難波宮を体感するなら大阪歴史博物館へ行くべし

2017年11月24日金曜日 13:59
難波長柄豊碕宮なにわのながらのとよさきのみやは飛鳥時代、孝徳天皇の宮。前期難波宮とも呼ばれる。中大兄皇子らにより蘇我入鹿が討たれた乙巳いっしの変ののち、孝徳天皇が飛鳥板蓋宮から遷都した。乙巳の変は奈良での出来事だが、大化の改新は難波、すなわち大阪を舞台に推進されたといわれる。また、遷都を繰り返した聖武天皇が難波に宮を遷したこともあり、これを後期難波宮と呼んで区別する。
現在、史跡は大阪市中央区に難波宮史跡公園として整備されている。隣接する大阪歴史博物館には、難波宮に関する展示が充実している。飛鳥・奈良時代への思いを馳せるに良いだけでなく、展示演出が秀逸!あの時代に興味があるなら、大阪歴博にも行ったほうが断然いいよ!


祝日と土日の間の一日だけ平日。これはもう有休取るしかない。平日の行先で優先度を上げたいのが混雑する都市部。というわけで、大阪は四天王寺と大阪歴博&難波宮史跡公園を目的地に選定。
阪神高速を途中渋滞に巻き込まれつつ走り、2時間かけて大阪歴博の駐車場に到着。さすがにガラガラだった。エレベーターで1階に上がると、隣接するNHK大阪との間にあるアトリウムの下に出た。これから見学するんだろう、学生たちが体育座りで集まり、先生の指示を聞く姿があった。
入館し、エントランスホールで常設展示観覧券を購入。大阪城天守閣セット券も売られてた。この受付のおねーさんの感じがとても良かった。写真撮影OKだけどフラッシュは遠慮してね(意訳)との案内まで丁寧にしてくれた。
エレベーターで10階まで上がり、いよいよ展示室へ。



ここから先は大阪歴博の展示についてネタバレしていくよ。敢えて前置きするのは、僕が事前に知らなかったからこそ感動したこともあるから。




さあ、10階は古代フロア。『難波大阪』と刻まれた巨大な難波津焼の陶壁がお出迎え。ほぼこの階のためだけに来たようなものだ。


展示室には、後期難波宮の大極殿だいごくでんが原寸大に再現されており、正装した役人たちが儀式の始まりを待っている、その瞬間を切り取ったシーンというわけだ。


中央には、聖武天皇がお出ましになる高御座たかみくら蹇帳命婦けんちょうみょうぶ威儀命婦いぎのみょうぶ奉翳女孺はとりのにょじゅといった女官や、少納言、侍従が威儀を正して左右に並んでいる。服装も平安時代の資料を基にしたとのこと。


これらを観覧していると、不意に窓のシャッターが下りてきた。次いで、高御座向かいのスクリーンに映像が映し出される。音声が無く、文字情報も一場面のみだが、宮廷儀式のようすを紹介していることはすぐ理解できた。


映像は次第に俯瞰で引いていき、難波宮の建物の外側に現代のビル群がそびえる、不思議な光景になる。フェードアウトしつつ、シャッターが上がる……すると!


窓の外には大極殿の基壇を中心とした難波宮史跡公園が!この視線の誘導は見事!こんな仕掛けがあるとは思わなかったから、メチャクチャ感激した。これ、巧いわぁ!完全に心を掴まれたね。


難波宮発掘現場の復元模型も興味深い。前期の柱穴を赤色、後期の基壇裾部を青色で示していて、遺構が重なっていることが良く判る。
前期の遺構に絞っていえば、左側が八角殿はっかくでん、右側が内裏南門だいりなんもんということか。


それを踏まえて前期難波宮(難波長柄豊碕宮)の復元模型を観ると、より理解しやすい。内裏の南にマツリゴトを行う朝堂院ちょうどういんが配置されている。
なんていう小難しい勉強も良いけど、飛鳥時代の宮殿がビジュアライズされてるから、初心者もわかりやすく当時を想像できるんだよね。それって素晴らしいじゃないか。


写真最下部の朱雀門の発掘では、赤く焼けた土壁や炭が出土しており、日本書紀にみえる宮殿の火災が事実であったことを裏付ける。史料と考古学調査が一致する、こういうのってテンション上がる。


木簡の展示には、前期難波宮造営年の特定する資料となり得るものなどが。最古の万葉仮名まんようがな文の書かれた木簡とはまた、そそられる。


少し時代が進み、後期難波宮の復元模型。
前期難波宮のあとの宮は、斉明が飛鳥に戻し、天智が近江に遷し、天武がまた飛鳥に戻し、持統が天武の計画していた藤原宮を完成させた。そこには大極殿が造られ、条坊制じょうぼうせいが実施された。道路を碁盤目状に整備した都市、藤原京の登場である。
難波京は天武が造営を命じたが、宮は置かれなかった。その後、聖武が難波京に後期難波宮を設営というのが、大まかな流れ。ややこしい。
ともかく、古代の難波にも巨大な都市機能が存在したということだ。


模型が細部まで緻密に作り込まれてて、それが迫力を生み出してるんだな。

ここまでに挙げた以外にも諸々の展示や解説パネルがあり、夢中で巡った。それで結局、このフロアだけで1時間以上滞在。いいんだ。

古代フロアで感じたその他雑記。
途中再び窓から公園を眺めたとき、学生グループがお弁当を広げてた。和むわぁ。
外国人観光客が存外多かった。僕みたいにじっくり留まらないから、どんどん追い抜かれたけど。
老夫婦が仲良く回ってるのも見た。旦那さんのほうが歴史好きみたいで、孝徳天皇が云々と奥さんに説明してて、自分たちの姿と重なった。


充分堪能したところでエスカレーターで下に降りると、大阪城が展望できた。ガラスへの映り込みが激しく撮影には不向きではあるものの、絶好のビュースポットじゃないか。

それから9階は中世近世、8階は特集展示、7階は近代現代と続く。すでに満腹の僕はさらっと流し見。とはいえ、各フロア毎に特色ある工夫がなされており、見所は多い。嫁が7階の古き良き大阪の雰囲気を気に入ってた。


外へ出て、難波宮史跡公園にももちろん行く。
史跡とはいえ公園でもあるので、小さい子連れのお母さんたちなどが思い思いに過ごしてた。


大極殿の復元された基壇。その上で寝てる人がいるので、少々気分が壊れる。広い公園だからな、色んな人がいるんだ。ぐぬぬ。
先日の雨がまだ引いてなくて、水溜まりや泥濘が残ってた。某ブラブラする番組の影響で、地質のことをチラッと考えてしまう。
奥に大阪城が見えるのが、ちょっと笑える。古代の史跡と中世の城と現代のビルが混在する景色。


公園の南の入口まで歩いたり、基壇に上ったりして、難波宮の広さを体感。ああ、この地を自分の二本の足で踏み締める幸せ……!


最後に、歴博のエントランスに戻って、難波宮遺構の実物をガラス越しに見学。発掘調査のあとってだいたい埋め戻されてしまい、一般的には見ることが難しい。それがこうして直に拝めるんだから有り難い。
受付で申し込めば、遺跡ガイドもできるとのこと。

や~、感動した!大阪市、超頑張ってる!プレゼンが巧み。歴博でここまで感嘆することって、なかなかないよ。申し分が無い。
あまり知識や興味のない嫁でも結構楽しめたみたい。これは古代史への勧誘にも活用できそうだ。
大阪観光で大阪城を計画しているなら、ぜひ大阪歴史博物館にも寄ってもらいたいね。

サイト内検索