京博国宝展3期は金印が行列を呼ぶ
2017年11月2日木曜日
22:04
京博の国宝展1期に続き、3期も行ってきた!何度か展示替があるとはいえ、ひとつの展覧会に二度見に行くのは、これが初めて。そうまでしてても観たいものがあるのだ。
前回同様弾丸になると思いきや、嵐山に行く用事ができたから朝から京都入り。でも京都国立博物館に着いたのは前と同じくらいの時刻。予定通りである。
しかし、ゲート付近からして1期より人出が多い。おそらく、原因はアレだ。平成知新館に入ると、『金印』を最前列から鑑賞したい方は2階へ、と書かれた案内板が立てられていた。そう、この混雑は『金印』が起こしているに違いない!
まず荷物や上着を預けるべくコインロッカーに向かうも、1階は一杯。仕方なく地階のほうに入れた。そこからエレベーターに乗ることができたので、結果的に多少ショートカットできたかも。
僕らが降りたのはもちろん2階。脇目も振らず、待機列用に仕切られた通路を通って階段を上がり、『金印』の列の最後尾に並んだ。待ち時間は30分とあったけど、実際は20分ほどでショーケースの前まで行けた。
一辺の長さ約2.3ミリという最小の国宝。知識としてそのサイズを知ってたので、そこに驚くことはなかった。が、古代よりの純金の輝きのせいなのか、むしろ大きく感じる。
前の人に続いてゆっくり動きながらの鑑賞は、なかなか難しい。ほんの少し立ち止まって単眼鏡で細部を凝視。すぐに嫁に渡して、ちょっと進む。牛歩のカニ歩きでケースを時計回り。
そして列を離れる直前、遂に鏡に映された印文を拝することができた。これが『漢委奴国王』……。“かんの わの なの こくおう”として教科書で習ったけど、読みは諸説あって論争が続いてる。漢王朝が古代日本にあったナ国に贈った王印なのか、それは判らない。だけど、『金印』はここに確かに存在する。それだけで感無量だよ……。この気持ち、僧侶が経典を仰ぐがごとし。
その場を離れ難くて、自由に鑑賞できる後方からしばらく覗き見ていた。このために来たんだから。
余韻を振り切るように、書跡の展示室へ。ここも観たかったものが多い。
『日本書紀 巻第二十二』、最古写本のひとつで岩崎本と呼ばれる物だ。日本神話と古代史を趣味で勉強してる者として、こうした写本が現存してることに感謝したい。それに、筆遣いの美しいこと。巻第二十二ということは推古紀のはずだけど、長い巻物の途中を展示してあったから、ぱっと見てどのあたりの記述かまでは判別できなかった。判ったらもっと面白かったのになぁ。
『日本霊異記 巻上』も古写本の存在が有り難い。これは仏教説話集で、未読なんだけどいつか読みたい。
先ほどまでの典麗な筆法とは打って変わって、『御堂関白記(寛弘四年秋冬記)』は面白い。藤原道長の日記で彼の自筆本。丁寧に書こうとしてる箇所がある一方、書き殴った箇所の汚い字もある。また、同じ字が並んでると書き癖が浮かんできて、親近感が湧く。千年後の人々に日記を晒されて好き放題言われる、って考えるとちょっぴりカワイソウ。でも貴重な史料なんだよね。
続いては肖像画。
神護寺が所蔵する『伝源頼朝像』、『伝平重盛像』、『伝藤原光能像』は三像とも国宝なんだけど、教科書に載ってるから源頼朝だけ有名。それに、実際並んでるのを鑑賞してても、源頼朝にばかり目が行っちゃう。なにせイケなんだ!加えて、曲線で描かれた顔回りと直線的な
近世の室では2つの屏風絵に魅せられた。
1つは、
もう1つは、
最後に金工と漆工の展示室について触れておこう。
『
『
琉球国王尚家の『
展示室を出て、改めてミュージアムショップを回ってみたけど、やはり食指は動かず。本物の迫力に圧倒されたあとでは、印刷物があまりに陳腐に感じてしまうんだよね。
それから、おきにの寿司屋が定休日なので、新幹線でさっさと帰った。京都のタクシードライバーは面白い人が多いわ。
1期よりも3期は明らかに混んでた。『金印』は列に並びもした。それでも、観たいものを満足するまで味わえた。もうスゴ過ぎて語彙力無くすよ。何回スゲーって呟いたことか。国の宝を拝めて至福。