秋の嵐山散策は人混みだらけ

2017年11月2日木曜日 12:20

京博の国宝展に行くことは決定事項。そこへ、嵐山にリラックマのカフェがオープンするとの情報が舞い込んできた。これ以上のついではないと思い、予定に組み込んだ。どうせ待ち時間あるだろうから、それを活用して久しぶりの嵐山を歩いてみよう。
8年前、独身の頃にデートで訪れた嵐山の最後の印象がすこぶる悪い。そのイメージを払拭できれば良いな。

JR在来線でも京都まではそう掛からない。しかし精神的に楽な手段を採る。ということで今回も新幹線で京都入り。それからやたらホームが遠い嵯峨野線に乗り換えて、嵯峨嵐山駅へ。平日なので観光客ばかりではないものの、乗車率が高い。先が思いやられる。
嵯峨嵐山駅に着いたら、一心不乱にカフェまで行き、整理券をゲット。案の定80分待ちと出たので、予定通り散策開始。


来た道を少し戻り、まずは天龍寺。昔、当時まだ交際中の嫁と紅葉狩りに行った寺院だ。その頃はただ紅葉だけを目当てにしてた。でも今回の目的は雲龍図。以前の自分とはスタンスが変わったことを感じる。
天龍寺といえば雲龍図。法堂はっとうの天井に、日本画家の加山又造氏が1997年に描いた、八方睨みの龍である。


参拝料ひとり5百円を納め、法堂に入ると、天井一杯に広がるド迫力の龍!撮影禁止につき、写真はパンフで代用。
「顔を見ながら堂内を歩いてみてください」と、案内の女性が淡々と棒読みで繰り返してた。その通りにしてみると、確かにどこにいても睨まれているように見える。この手法って、仏画や仏像でも体験したことがある。すべてを見透かすかのような、仏教の世界を表現してるんだろう。
それにしても、ずっと上を向いてると首が疲れる。休憩のために視線を下ろしたときに、ふと気づいた。堂内には仏像も安置されてたのだ。だけど、誰もが天井ばかりを見ていて目もくれない。こんなことを言うのは失礼かも知れないけど、お可哀想と思ってしまった。それに気づいたのに無視というのも気が引ける。嫁と一緒に合掌してご挨拶した。
それから改めて、気が済むまで長椅子に座りながら龍を鑑賞した。


続いて向かったのは、竹林の道にある野宮神社ののみやじんじゃ。狭い竹林の道は観光客でごった返し、風情などなかった。以前は素直に美しいと思えたはずなのに、変わってしまったのか。
野宮神社は、斎宮さいぐうが伊勢に赴く前に身を清めるための場所。斎宮とは、天皇の代理として伊勢神宮のアマテラスに奉仕する未婚の皇女のことだ。そういう歴史のロマンを求めて行ったのだけど……。


道以上に、神社の境内が人で埋め尽くされていた。かつてこれほど雑然とした神域は見たことがない。日本人だけでなく白人やらアジア人やら、作法も何もあったもんじゃないカオス。お手本見したるわ、って勢いでお参りしたよ。


ここの見所のひとつが、黒木鳥居。樹皮が付いたままの原始的な形式の鳥居だ。変わった鳥居や狛犬見るの好きなんだよね。


神社を訪れたら本殿の姿を確認するのが、僕の毎度のお決まり。不思議なもので、本殿横の位置はぽっかりと空いてて、ようやく落ち着けた。ここだけは少し静か。アマテラスさま、ありがとう。

人酔いしそうになりつつ、今度は渡月橋を渡った。ここもあの日以来だ。その時は本当に渡っておしまいにしてしまったけど、そういうことじゃないんだ過去の自分よ。


渡月橋と大堰川おおいがわとその奥の山々を、眺めるのが良いんだ。
嵐山といえば古代、渡来系氏族の秦氏はたうじの勢力地。このあたりには秦氏の造ったせきがあったとされる。流れる川を葛野大堰かどのおおいと呼ばれた堰に由来して、大堰川という。最近秦氏について勉強したばかりだったから、つくづく縁があるなぁと。
テレビなんかで良く見かけるアングルだけど、晴れ渡った秋空と相まって、気持ちの良い景色だ。のびのびできるし。

そんなこんなでカフェの待ちがあと5組となった。限られた時間の中で、回りたいと思ってた所はすべて回れたよ。
人の多さにはげんなりしたけど、悪いイメージは拭い去れたかな。

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