河合神社

2018年10月20日土曜日 10:44

河合神社は京都市左京区にある、下鴨神社の第一摂社。鴨長明にゆかりがあり、また女性守護の御神徳でも知られる。風土記にも関連する地なので、隈なく巡ってみることに。

三十三間堂から、下鴨神社の西駐車場を目指して車を走らせるも、下鴨本通りからどこで東に折れたらいいのかわからず、偶然見つけたコインパーキングに停めることにした。境内の近くに停められさえすればいいし、最初の目的である河合神社にはむしろ近かったしね。駐車場を探す時間がもったいない。


下鴨神社の鎮守の森は『糺の森ただすのもり』と呼ばれ、貴重な原生林であり国の史跡に指定されている。こんな立派な標柱が立っていた。
『糺の森』の名の由来は、『直澄ただす』=清泉が涌く州、『只州ただす』=川の合流する三角州など諸説ある。地図を見るとよく判るんだけど、賀茂川と高野川でY字になった間に挟まれた州に位置していて、いずれにしてもこの立地から来ている気がするね。
この先の鳥居をくぐれば、河合神社の境内だ。


河合神社の社殿を囲う玉垣の正面に、三井社みついしゃ。下鴨神社の分霊社のひとつだそうだ。真ん中にカモタケツノミ、西にその妻イカコヤヒメ、東に娘のタマヨリヒメ。


神門をくぐり、拝殿にてお参り。
河合神社は、正式名称を鴨河合坐小社宅神社かものかわあいにますおこそやけのじんじゃというらしい。御祭神はタマヨリヒメ。といってもカモタケツノミの娘ではなく、神武天皇の母のほう。
一般名詞としてのタマヨリヒメは、タマがヨるヒメ=神霊・霊魂が憑依する女=巫女のことで、播磨国風土記にも登場する。
一口にタマヨリヒメといっても、賀茂・天津神・その他一般で区別する必要があるわけだ。
ただ、気になったのが次のような由緒書の記述。小社宅は社戸ともよまれ、それは本宮の下鴨神社の祭神と同じ神々の意、延喜元年の官符に、
河合社、是御祖、別雷両神の苗裔神也。
とあること。河合神社と下鴨神社の御祭神は同じ、つまりカモタケツノミとタマヨリヒメだと。


本殿の横には末社が2つ。向かって右が貴布祢神社きふねじんじゃ、左が任部社とうべしゃ
任部社の現在の御祭神はヤタガラス。創祀時は専女とうめという穀物神だったそうだ。
ヤタガラスといえば、記紀神話である神武東征において、神武天皇を先導した大烏。また新撰姓氏録しんせんしょうじろくによれば、
ヤタガラスは烏に姿を変えたカモタケツノミ。
だとか。山背国やましろのくに(=現在の京都あたり)風土記の逸文には、
カモタケツノミが神武を先導した。
とある。さらに日本書紀には、
ヤタガラスの後裔が葛野主殿県主(賀茂県主と同一か)。
とある。賀茂氏の先祖が初代天皇を助けたっていってるよね。

ここまでくると、モヤっとしてくるわけで。
かつて河合神社の御祭神は下鴨神社と同じとみられていたのに、今は公式で神武の母神となっている。末社には神武を導いたヤタガラスが合祀され、現在はそちらが主になっている。元は別々の伝承だったのに、賀茂氏が皇族(あるいはその逆)に歩み寄っているように感じられる。あくまで私見だけど。
結局、河合神社にお祀りされているのは賀茂系なのか天津神系なのか、わかんなくなってきたぞ。賀茂氏について深く勉強してみたら、面白そうだ。


さて、境内を回ろう。
六社むつのやしろは北から、諏訪社すわしゃ衢社みちしゃ稲荷社いなりしゃ竃神かまどのかみ印社いんしゃ由木社ゆきしゃ


鴨長明の方丈。
長明って下鴨神社の禰宜ねぎの家系なんだってね。でもごめんよ、あんまり興味ないの。


鏡絵馬御化粧室。河合神社の御祭神タマヨリヒメの美しさにあやかって、鏡絵馬を奉納することによる美人祈願ができるとのこと。絵馬に描かれた顔に、自分の化粧道具か、この建屋に用意された色鉛筆を使って、化粧をするんだって。


せっかくなので嫁が挑戦。真剣、だけど楽しそう。


裏に名前と願い事を書いたら、棚に奉納。
他の人の絵馬を見ると、個性豊かでなかなか楽しい。髪の毛まで描き加えてるのもあって、その発想はなかったわぁ。


東側の鳥居をくぐって出ると、小さな橋の架かった小川が流れていた。これが風土記や新古今和歌集にある“瀬見の小川”か。
カモタケツノミが「狭小くあれど、石川の清川すみかはにあり」といったことから、その名が付いたとされる。風土記神話に触れたくて行ったというのもあるから、見られて嬉しい。わくわくした。

鏡絵馬というわかりやすい面白さと、謎を感じさせる歴史。思っていた以上に見所があったよ。

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