蘇我氏を偲ぶ飛鳥寺と飛鳥大仏

2016年11月10日木曜日 11:49

飛鳥寺あすかでらは奈良県の明日香村にある日本初の本格的寺院で、本尊の飛鳥大仏で知られる。飛鳥大仏とは通称で、正確には釈迦如来坐像。この日本最古の仏像を拝みたいのが第一義で、蘇我氏の氏寺であることも訪れたい大きな動機のひとつ。古代史にハマってきた身として、避けては通れない道なのである。持って回った言い方になったけど、要するにムチャクチャ行きたかった場所だ。こないだの仏像巡りの続きでもある。

談山神社のあとは吉野でお昼にするくらいの大雑把な計画。10時過ぎと中途半端な時間になってしまったので、ちょっと戻って飛鳥に寄り道することにした。先月祝日に寄ろうとして大混雑に阻まれたこともあり、最も混みそうなところにだけピンポイントで。


ということで、何は無くとも飛鳥寺へ。あの日の光景が嘘のように道路も駐車場もガラガラ。落ち着いた平日の、これが普段の状況なのか。


小さな山門には『飛鳥寺』と掲げられてた。寺の名は変遷していて、蘇我馬子そがのうまこの発願で建立された法興寺ほうこうじから、平城京遷都に伴い移転して元興寺がんごうじになり、飛鳥に残った本元興寺の現在の名前が安居院あんごいん。創建時は3つの金堂と塔が建ち並び、それらを回廊が囲う壮大な伽藍だったという。
平城京に移った元興寺は昨年跡地も含め訪れた。こうして旅行先同士が結びつくと嬉しい。ただ、こちらも当時は大伽藍だったのが平安期に衰退。かつて隆盛を誇った蘇我氏と、その寺院の歴史がダブって見えて、ちょっぴり寂しくもある。


胸に迫る思いは色々あるけど、門をくぐる。
課外授業か何かと思われる学生たちも入ってきた。「見たいものがあるので行ってきていいですか?」と先生に断りを入れて、一人が奥へ駆けていった。彼の目的はおそらく蘇我入鹿そがのいるかの首塚だろう。良く勉強してるじゃないか、とニヤリとしてしまう。あとで僕らも行くつもり。


拝観料を納め講堂の中に入ると、飛鳥大仏が目に飛び込んできた。焦がれてた仏像に会えて感慨深い……。想像してたより少し大きく感じた。数字は知ってても、実物を前にするとやはり違う。
この釈迦如来坐像は7世紀初頭、鞍作鳥くらつくりのとりの作。鳥は止利とも書く。止利仏師といえば、法隆寺金堂の本尊、釈迦三尊像が代表作。所謂アルカイックスマイルにその共通した特徴が窺えるね。
火事で罹災して後補を受けたとはいえ、大部分が造立当初のものだとか。1400年以上前からここに鎮座し続けてるワケで、その眼はたくさんの歴史を見届けてきたのかも知れないな。聖徳太子もこの寺で仏教を学んだだろう。
講堂内にはその聖徳太子孝養像と阿弥陀如来坐像も安置されてるのだけど、僕はほぼ飛鳥大仏に釘付け。
留まるうちに解説を聞く機会に恵まれた。仏さまが右斜めを向かれてること、左右で少し表情が異なること、写真撮影を許されてる理由など、話し慣れてるようでとても聴きやすかった。前もって嫁にした話が半分無駄になった気がしないではない。


左側はやや厳しいお顔。


右は優しい。この違いも面白い。


僕はこの角度が一番好き。こんな風にゆったり拝めてホント良かった。


奥の庭や展示まで見て回ってから、外に出て境内を歩く。塔心礎中心を示す標柱などが、往時のようすを伝えている。


さらに西門から出て入鹿の首塚へ。綺麗な花が手向けられてて、心が温まる。入鹿が甘樫丘あまかしのおかのほうを向いてるように見えるのは、僕の偏った感じ方だろうか。
数百メートル南方の飛鳥板蓋宮いたぶきのみやで中大兄皇子に刎ねられた蘇我入鹿の首が、ここまで飛んできたなんて言い伝えがあるけど、どう考えても後世の作り話だよね。だけどこの塚の存在が、教科書の大化改新では逆賊として習う蘇我氏が、ここ明日香の地では必ずしも悪ではないことを感じさせてくれる。
乙巳の変から壬申の乱に至るまでの謎とロマンに満ちた時代――コレを語るのは、きちんと他の史跡を巡るときまで取っておこう。

高ぶった気持ちのまま、甘樫丘やら飛鳥宮跡やらに行きたいのをぐっと堪えて、ひとまずこの場を後にした。この日はあくまでついで、そう自分に言い聞かせる。
他にも橘寺や天武・持統天皇陵など、明日香村には魅力が盛りだくさん。改めて時間を作りたいと切に思う。

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