四天王寺にみる古代寺院の面影

2017年11月24日金曜日 15:58

四天王寺は大阪市天王寺区にある、聖徳太子が初めて建立した寺院。最大の見所は伽藍配置にある。中門,五重塔,金堂,講堂が南北に列を成す配置は、百済から伝わった大陸様式の伽藍。日本最古の寺院建築様式を今日に伝える、大変貴重なものなのだ。

大阪歴博に時間をかけたため、ちょっと遅い昼食。あべのハルカスに移動して『串の坊』で串カツのコースに舌つづみ。落ち着いた店内で食事できたのが良かった。
四天王寺の駐車場に着いたのは、15時を過ぎた頃。陽が傾きつつあった。


寺院の入口は南大門。
西門信仰について今回はパス。飛鳥・奈良時代に焦点を当てた旅行なのでね。建立は四天王寺が先だが、あとにできた難波京に組み込まれていったという背景がある。
現在の伽藍は戦後の再建で、鉄筋コンクリート造。建築としては味気ないけど、肝要なのはそこじゃあない。


天王寺南門前の歩道前には、飛び出し太子くん。これには思わず吹き出した。お太子さまで笑いを取りに来るとは、さすが大阪。

中心伽藍には中門からは入れないようなってるので、西重門に回り拝観料を納めて中へ。


これが四天王寺式伽藍配置!
回廊に囲まれ仏塔や金堂などが一列に並ぶさまは、これまでに訪れたどのお寺よりも、隙がないように感じられた。一切乱れの無い、秩序正しい連なり。中身は近代建築だとしても、この配置には力がある。もっとショボいのを想像してたんだけど、これは良いね。

面白かったのが、五重塔内部を登れること。普通の仏塔は、参拝者が上層に登ることを想定していない造りになってる。でもここは新しく再建された塔、風情こそないが最上層まで階段が設置してある。仏塔の中から伽藍を見下ろすなんて、なかなかできない経験だ。靴下で冷たい床を歩くのが、この時期辛かったけど。
金堂に安置された御本尊は救世観世音菩薩ぐぜかんぜおんぼさつ。法隆寺夢殿の救世観音は聖徳太子の御影と伝わる。四天王寺もそれを意識してるんだろうか。そしてもちろん四方には、四天王像が守りを固めている。
講堂には十一面観世音菩薩と阿弥陀如来。特に十一面観音は、花瓶に挿した蓮華を手にしてすらりと立つ姿に見惚れた。仏像に古いも新しいもないなぁ、良いものは良い。


ここで四天王寺の創建について整理しておこう。
古墳時代から飛鳥時代にかけて、崇仏論争を背景に対立していた蘇我氏と物部氏。蘇我馬子と物部守屋の代にて、遂に武力衝突に発展。いわゆる丁未の乱ていびのらんである。
用明二年(587年)の秋七月、当時まだ頭の上で髪を束ねた少年の髪型をしていた聖徳太子(厩戸皇子)は、霊木を切り取って四天王の像を作り、次のように誓いを立てた。
「今もし我をして敵に勝たしめたまわば、必ず護世四王ごせしおうのみために、寺塔てら起立てん」
四天王の加護があってか、太子の属する蘇我氏は物部氏に勝利する。
そして、
推古元年(593年)、四天王寺を難波の荒陵あらはかに造り始める。
というのが、日本書紀にある四天王寺創建に関する記述だ。

なお余談だが、太子と同じく蘇我馬子も勝利を祈念し、のちの飛鳥寺建立に繋がっている。
また法隆寺も、創建時は四天王寺と同じような伽藍配置だったといわれる。現存する法隆寺西院伽藍は、創建から百年後の再建だ。


講堂を出て回廊を歩いていると、ふと心惹かれる光景に出会うことができた。四天王寺とあべのハルカス、飛鳥時代の五重塔と現代の超高層ビルの共演だ。立地から充分予見できたはずなのに、この瞬間まで気づかなかったよ。壮観。

古代の伽藍様式さえ見られればいいや、くらいのつもりで行ったけど、全然良かった!コンクリートなんて興ざめするかと思いきや、杞憂だったね。嫁も仏像鑑賞を楽しんでくれたみたいだし。
大阪歴博には四天王寺周辺出土の土器などの展示もあったから、上手い具合に関連付けられた。我ながら秀逸な工程を組んだな。

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