狭野神社と高千穂宮と日本の建国神話
2024年4月19日金曜日
15:38
まずは『日本書紀』神代巻の続き……と行きたいところだけど、サクヤビメの火中出産伝承地に触れるなかで挙げた、元来は天孫降臨から神武東遷がひと続きのものだったとする説を、掘り下げておこう。そのあとで、「高千穂宮」を取り上げたい。
土地に根ざした伝承とは真逆の、グローバルな比較神話学に基づいた論述になるけど。
天孫降臨から神武東遷という日本の建国神話は、
これに関係し、騎馬民族が日本へ到来して大和政権を樹立した説まで唱えられた。この説は現在は概ね否定され、騎馬民族は来なかったがその文化は入ってきた、との見方が有力。
それはともかく、高句麗と
天帝の子が天降り、河の神の娘であるユファと結婚する。ユファは日光に触れて妊娠し、チュモンを生む。太陽の子とも称されるチュモンは王女と結婚し、ピリュとオンジョが生まれる。新しい国を求めて兄弟は放浪する。途上、陸の動物には妨害されるが、海や空の動物には助けられる。兄ピリュは海辺に求めて失敗し死に至る。弟オンジョは陸地に求めて成功し、建国して王朝の祖となる。ここから連想されるのは、天降りは「天孫降臨」、水系の母神は「トヨタマビメ」や「タマヨリビメ」、太陽の子は「日の御子」、新しい国を求めるのは「東遷」、妨害する陸の動物は「毒気の熊」、助けとなる海と空の動物は「亀に乗ったサオネツヒコ」と「ヤタガラス」、海を選んで死んだ兄は「イツセ」、陸を選んで建国した弟は「イワレビコ」――よもやこれほどとはね。似ているとだけ言われてもピンとこなかったけど、これだけ並べ立てられると、もはやそっくりとしか言いようがない。
省略したが、「国譲り」の要素もある。前妻の子が太子となったので、後妻の子である兄弟は譲る側になっているのが違い。放浪するきっかけになっているので、こちらのほうが筋が理解しやすい。
「天」の概念について、中国の天命思想が引き合いに出されることが多いけど、北方系の思想では「天」と「太陽」や「日月」を同一視している点が、それとは異なるといわれている。
建国神話の導入契機などには敢えて触れなかったけど、天孫降臨と神武東遷が繋がっているであろうことは、納得できたかなと思う。
高千穂峰伝承地について臼杵説・霧島説それぞれを確かめてきたけど、原形では、天孫降臨の地は特定の地名ではなかったのかもしれないね。そうであれば、「
となると、『古事記』や『日本書紀』の編者は九州のとある地名を意識して書いたにしても、「日向」は「日に向かう」めでたい地名だから選ばれただけということになるし、高千穂峰は特定の地名ではない説もまた、説得的ということになる。なんてこった。
では話を戻して、といいつつ物語としては少し進んで『古事記』(抄訳)より。
カムヤマトイワレビコ(倭伊波礼毘古命)と、その同母兄のイツセ(五瀬命)の二人は、初代天皇となるカムヤマトイワレビコとは和風諡号で、漢風諡号を高千穂宮 にいらっしゃって、相談して仰せになるには~後略~
『麑藩名勝考』・『薩藩名勝志』・『三国名勝図会』は、狭野神社の鎮座する狭野の地を、神武天皇の生誕地とする言い伝えで一致する。神武の幼名をサノというのが、地名にちなむことも同様。サノの原義は地名で、そこに神稲の意を絡ませたと考えると面白い。
「
宮の所在について『名勝図会』に、
高原の地はフキアエズ・神武天皇の皇居の跡で、古事記に見える高千穂宮とはここである。高原は高千穂峰の東北麓にあり、だから高千穂宮といえるのである。とある。また『狭野神社旧記』にも、
神武の東征の経路は、おそらく日向東面から船を出されたと思われるので、宮崎の地は海に臨んで港もあり、実に船を出すのに便利である。これによって考えると、始めはこの高原の高千穂宮にて軍事の方略を議定し、進んで宮崎に至り、行在所を建てられて留まられたのだろう。
(神武)天皇は狭野に降誕なさり、十五歳で皇太子としてお立ちになって、後に日向国の宮崎に都をお遷しになった。〈今、宮崎郡の下北方村は、皇都の遺跡であると言い伝えて、神武天皇の社としてあるという。〉とあることに注目したい。『旧記』は筆記年代不詳ながら、『名勝志』にこれを引用したと思われる箇所があるので、それ以前に書かれたものだろう。
さらに、『名勝考』鹿児島神社(現在の鹿児島神宮)の項を先行して挙げる。
ニニギが亡くなられた後、ヒコホホデミはこの宮内に鎮座されていたのを、海宮遊行の後に日向の地に遷都なさり、この地は兄ホスセリに賜ったので、後々までホスセリの子孫が、大隅・薩摩間を領有していたということだろう。これらにサクヤビメの火中出産伝承地・可愛山陵にて引いた伝承地を加え、総合的に勘案すると、次のような宮の変遷が浮かび上がってくる。
・笠狭宮(鹿児島県南さつま市)
→高城宮(鹿児島県薩摩川内市)
→高千穂宮(鹿児島県霧島市)
→高千穂宮(宮崎県西諸県郡高原町)
→宮崎宮(宮崎県宮崎市)
他にも伝承地が存在することは重々承知しているけど、ここに着眼したのは、薩摩国(鹿児島県)と日向国(宮崎県)との伝承の橋渡しが行われていると思ったからなんだよ。あっちとこっちで相容れないように思われたものが、一続きになるかもしれないことに、ロマンを感じるんだよ!伝承と伝承の整合性を取ることに意味なんてないけど、繋がると楽しいんだよ!
さて、高千穂河原を後にした僕らは、高千穂峰をぐるりと巻くように東進して県境をまたぎ、宮崎県は高原町へ。都城市をかすめながら、
案内図から「フリーテントサイト神武」というパワーワードを嫁が見つけて、笑っちゃった。そういえば街灯に「神武の里」の文字もあったし、神武推しがスゴいな高原町。いいね、もっとやって。
駐車場の西に、
神明造の祠にてお参り。狭野神社の元宮と伝わる。
一帯には高原町古墳の円墳6基が点在しており、この祠のある高まりが1号墳となっている。
北側の原っぱの木漏れ日が美しい。木々の向こうのこんもりした所が、2号墳。
祠の裏手に回ると、復元古代住居の傍らに、みずら髪の子供たちの像が。イツセ兄ぃとサノくんかな。小さくて可愛い。四兄弟がこの皇子原を駆け巡って遊んでいた……そんなことを妄想させてくれるね。
近くには、サノくんが遊んだという皇子滝などもあるらしい。
おっと、そうだ忘れるところだった。祠の背後に
聖地に古墳を築造したとは考えにくいから、神社が建ったのが後なんだろうな。
続いて1kmほどのところにある狭野神社へ。駐車場が3か所あるらしいんだけど、時短のため、拝殿に最も近い西参道入口の駐車場に停めることにした。
境内に入って東を見ると、神門の奥に長い長い参道があった。あそこを歩いてきたら、さぞ清々しいだろうね。
本殿・弊殿・拝殿・外拝殿と並ぶ構成。
なので外拝殿にて拝礼。ここの神紋も十六葉八重表菊だ。皇統ゆかりのお社ばかり巡っているんだから、当たり前なんだろうけど。
現在の主祭神は神武天皇。狭野神社における神武天皇の扱いについては、高原町公式サイトのコラム「高原町の歴史(神話編)」に詳しいので、一部引用する。
文献が少ないため現状で判断するのは危険ですが、少なくとも「神武天皇」という存在は、1700年代初めまでは神の一つとしては認識していたものの、狭野に関係あるとまでは認識していないのに対し、1700年代半ば辺りから徐々に狭野と神武天皇を結びつける意識が芽生え、当初は漠然と生誕地を狭野としていたのが、時代が下るに従い、より具体的な場所に比定したのではないでしょうか。とても誠実な論考だと思う。神武天皇生誕伝承が存外新しい可能性があるという、身も蓋もない話。
ただ、限られた文献から読み取れる範囲でのことであって、実態はわからない。少なくとも、この地で神武天皇が降誕されたと信じる人が大勢いたから、今に伝わっている。それは簡単なことじゃあない。これからも大切にしたいね。
本殿は三間社流造。意外といえば意外。
あ、そうそう、配祀としてアヒラツヒメの名前があったのは、嬉しいなぁ。
本殿の西に
次は少し寄り道。カーナビが見当外れの位置に案内してくれちゃって参ったけど、どうにか「高原町のトトロ」と呼ばれるスポットへ。一般家庭の私有地なんだけど観光客向けに公開されており、隣に駐車場まで用意してくださっている。セメントだけで作られたとは思えないほどの、存在感。高千穂峰を背負って撮影できるのも良いね。
ここに嫁を残して、ほんの数分だけ別行動。徒歩2分のフキアエズの高千穂宮伝承地へ走る。「
高千穂峰の麓にあって、高千穂宮と呼ぶに相応しい。たった数枚写真に収めただけだったけど、この地を踏みしめられて嬉しいのはホント。
さっと戻って、今度は嫁と記念撮影。それからお礼にと、どんぐりおみくじに200円を投じた。ありがとうございました。
この日の予定はほぼこなせたので、あとは時間と天候次第と考えていた場所が残っている。空が薄曇りになったりしてどうかな~と思っていたけど、また青空が覗いてきた。なら行ってみよう。
そこは
御池には、皇子港という、ここにもサノくんが幼少の頃遊んだとされる伝承地がある。
スワンボートならぬミッシーボートに乗ることもできるようだ。
高千穂峰を様々な角度から眺めつつ、周辺の伝承地を回れて大満足!今回の滞在時間は短かったけど、宮崎にはまた行くからねー!
【参考文献】
大林太良「高句麗の建国神話」『日本神話の構造』弘文堂,1975
松村武雄「天孫降臨の神話」『日本神話の研究 (3)』培風館,1955年
溝口睦子『王権神話の二元構造』吉川弘文館,2000年
溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波書店,2009年
大林太良「高句麗の建国神話」『日本神話の構造』弘文堂,1975
松村武雄「天孫降臨の神話」『日本神話の研究 (3)』培風館,1955年
溝口睦子『王権神話の二元構造』吉川弘文館,2000年
溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波書店,2009年