大和三山に抱かれた藤原京

2017年11月25日土曜日 18:30

藤原京は、7世紀末に中国の都城とじょうを参考に造営された、日本史上初の本格的なみやこ。碁盤目状の道路で区画され、東西5.3km・南北4.8kmの面積は、平城京や平安京を凌ぐ。天武天皇が建設を命じ、彼亡きあとは持統天皇が遺志を継ぎ完成させた。
その中心地、藤原宮の跡が史跡として残る。歴史ロマンだけでなく地理的な面白味もあるので、足を運んでみたよ。

橿考研の博物館を出る頃には正午を大きく回っていた。だけど橿原周辺の美味しいお店を知らない(ガイドさんも無いと言ってた)。考えるの面倒でしょ、と僕を気遣ってくれた嫁の提案で、ランチは付近のショッピングモールのレストランで済ませることに。探してみると、イオンモール橿原が見つかった。3階がプレミアムダイニングと書いてあったので上ってみると、フードコートだと判明。名前に騙された。無駄にグルグル歩かされた末、1階に下りて『ロンフーダイニング』でコース仕立ての中華料理にありつけた。喧しい客には閉口したけど、味には満足。
16時半に閉館してしまう場所があるため、残された時間は少ない。まずそちらへ向かった。

奈良文化財研究所――奈文研の藤原宮跡資料室。奈文研による藤原宮と京の調査・研究の成果が公開されている施設だ。藤原宮跡の東側に位置し、小さいながら駐車場も備えてる。
入館するなり、ボランティアガイドのおばあさんに声を掛けられた。ここでも素直にお願いしてみる。が、午前に出会ったガイドさんが凄過ぎたことを、痛感させられるハメに。この女性の説明はマイペースで、自論をあたかも事実かのように話す。蘇我氏が帰化人との説は今や否定的な見方が有力だぞ。
ただ、寺院などの建物別に陳列された瓦は、比較しやすくなかなか見応えがあった。とはいえ博物館に行っているなら、他に特筆すべき展示は無いように感じた。
とりあえず一周案内してもらって戻ってきたところで、今度は別のボランティアのおじいさんが絡んできた。勘弁してくれ~。こっちはもう、ガイドというより単なる万葉集大好きじいさん。とにかく自分の話を聞いてほしいだけって感じ。しかしこれもまた出会い、時間ギリギリまで聞かせていただいたよ。面白い方々だった。
バタバタして、結局一枚も写真撮ってないや。

続いて藤原宮跡を挟んだ西側にある、橿原市藤原京資料室へ。閉館の17時が迫りつつあった。
藤原宮駐車場に車を停めて、JAならけん橿原東部経済センターの2階に上がる。ここにもボランティアガイドさんがいたけど、その雰囲気と時間から解説は遠慮することにした。


ここの見所は1/1000スケールの藤原京復元模型。藤原宮が、大和三山に囲まれた地にあることが一目瞭然だ。写真は北から南方面を見ているので、手前が耳成山、左が香久山、右が畝傍山となる。


藤原京の規模は冒頭に述べたとおりだけど、模型を眺めていてもそのデカさに圧倒される。


在りし日の姿を目に焼き付けたら、最後はその史跡を自分の足で歩く。だだっ広い緑地に、大極殿院閤門だいごくでんいんこうもんの列柱が再現してあった。
こんな夕方では、史跡目的の人間は僕ら以外にいなかった。興味のない人にとってはただの公園。


振り返って北側を向くと、こんもりと木々が茂った場所がある。ここが大極殿の基壇跡か。この木は目印なのかな。
大極殿跡の西は野球の練習場になってた。これだけ広いなら、何かしら利用したくなるんだろうね。


畝傍山の奥、葛城山の向こうに沈みゆく夕陽。
かつてこの地が日本の中心だった。大和を代表する山々に抱かれた、古代最大の都市。わずか16年で廃都となったけれど、ここから望む景観は、他のどこよりも大和らしいように思えた。

今回の旅行はここまで。天武・持統の夫婦のエピソードが残る本薬師寺跡もあるし、藤原京はもう少しゆっくりしたかったかなぁ。2か所の資料室も自分のペースで回りたかったし、いつか改めて訪れてもいいかも。
橿原でのランチは今後の課題としよう。食事も楽しみたいからね。

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