鴨社資料館 秀穂舎
2018年10月20日土曜日
12:55
下鴨神社から南下し御蔭通をまたいで、秀穂舎へ。
脇門をくぐり敷地に入ると、話し込んでいる男性が二人。そのうちの一人が僕らに声を掛けてくれた。係員さんだったみたい。下鴨神社で授かった拝観券を提示すると、秀穂舎と記された部分を赤線で消された。
おじさんに誘われるまま一旦門外へ出ると、あれこれ解説してくださった。この建物が鴨社学問所の絵司の邸宅であること、
一通り説明を聞いたら、靴を脱いで邸内に上がった。「ごゆっくり」とおじさんに見送られる。
まず神棚の間。館内は残念ながら撮影禁止のため、写真は無い。
下鴨神社の式年造替で出た古材を用いて神工が作ったという、御神像がお祀りされていた。
それよりも、僕の興味を最も惹いたのが床の間。『賀茂皇大神』という掛軸が掛かっていたからだ。
続日本紀にもあるように、賀茂社は平安京よりも前、藤原京の頃にはすでに多くの信奉を集めていた。
古事記にアヂスキタカヒコネの別称として登場する
天皇の名代である斎王について、伊勢神宮には
そして賀茂皇大神。
僕の浅い知識で知る限りのことを並べてみたけど、賀茂社あるいは賀茂氏が古代より如何に有力であったかが窺える。
これだけ繋がると面白い!!京都って平安時代以降のイメージが強かったけど、それ以前の歴史も深そうだ。飛鳥時代の天智天皇の御陵が山背国にあるのもピンとこなかったけど、知らない何かで繋がっているのかも知れないと思えてきた。や~、古代の京都面白い。
さて、主庭の奥に泉川の
で、そこへ行くアプローチの途中には反り橋があるの。橋は神社や寺院の参道に架かっていることが多いけど、これは現世と聖域とを分ける結界を意味する。家の中にそんなものまであるなんて。
っていうか、おっしゃれ~!ウチにも欲しいとか思った。
何も考えず建屋内をうろうろしたから、第二展示室のあとに第一展示室行ったりしたけど、企画展示にはあまり興味をそそられなかった。『官幣大社 賀茂御祖神社と下鴨村』というテーマで、明治期の官社制度に関する史料もいいけど、僕の関心は古代なんだよなぁ。
ひと巡りして玄関まで戻って、撮りそびれていた御井などをカメラに収めていたら、係のおじさんが僕たちの写真を撮ってくれた。それも場所を変えて2回。
この仕事が好きなんだろうな~、にこやかで親切で、心底楽しそう。良い人に出会えた。
期待していたものとは違ったけど、自分にとって大いに収穫のある見学になったよ。