賀茂別雷神社と特別参拝

2018年10月20日土曜日 20:11

賀茂別雷神社かもわけいかづちじんじゃは京都市北区にある神社で、上賀茂神社の通称で知られる。下鴨神社こと賀茂御祖神社と対を成す存在だ。山背国風土記にある神話の主人公がお祀りされているし、下鴨・上賀茂の、片方だけ行くなんてことはしたくないよね。
そしたらなんと、風土記神話の続きを知ることができちゃった!

ランチを済ませたら、車を北へ走らせる。それから府道103号を西へ。すると上賀茂神社前の交差点に出たんだけど、ロータリーになっているうえに七差路というカオス。一瞬どこを走ればいいのか迷った。
慎重に侵入し、無事に参拝者用有料駐車場に到着。結構埋まってる。おまけに場内に木が生えてて、避けて駐車する必要があった。あれ、大型車だと大変そう。ドライバーへの試練が多いなぁ。
車を下りて鳥居のほうへ行くと、いくつかお店があった。和菓子屋に蕎麦屋に漬物屋。うん、用は無いな。


一ノ鳥居の脇に見つけた『国宝・本殿特別拝観』の文字に、テンションが上がる。こっちでも特別参拝できるのね。
参道の両サイドがだだっ広い芝生って珍しいと思う。そこに馬に乗った人がいて、イベントか何かあったのかな。流鏑馬……の時期じゃないし。


二ノ鳥居の傍らにも気になる立札が。『上賀茂神社と謡曲「賀茂」』と題して、秦氏の妻女の玉依日売が云々と書いてある。要旨は風土記と同じだけど、素性が秦氏はたうじだって?神話についてはまとめて後述しよう。


鳥居をくぐった正面にある細殿ほそどのの前に、2つの砂山。立砂たてずなといって神さまの依り代なんだとか。
下鴨に続いて、ここでも白無垢の花嫁さんを見かけた。さすがは京都を代表するお社だねぇ。
手水舎で禊ぎをして先へ進む。


細殿の奥に佇む橋本神社の御祭神は、允恭いんぎょう天皇の妃・衣通姫そとおりひめ。小さなお社ながら檜皮葺の流造が美しく、思わず見惚れてしまった。衣通姫も美人だったらしいから、それが祠にまでにじみ出ているのかな。


楼門の前を流れる御物忌川。そこに架かる橋を渡る前に、少し東の石段の上にある須波神社に行ってみる。高さがあるから、良い景色が見られることへの期待もあったんだけど、手前の木々が楼門に被ってたので、写真は諦めた。
御祭神はアスハ,ハヒギ,イクイ,サクイ,ツナガイの5柱。総称して座摩神いかすりのかみというらしい。アスハとハヒギはオオトシの子、イクイとサクイとツナガイは、いずれも語義不詳だけど井戸の神か。はじめましての神さまに会えると嬉しい。


目に付いた摂末社に立ち寄りつつ、本殿前の中門まで行くと、参拝客がなぜか列を成していた。いやいや、横空いてるんだから広く使おうよ。人が拝んでいる隣に立ってはならない、などというマナーはないぞ。
僕らは広く使って拝礼。御祭神はカモワケイカヅチだ。

それからすぐ横の本殿特別参拝受付所で、初穂料ひとり5百円を納めた。そのまま奥へ進み、靴を脱いで直会殿なおらいでんに上がり、畳の上で他の参加者たちと待機。
十数分待ったところで、前の組が終わったらしく、神職さんがいらっしゃった。まずは、上賀茂と下鴨の字の違いについて教えてくださった。学者ははっきり言わないが、単に見分けるためだと。どちらの書状かパッと見て判断できるようにしたものだと。言い切っちゃったよ、スゲー。


そのあと、いわゆる“賀茂神話”を、室内に飾られた神話の絵画に添って説明してくださったんだけど……。

古事記や日本書紀と並ぶ古い書物である山城国風土記に載っていると前置きして。
タマヨリヒメが瀬見の小川のほとりにいたとき、上流から丹塗り矢が流れてきたので、持ち帰って床に祭って休んだところ、御子を身ごもった。御子が成人したとき、祖父のカモタケツノミが神々を招いて祝宴を開いて、その席で御子に向かって、「あなたの御父上と思う方に、お酒を注いで差し上げなさい」と言うと、御子は天に昇っていった。この御子が当社の主祭神カモワケイカヅチである。
――うんうん、知ってる知ってる。
天に去った御子に再び会いたいと親たちが悲しんでいると、夢に御子が現れて、「私に会いたければ、アオイカツラのかずらを作り、飾って待ちなさい」と言った。その言葉に従って祭りをしたところ、天より降臨した。その場所が当社の北にある神山こうやまである。
――え、ちょっと待ってちょって待って、そんな続きの話、知らない。少なくとも風土記には無い。

というわけで調べてみた。
夢で神託を受けてアオイカツラなどを用意して祭ると、カモワケイカヅチが降臨したという話は、賀茂別雷神社に伝わる賀茂旧記という古書に載っていた。
冒頭に風土記を引き合いに出したけど、語ってくださったのは社伝だったわけね。紛らわしいというか。だけど、お陰で神話の続きに触れることができた。
風土記も逸文として一部分が引用されて残っているに過ぎないので、元々は神山の地名由来伝承として語られていたのかもね。

タマヨリヒメが秦氏の娘とする、説明板についても補足する。
秦氏本系帳はたうじほんけいちょうに賀茂神話そっくりの話が載っていて、そちらを根拠にした説明だろう。賀茂氏と秦氏の関係の深さを暗示するものではあるけど、神社として秦氏が書いた(不確かな)ことを採用していいのかなぁ、と思った。

神話を聞いたら、浄衣じょうえ代わりの白い紙を首に掛け、神職さんによるお祓いを受ける。心身を清められたところで、いよいよ本殿の前へ。この流れ、出雲大社の特別参拝とよく似てるな。
通常は立ち入れない中門より内。国宝である本殿を間近に拝することができた。本殿を守護する金と銀の狛犬・獅子などについての説明を聞く。
1枚2千円の檜皮奉納のお願いもされたんだけど、名前を書いた檜皮は40年間神社の屋根にあり続けるということで、長い期間加護を受けられると、そういう主旨だった。それを、「1年で50円、1日あたりだと…」なんてことを付け足されて、“実質タダ”とでも言いたげ。神職さん、まさかソシャゲ廃人……?
下世話な話題に、嫁は嫌悪感。僕は別にいいんじゃないって思った。神社の維持にお金は必要だもの。
最後に二礼二拍手一礼。偶然だけど、聞くにも見るにも良いポジションにばかり当たった気がする。

そのあとは、高倉殿にて御神宝などの拝観で、自由解散。ここは特に印象に残る物が無かったなぁ。


さて、特別参拝が終わったところで、境内を隈なく巡っていこう。
摂社・奈良神社の御祭神は奈良刀自神ならとじのかみ。聞いたことがない神名だ。
刀自は古代における女性の尊称だけど、宮中の台所で雑役を勤めた女官のことでもある。案内には『学業成就・料理技術向上の神様』とあるから、後者の意味なんだろうな。
『この辺りを「ならの小川」と称する』という説明板もあったので、ならの小川の女神という意味ともとれる。


住吉三神をお祀りする岩本神社は、ごつごつした岩の上に立つさまが、なんともいえず荘厳。


さらに東へ歩いていくと、上賀茂神社の境内を抜け、二葉姫稲荷神社の入口に着いた。せっかくなので寄ってみる。
夏の台風21号の被害だろう、鳥居が何本も倒れていた。痛ましい光景だ。


稲荷社以外にいくつかお社があって、中でも僕が注目したのがこの、天之斑駒神社あめのふちこまじんじゃ
アメノフチコマといえば、記紀神話においてスサノオの悪行で皮を剥がれた、かわいそうなまだら模様の馬のことだ。その馬が神さまとなって祀られているんだね。珍しいし、思わぬところで神話に出会えて嬉しくなった。

また上賀茂神社に戻って残りの境内社も回り、疲れたからお茶でもとお店を探したりしたけど、全然なくて諦めた。なんてことがありつつ、帰路に就いた。

や~、面白かった!賀茂の上下社には、風土記神話ゆかりの地だからお参りしたのが、大きな理由だったけど、思った以上に収穫の多い参拝になった。嫁も(檜皮の一件を除けば)とても良かったと言ってくれた。
京都は平安時代以降のイメージが強かったけど、古代にも深い歴史があるんだね。面白くなってきた。

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