霧島神宮と高千穂河原

2024年4月19日金曜日 13:29
霧島神宮きりしまじんぐうは、鹿児島県霧島市にある神社。背後には、天孫降臨の伝承地とされる高千穂峰がそびえ立つ。霧島連山の噴火により何度か社殿を焼失しており、現在の社地に再興する前は高千穂河原にあったそうだ。

霧島神宮の由緒について、『三国名勝図会』は「別当華林寺けりんじの記」を引いている。
欽明きんめい天皇の時(539-571)、慶胤けいいん上人という者がこの山を開き、当社及び寺院を創建した。その後山が噴火し、寺社が焼亡して多くの星霜を経たが、村上天皇の御世(946-967)に、性空しょうくう上人がこの山に登って当社を建立し、六所権現と号した。初め上古の神社は矛峰と火常峰との中間、脊門丘せとおにあったが、天暦年間(947-957)に性空が脊門丘から今の地(高千穂河原)に神社を移し、合わせて別当寺を新建した。文暦元年(1234)、山がまた噴火して、寺社及び宝物・文書などことごとく焼失した。文明十六年(1484)、円室公(島津忠昌しまづただまさ)が兼慶けんけい法印に命じて、神社及び別当寺を造営させた。寛永二年(1625)、神社及び寺院が火災に遭った。正徳五年(1715)、浄国公(島津吉貴しまづよしたか)が御再建なさり、壮麗で昔をはるかに上回った。それが今の神社である。
霧島神宮は幾度も噴火で焼失し、また火災にも遭っていることがわかる。平安時代の再建は性空しょうくうの事績という。その伝記の根本史料となる『一乗妙行悉地菩薩性空上人伝いちじょうみょうぎょうしっちぼさつしょうくうじょうにんでん(寛弘七年(1010))』に、
三十六歳で頭を剃って出家し、霧島に籠って日夜法華経を唱える修行に励んだ。
とあり、霧島山で修行した際に、神社や寺院も建立したと伝えられているんだろうね。
霧島山の噴火に関する史料には事欠かないんだけど、霧島神宮のこととなると、上記の由緒くらいしか目ぼしい物が無い。古文書も燃えて失われたのが痛いんだろうなぁ。
上古には脊門丘せとおすなわち高千穂峰と御鉢の間にあったというけど、高千穂峰伝承を再検討するなかで述べたように、御鉢火山の成立は奈良時代まで下るとみられる。だとすれば、創建伝承は成り立たないことになる。とはいえこれだけの巨山なのだから、大昔から信仰の対象だっただろうことは、想像に難くない。性空による寺社建立より前から、何らかの祭祀が山上で行われていた可能性は十分ある。そうした背景が、伝承に繋がっているのかもしれない。

さて、薩摩川内市から霧島市へ、薩摩国から大隅国へ大移動。2時間足らずのドライブで、高千穂牧場の駐車場に着いた。途中、霧島神宮の一の鳥居だけ見てきた格好だ。

ブランチに、高千穂牧場内にある『まきばのレストラン』を選んだ。10時半から営業しているのが有り難くてね。窓の外に高千穂峰を望みながら食べられるなんて、最高じゃないか。

メニューは予め決めていた、ジンギスカン鍋セットをオーダー。運転するので、ノンアルコールビールで乾杯だ。野菜は出汁に浸かっていて、火が通るにつれかさが減っていった。真ん中でお肉を焼く。ラム肉特有の甘みが美味しい。ご飯が進む。

満腹になったら、ちょっとだけ牧場散策。雄大な高千穂峰をしっかりこの目で見たかったから、嬉しいねー!その麓に牧草の緑が広がり、ヒツジたちが食んでいるようすは、のどかそのもの。
せっかくなので、ふれあい広場のそばまで行って、ヒツジを間近で見てみたり。さっき食べたことは忘れて、可愛いなぁと思った。
中学生くらいの女の子たちがはしゃぐ声が聞こえて、元気だなぁとも思った。鯉のぼりもあったけど、風が穏やかだから全然泳いでなかった。

それから改めて霧島神宮へ。国道223号は早くも初夏の装いで、新緑のトンネルが気持ち良かった。先ほど見た一の鳥居をくぐり、参拝者駐車場に到着。二の鳥居も社号標も飛ばすことになるけど、しょうがない。
それにしても、さすが九州随一のパワースポットと呼ばれるだけあって、参拝客がたくさん。

駐車場横の温泉池には、アマビエの像。あの疫禍の流行で設置されたんだろう。温泉を試しに触ってみたら、丁度良い湯加減。水が注がれている所を見てみたら、後ろに管が見えたんだけど、そーゆーことなのかな。

道なりに行くとオガタマノキ。九州の神社ではよく見かける木だと、宮崎県で聞いた通りなんだと理解した。

参拝の前に、展望所へ……真っ白だけどね!天気が良ければ、桜島どころか開聞岳まで見渡せるらしいけど、春霞なのか黄砂の影響か。

三の鳥居へと続く参道。ふと人の流れが途切れて、贅沢なひととき。

手水舎に竜の吐水口は珍しくないけど、この首の曲がりようはスゴい。竜にも骨はあるだろうし、これは苦しいんじゃ、などとつまらないことを考えてしまう。

そうして社殿へ。なんて豪華で重厚感と躍動感に満ちた構成!写真などで何度も見ていたけど、実物は迫力が違うなぁ。最も高い位置にある本殿から、幣殿・拝殿・登廊下・勅使殿へと直線に並ぶ。本殿・幣殿・拝殿は2022年に国宝に指定された。登廊下・勅使殿は重文だ。

極彩色の勅使殿にて拝礼。御祭神はもちろんニニギ。

賽銭箱にどーんと十六葉八重表菊紋があしらわれている。「奉寄進」「天明元年歳在辛丑」と読めるから、1781年に寄進された物か。ということは皇室儀制令の公布(1926年)前だから、菊の御紋が自由に使えた頃ね。

勅使殿脇からしゃがんで覗くと、登廊下と拝殿が見えた。本殿の龍柱は公開されていないのだけど、見てみたいなぁ。

御神木の神秘も見ておきたい。記念撮影に勤しむ人たちのいる表ではなく、裏手に回る。すると枝の先が、なるほど確かに装束を着た神官が拝む姿に見える。この手の物って言われてみればくらいのが多いけど、これはホントにそうとしか見えない。

参拝者休憩所にはお土産も売られていて、ネットでも買えない名物「鉾餅」や、霧島茶を購入。
霧島神宮には他にも見どころがあるのは知っているけど、次の場所へ向かおう。

高千穂河原までは山道を走る。ただここは整備されていて道幅も広く、山道にしては走りやすい。するすると駐車場まで登れた。
車を下りたらまずは、高千穂河原ビジターセンターへ。霧島連山の歴史や文化を学べる施設だ。

一番のお目当ては天逆鉾のレプリカ。高千穂峰の頂に誰が立てたか諸説あるけど、登山せずにその形や大きさを実感できるのは助かるね。

神話の紹介も当然ある。ニニギの容姿が、五供緒と天降るときは子供なのに、高千穂の峰に降り立つときはおじさんになっていて、ツッコまずにはいられなかった。

続いて古宮阯ふるみやあと天孫降臨神籬斎場ひもろぎさいじょうへ。
霧島神宮の賑わいとは裏腹に、静かなものだ。

斎場への道の南脇に、高千穂峰の登山口があった。戻る際には、下山してきた人たちも見かけた。

鳥居があると荘厳な雰囲気がするね。奥にそびえるのはこれぞ二上の峰といった風に見えるけど、残念ながら御鉢の反り上がった火口縁に過ぎない。御鉢の隣にあるはずの高千穂峰は、ちっとも見えない。
それでも……それでも。自然の驚異というのか、人知の及ばない力の存在を、肌で知った。ここが天孫降臨の地であってもそうでなくても、畏怖せずにはいられない。この場所に立てて良かった!

さらに進むと、神籬斎場。野外祭祀の場は、鳥居から受ける以上に厳かな感じがする。昔の人々が祈りを捧げた気持ちが、ほんのちょっぴり解った気がする。


ふと北を見やれば、中岳。ひぇ~、やっぱ凄いとこにいるんだな。雄大さと恐ろしさを同時に味わえる場所。
そう感じていたのは嫁も同じだったようで、近畿在住だと火山に触れる機会が無いからかもしれないなぁ。貴重な体験ができたよ。

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