枚聞神社とヒコホホデミの海宮遊行

2024年4月20日土曜日 21:38
枚聞ひらきき神社は、鹿児島県指宿市にある神社。近くには、ヒコホホデミとトヨタマビメが出会ったとされる井戸があり、一帯はかつて海の底だったと言い伝えられている。また本殿の背後には開聞岳かいもんだけがそびえ、その美しい円錐形の山容から、薩摩富士とも称される。

海幸山幸神話のあらすじは鹿児島神宮の時に触れたけど、トヨタマビメとの出会いのくだりだけ少し詳しく『日本書紀』をベースに紹介しておく。
シオツチの作った目の詰んだ籠の中に入り、海に沈んでいったヒコホホデミ(山幸彦)。すると美しい小さな浜に着く。そこに籠を捨てて行くと、すぐさま海神の宮に到着。その宮はたいそう立派な構えをしていた。門の前に井戸があり、そのほとりには一本のカツラの木が生えている。ヒコホホデミがその木の下でウロウロしていると、一人の美人が戸を開いて出てくる。そして水を汲もうとして、ヒコホホデミに気づいた美人は驚く。その後、丁重に宮の中へ導き入れられたヒコホホデミは、海神の引き合わせでトヨタマビメと結婚する。
海に潜ったはずなのに、浜があり、井戸があり、木まで生えている、不思議な世界だよね。

これを踏まえて、江戸時代の地誌における枚聞神社の項を見ていこう。
まずは『麑藩名勝考』。
旧伝では、頴娃えい(という郡名)は元はという言葉から出た。この地は大昔は海江で、山は島のように突き出ていた。また、開聞ひらきき本宮はトヨタマビメを祀る、その御墓は本宮の右側にある山陵である云々という。この説はまさに真実を述べているに違いない。〈今、山陵というのは東宮の前にあり、里人は清所と唱えている。石の井垣の中に大石二つを置いている。〉
それと『三国名勝図会』。
開聞社縁起では、この地は、太古竜宮界である。ヒコホホデミは海神の宮に至り、トヨタマビメと結婚した。それがこの地である。また、この地に玉井たまのいがある。これはトヨタマビメの汲まれた井戸である。また、この地に婿入谷むこいりだにがある。これはヒコホホデミがトヨタマビメと結婚した所であるという。この地太古は江海で、開聞社はワダツミ(海神)の本社である。
神社のある辺りは、太古には海だったという旧記が興味深い。そこで、地学的見地から何かわかるかなと思い、開聞岳の成り立ちを調べてみた。
開聞岳はおよそ4,000年前に浅海域せんかいいきで噴火を始め、当時は海中に浮かぶ火山だったとされる。この浅海域がどの程度の深さだったかだけど、現在の開聞岳海岸線は、一部を除いて高さ40~50mほどの海食崖かいしょくがいで取り囲まれているという。波や潮流で削られてできた崖があるということは、そこまで海に浸かっていた時期があったということだよね。
つまり、言い伝えは大昔の記憶を本当に留めていた!水深50mとすれば、海面から様子を捉えることは難しく、海神の宮があったとしてもおかしくない。

続いて枚聞神社の御祭神について。
『名勝図会』は上述のトヨタマビメ説を載せる一方、「この開聞社の祭神は諸説甚多し」として諸説を長々と列挙したうえで、サルタヒコとしている。室町時代成立とみられる『大日本国一宮記だいにほんこくいちのみやき』には「和多都美神社」とあるが、御祭神をシオツチ・サルタヒコとする。現在は、オオヒルメムチ(アマテラスの別称)に落ち着いている。
トヨタマビメだったとすれば、海幸山幸神話と相まってロマンあふれる。ワダツミ神社の名称からすれば、その父神トヨタマヒコの線もあり得る。だけど、枚聞神社別当寺の瑞応院が坊津ぼうのつの一乗院の末寺であったことによる、海神信仰の影響もあったとする指摘がある。これだけ諸説乱立するということは、原初は開聞岳の神霊がお祀りされていた可能性も考えられる。難しいね。

さて、移動効率だけを考えれば実に悪い旅程と解っているけど、霧島市の鹿児島神宮から目指すは指宿市の枚聞神社。
隼人西ICから東九州道に乗り、九州道に合流。下調べしていたルートから、指宿スカイラインに入る心づもりでいた。が、レンタカーのカーナビが分岐を案内しないものだから違うルートかと思いきや、道なりにルートから外れる始末。も~、このカーナビ使いにくすぎ。仕方なく、玉取迫鹿児島港線から鹿児島湾沿いを走ることに。しばらく行くと、海上に広大な施設が立っているのが目に飛び込んできた。助手席の嫁に調べてもらったところ、ENEOS喜入基地きいれきちらしい。世界最大級の原油の中継備蓄基地だとか。そのまま走っていくと、今度は池田湖沿岸に。遠回りしている気がする。そのあと幅の狭い峠道を通らされつつも、どうにか大野岳公園の駐車場に着いた。やれやれ。

南九州市の大野岳公園には、開聞岳と池田湖を一緒に眺められる展望台がある。しかし、この日の天候は雨。山の中だからか、降り方もやや強まっていた。こんな悪天候にもかかわらず、駐車場には先客が一台。

山頂への途中にあった展望台に寄ってみる。案の定、開聞岳の姿はうっすら、辛うじて輪郭が掴める程度。池田湖も、白い空と区別が付かない色になっていた。晴れていれば、さぞ絶景なんだろうなー、晴れていれば!こればっかりはしょうがないよね。
嫁と笑い合っていたら、上から下りてくる人たちが見えた。山頂の展望台まで行ってきたのか。その諦めきれない気持ち、解るよ。ご苦労さまです。僕らは登らず引き返した。
そうそう、大野岳の麓には茶畑が広がっていて、雨の中でも美しい緑だった。知覧茶の畑らしく、南九州市は生産量日本一だって。偶然とはいえそれが見られて、なんだか嬉しい。

それからお隣の指宿市の枚聞神社へ。県道を挟んだ西の駐車場に停めたんだけど、境内にも駐車スペースがあった。
枚聞神社は薩摩国の一宮いちのみや。一宮とは社格の一種で、原則として令制国1国あたり1社が定められている。しかし神祇官や国司が公式に定めたものではなく、選定基準を規定した資料も存在しないらしい。そのため時勢によって変わることもあったようで、1国内に2社以上の一宮が存在する例もある。
薩摩国がまさにそれで、式内社の枚聞神社と新田神社との間で一宮の座を巡る争いがあった。
さっき鹿児島神宮を詣でたので、大隅・薩摩の一宮をすべて巡れたことになる。

二の鳥居には十六葉八重表菊紋。その両脇に門神。クシイワマト神とトヨイワマト神だろうか。神紋といい、この構成ばかりに出会い続けている旅行だなぁ。

門神横のクスノキの前に、斎藤茂吉の歌碑。
たわやめの 納めまつりし 玉子筥たまてばこ そのただにし わが触るるごと
そういえば、笠沙の展望所でも彼の歌を見かけたな。

ここも本殿・幣殿・拝殿・勅使殿が並ぶ様式。この向こうに、開聞岳がそびえているはず。晴れていれば、それもね~、見えたんだけどね~。

勅使殿の彫り物にはやはり注目してしまう。ゾウの表情がちょっと面白い。

拝殿からもお参りできたので、そちらから拝礼。本殿はほとんど見えない。
雨の参拝は嫌いじゃないけど、撮るのが億劫になって、どうしても写真の枚数が減る。

次が最後の目的地。路駐せざるを得ないので、広くなっている路肩に停車し、車を一時嫁に預けたら、独りでぱっと確かめに行った。

トヨタマビメが水を汲んだと言い伝えられる玉乃井たまのい。ここにも茂吉の歌碑が。
玉の井に 心こおしみ 丘のへを のぼりてくだる 泉は無しに
この歌人のことはあまり知らないので少し調べたところ、“皇国紀元二千六百年”の盛世を称えるべく、昭和十四年(1939)十月に鹿児島を旅行し、神代の遺跡を巡遊したそうだ。その折、数々の歌を詠んだということね。道理であちこちで見かけるわけだ。

そしてこれが、日本最古といわれる井戸。もし、神代にこのあたり一帯が海の底だったとしたら、山幸彦はここでトヨタマビメと運命の出会いを果たしたのかもしれない。そんな場所が残されていることが、一番のロマン。

さあ、あとは空港まで帰るだけ。約100kmの帰路に休憩所が桜島SAしかないのも、調べ済み。前もってコンビニのトイレを借りた。ついでに糖分補給に抹茶フィナンシェを購入。色々教訓が活かせたよ。
それでまた池田湖のほとりを走ることになった。展望所も整備されており、晴れていれば寄っただろうなぁ。
ちなみに池田湖は、火山のくぼ地に水が溜まってできたカルデラ湖で、九州最大の湖。霧島連山に開聞岳、桜島。鹿児島湾だって、姶良カルデラと阿多カルデラに海水が流れ込んでできたといわれる。鹿児島はホント火山だらけだね。
今度こそ指宿スカイラインを通って北上。道沿いにたくさん展望所が設けられていた。有人の料金所で現金払いが必要だったのは、意表を突かれた。九州道を経て溝辺鹿児島空港ICで出たら、トヨタレンタカー鹿児島空港店まではすぐそこ。隣のガソスタで給油して返却。しばらく待って、空港まで送ってもらえた。
それにしても、鹿児島の人は飛ばすね~というのが、ドライバー目線の感想。人も信号機も無い、走りやすい路が多いからかな。

鹿児島空港に着いたら腹ごしらえ。『ANAFESTA 1Fロビー店』で、『月揚庵つきあげあん』の揚げたてさつま揚げを買うことができた。嫁と半分こして、5種をちょっとずつ食べられるのが良い。あったくて美味しかった。
鹿児島名物といえばさつま揚げだと思い、機会を見つけては色々食べてみたけど、感動するほどのものではないなぁ。ハレの料理というより、日常のちょっと美味しいものって感じなのかな。

ちゃんとした夕食は、鹿児島を走っていて至る所で見かけたからという理由で、『ふく福』に決定。土地に根ざしたチェーン店も、旅の醍醐味だ。黒豚うどん、良かったよ。

復路もスカイマークのフォワードシートで、足を伸ばしてゆったり過ごした。嫁にも大好評。移動で疲れるのはもったいないもんね。通路側は空席だったから、気兼ねしないで済んだのはラッキー。
神戸空港に降り立つと、帰ってきたことを実感して寂しくなる。
今回は、薩摩半島と霧島周辺で精一杯だった。開聞岳ははっきりと拝めなかった。大隅半島にも日向神話伝承地は数多い。鹿児島、いつかまた行きたいな。

【参考文献】
川辺禎久,阪口圭一『開聞岳地域の地質』産業技術総合研究所地質調査総合センター,2005年

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