墓所があり、立ち入ることのできない神聖な島。ゆえに原始林が現在まで残されているそうだ。
大避神社の社伝によると、
河勝は、皇極3年、聖徳太子没後の蘇我入鹿の迫害を恐れて、海路より坂越浦に着き、当地を開拓したのち、大化3年に没した。
という。河勝が生きて着いた島であることから、生島と名付けられたとのこと。
古代へのロマンに思いを馳せられたし、そうでなくても景色が良いので、満足満足。

下山したら石畳の大道だいどうを歩いて坂越まち並み館へ。施設の女性に祭りの詳細なスケジュールや、館内の案内をしていただいた。ここは大正時代の奥藤銀行坂越支店を再利用した建物だとかで、大金庫が贅沢な物置として使われているのが面白い。
ここらへんで食事できると聞いたんだけど、それらしい店が見当たらない。貰った絵地図を頼りにうろうろしてみたら、読み方を間違えてだいぶ無駄に歩き回ってしまった。そのまま大道を奥へ進めば良かったのね……。


そうして『古道具&カフェ 暖木のんき』に辿り着いたものの、あいにく満席。だけど、席が用意できたら電話で連絡をくれるという、親切な店主さんだった。時間はあるのでお願いすることに。


待つ間に、オシャレな外装の『紡木つむぎ』に入ってみたところ、雑貨屋さんだった。カフェと間違えている人がいて、さもありなん。
素敵な食器などを見ていると、店員さんに話しかけられた。押しつけがましくない説明で好感が持てる。2階の服飾を見ようとしていたら連絡が来たので、一旦出た。


『暖木』に戻って、注文は二人ともプレートランチをチョイス。全体的に優しい味で、カニコロッケが特に美味しかったぁ。ご飯は古代米。赤穂でも作ってたんだ。食後のコーヒーも楽しめた。
店内には古道具が飾られていた。店主さんの個性がにじみ出ていて良いね。

今度は『紡木』に戻り物色。『暖木』で見かけた食器があったので、何らか繋がりがあるのかも。嫁がそれとなく聞いてみると、色んな陶芸家さんの作品を取り扱っていて、中には遠方から求めてくる方もいるとか。
僕はある陶器のグラスが気になったんだけど、結局買わず。


さあ、そろそろ頃合いだと展望広場へ。見下ろせば、参道沿いにたくさんの人々が集まっていた。そこまで混雑していないとはいえ、あの人混みの中に行く気にならない。ここから祭囃子を聞いているのが丁度良い。
しばらくぼんやり過ごしていたけど、試しに参道に下りてみたら、鼻高(サルタヒコ)と獅子がダッシュで浜へと向かうのを見ることができた。マジの全力疾走だった。
それから祭りのハイライト、バタ板架けが始まった。7枚の板を使って男たちが大道芸のようなパフォーマンスを繰り広げるもので、見物客は主にこれが目当てだそうだ。人に揉まれてまで見たいと思えなかったので、僕らは再び広場へ。
マイクの声でなんとなく何をやっているか想像しつつ、のんびり。


御分霊を遷された御輿が船に乗ると、合計12隻の和船が連なっての船渡御ふなとぎょが始まる。展望広場から船の列を見渡すことができた。結構いいな。
しかしメインのバタ板架けが終わったからなのか、海岸から見物している人数は混み合うほどではない。それならもっと近くに行ってみよう。


舟歌を歌っていたり、雅楽を奏でていたりする並んだ船を、眺めているのも楽しい。坂越湾を大きく西回りに回って、1時間ほどかけて生島の御旅所まで進んでいく。後半は歩いて追いかけた。


突堤より、御旅所に入っていく御輿を見届ける。このあと祭祀が行われて神社への還幸と続くが、日が暮れてしまうので、僕たちはここまでで引き上げることにした。

や~、良い一日になった。祭りの空気がそうさせるのか、普段からそうなのか、坂越の人たちはみんな温かい。たまたま祭りの日に当たったのも、縁だよね。「旅に遠い近いは関係ないね」と嫁が言ったように、ホント素晴らしい旅行になったよ。

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