せんぐう館で見つめる伊勢神宮の二十年

2025年10月4日土曜日 21:50
式年遷宮記念せんぐう館は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮を紹介する博物館。外宮正殿の原寸大模型や、御装束神宝おんしょうぞくしんぽうの製作工程などが展示されている。
また、神宮徴古館では、実際に遷宮の際に撤下された御装束神宝を見ることができる。前回のものとはいえ、御神宝の実物を拝めるなんて、有り難いことこの上ない。

初めに、少し式年遷宮の歴史をたどってみよう。実はこの「20年に一度の遷宮」という制度、あの『古事記』や『日本書紀』にはまったく登場しないのだ。
平安時代前期に内宮の神官が朝廷へ提出した公的な報告書『皇太神宮儀式帳』には、
限常二十箇年一度遷奉新宮造之。
とあり、20年に一度遷宮を行うと書かれてはいるものの、その起源には触れていない。外宮の『止由気宮儀式帳』も同様だ。
結局、式年遷宮の起源について明確に記したのは、平安末期成立とされる『太神宮諸雑事記だいじんぐうしょぞうじき』が最初になる。
朱雀三年九月廿日、依左大臣宣奉勅、伊勢二所太神宮御宝物等於差勅使被奉送畢。宣旨状称、二所太神宮之御遷宮事、廿年一度応奉令遷御、立為長例也云々。抑朱雀三年以往之例、二所太神宮殿舎御門御垣等波、宮司相待破損之時、奉修補之例也。而依件宣旨定遷宮之年限。又外院殿舎倉四面重々御垣等。所被造加也。
つまり、朱雀三年に天皇の命で「20年に一度の遷宮」を正式に定めたということ。それまでは、社殿が破損した際に宮司が修理していたようだ。
この「朱雀」という年号は『日本書紀』には登場しないが、「朱鳥」と同じものを指していると考えられる。「朱鳥」は元年しか存在しないものの、その2年後であれば「持統天皇二年(688)」のことになるだろう。

『諸雑事記』は続けてこう記している。
持統女帝皇
即位四年〈庚寅〉、太神宮御遷宮。同六年〈壬辰〉、豊受太神宮御遷宮。
つまり、持統天皇四年(690)に第1回の内宮遷宮が、同六年(692)に外宮遷宮が行われたという。ただし、繰り返しになるが『日本書紀』にはこの事績は残されていない。
そもそも寺社の縁起というものは、たいてい「うちの歴史はこんなに古い」と強調したがるものだ。公文書である『儀式帳』ならともかく、『諸雑事記』は神宮側の一方的な主張にすぎない点には注意しておきたい。

さらに同書では、次のような記述も見える。
元明女天皇
和同二年〈己酉〉……。同二年、太神宮御遷宮。同四年、豊受宮御遷宮。
ここで記される「己酉」の年の干支からして、「和同二年」は「和銅二年(709)」のことで疑いない。さらに「同二年」の後に「同四年」とあることを踏まえれば、「同三年」の誤写とみられる。
つまり、第2回の遷宮は和銅三年(710)に行われたことになる。

ただし、以前伊勢神宮の成立について考察した際にも触れたように、式年遷宮の制度化が実際に行われたのは、もう少し下って桓武かんむ朝の頃だった可能性がある。
とはいえ、「20年に一度の遷宮」が制度として定められた時期がその頃というだけで、式年制の有無にかかわらず遷宮そのものはそれ以前から行われていたようだ。その証拠のひとつが、あの「正倉院文書」に残っている。
正殿
土居周長押着雨壺廿口 都久美着雨壺十五口
下桁端枚銅丗四枚〈別長五寸広三寸〉阿不理板角肱銅四枚
このように、神宮の正殿や御門の装飾に使う金物がリストアップされたこの文書は、「造大神宮用度帳案」・「太神宮御飾注文」・「皇大神宮殿舎飾金物注文」など、いくつかの呼び名で知られている。
日付の記載はないが、裏面が「造石山寺所」の「経所食物下帳」として再利用されており、そこに天平宝字六年(762)のものと認められる日付がある。とすれば、この金物注文はそれより前に書かれたもので、天平神護二年(766)の遷宮に向けた準備だったのではないかと考えられる。
このことから、遅くとも奈良時代の後半には遷宮が行われていたことがわかる。

持統天皇四年から“式年”遷宮が行われたことを積極的に示す史料は存在しないものの、否定できるだけの根拠もない。おそらくこの年から遷宮が始まり、おおよそ20年ごとに造営を重ねてきたものが、後に制度化されたのだろう。
そして何より驚かされるのは、「正倉院文書」や『儀式帳』から読み取れる正殿の様式が、現代の唯一神明造とほとんど変わらないということだ。
中世に一時途絶えた時期があったとはいえ、1300年前と同じお姿を今も拝めるのは、絶えることのない信仰の力があってこそだろうね。

さて、食べ歩きを満喫した僕たちは、いったん宿泊先のコンフォートホテルへ戻って休憩。
コンフォートライブラリーカフェで紅茶をもらい、部屋でしばし寛いだ。

ふと時計を見ると、日別朝夕大御饌祭の時間が近い。せっかくだからと再び外宮へ向かうことにした。
今回は南側から祭儀を見守った。以前じっくり拝見しているので、柵の隙間から人影が見えるだけでも、今どんな所作が行われているのか想像がつく。辛櫃を運ぶ出仕さんたちが待機している様子も見えた。

御饌殿へ向かう後ろ姿を見送りながら、満ち足りた気分になった。

その足で式年遷宮記念せんぐう館へ。
エントランスに入ると、正面に展示された御扉みとびらと錠前一式が目に飛び込んできた。昭和二十八年(1953)の式年遷宮で用いられた実物だという。
正殿の物だそうだが、つい先ほど宮掌さんが捧げ持った御饌殿の御鑰みかぎを目にしたばかりだったので、その重厚さや意匠を改めて実感できた。

その脇には図録の見本誌が置かれていた。令和四年(2022)開催の『特別展 生きる正倉院:伊勢神宮と正倉院が紡ぐもの』のものだ。
せんぐう館関連の図録があるか気になっていたので、これを見つけてホッとする。受付の方に尋ねると、販売しているのはこの一冊だけとのこと。常設展示の図録も欲しかったが、あるだけありがたい。購入を申し出ると、奥から外函付きの立派な装丁の本を持ってきてくれて、思わず「おお」と声が出た。

続いて「遷宮シアター」へ。ちょうど5分後に「日別朝夕大御饌祭」の映像上映が始まるとのことで、ソファに腰を下ろした。
伊勢神宮の公式YouTubeチャンネルでも関連動画は見られるが、こちらは構成も映像もまったく異なる内容で、見応えがあった。

第1・2展示室では、神宮や式年遷宮の基礎知識を紹介。僕にとっては既知の内容が多かったので、嫁のペースに合わせて軽く見て回った。
ただ、ここでは日別朝夕大御饌祭に使われる火鑚具ひきりぐや、実際の御神饌のサンプルも展示されていて、祭儀で見た光景と結びついて興味深かった。火を生む道具の形や、素朴ながら清らかな食のかたちに、神事の根源的な力を感じた。

第3・4展示室に進むと、ひときわ目を引くのが渡御御列模型。アマテラス大神が新宮へ遷られる際の行列を、1/6スケールで再現している。
『昭和四年度御遷宮絵巻』の「遷御」の場面にそっくりで、御列の先に外宮正殿の模型が配置されているのも粋な演出だ。そう感心していたところ、第5展示室にある原寸大模型の展示ガイドが始まるという館内放送が流れてきた。続きを後回しにして、そちらへ向かった。

外宮正殿原寸大模型の前で、職員さんによる解説がもうすぐ始まるところだった。
高欄の上に取り付けられた色鮮やかな居玉すえだまは並び方の順番すら謎に包まれていること、茅葺き屋根のために専用の萱地すげちで何年もかけてススキを集めることなど、興味深い話が次々と出てくる。
しかもその語り口がまるでアナウンサーのように淀みなく、聞き心地がよい。言葉の端々からは神宮への深い敬意が感じられ、宗教関係者ならではの真摯さも伝わってきた。
素晴らしい説明に、見学者の間から自然と拍手が起こる。いやぁ、本当に見事だった。

その後、展示室をさかのぼり、御装束神宝の調製工程を観賞。素材の状態から完成までの途方もない段階の多さに圧倒される。嫁は特に熱心に見入っていて、職人の技を食い入るように観ていた。
菅御笠すげのおんかさ羅紫御翳らのむらさきのおんさしは赤紫綾御蓋あかむらさきのあやのおんきぬがさといった大型の神宝は特に見応えがあった。御鏡みかがみの精緻な文様にも息をのむ。

改めて正殿模型を見上げると、「デカいなぁ」と子どものような感想が漏れる。
唯一神明造の建物は御稲御倉みしねのみくらなどでも見ることができるが、正殿は一般には非公開。だからこそ、実物大で忠実に再現されたこの模型には特別なリアリティがある。特に高欄の金銅製装飾金具の美しさが印象に残った。

第6展示室では、社殿造営の工程品や大工道具を通して、式年遷宮の祭儀の意味を学ぶ。

さらに第7展示室では撮影可能との案内があり、伊勢神宮関連の書籍や情報端末が並ぶ。大きな窓の向こうに広がる勾玉池の景色が印象的だった。

夜は『伊勢 三玄』でディナーを楽しみ、翌朝は『あそらの茶屋』で「御饌の朝かゆ」をいただく。日別朝夕大御饌祭を思い起こさせる味わいで、心もお腹も満たされた。食の話は、また別の記事で触れたい。

チェックアウト後、神宮徴古館へ。
朝から雨が降ったりやんだりの空模様で、傘を差したり畳んだりを繰り返すような一日だった。
片山東熊かたやまとうくま設計による建築で、同じく彼が手がけた迎賓館赤坂離宮と比べると、華やかさよりも威厳を感じさせる佇まいだ。

入館料を払うと、左右に展示室があるとの案内。まずは左手の部屋に入ると別館で、図録や関連書籍がズラリ。思わず興奮して「神宮神宝図録」を購入した。

もちろん展示も見どころが多い。
中でも御装束神宝を実際に拝見できたのが嬉しい。錦御衣にしきのみそ錦御襪にしきのおんしたうず紫絲御髻結むらさきのいとのおんもとゆいなど、身にまとう品々が並び、ため息が出るほどの美しさだった。
また、考察で参考にした「正倉院文書」のレプリカも展示されていて、思わず立ち止まって見入ってしまった。あのとき文字だけで追っていた資料が、こうして実物大で再現されているのは感慨深い。
気づけば1時間半が経っていた。

昼食を挟み、旅の最後は明和町の斎宮歴史博物館へ。昨年見損ねた「斎王群行」の映像展示が目当てだ。
特別展の開催に伴い、映像は展示ホールで上映されていた。
「斎王群行」は、斎王の儀礼と都から伊勢への旅を描いた壮麗な映像作品で、長暦二年(1038)九月、藤原資房ふじわらのすけふさが同行した群行の記録『春記しゅんき』をもとにしている。まるで時代劇のような迫力があり、歴史の息づかいを感じた。

もう一つの上映作品「斎宮との出会い:いつきのみやのあけぼの」は、発掘調査のドキュメンタリーと高校生の少女が古代の斎王と出会うアニメーションを組み合わせたもの。青白いキツネのような精霊が登場するのだが、正体が気になって後で調べてみた。
チラシにあった「白専女しろとうめ」という名を手がかりに探ると、鎌倉後期の神道家・度会行忠わたらいゆきただの著した『伊勢二所太神宮神名秘書いせにしょだいじんぐうじんみょうひしょ』に、
御倉神
 素戔嗚尊子宇賀之御魂神是也、一名専女也、亦号白狐也
とあり、御稲御倉の御祭神ウカノミタマ(別名・専女)が白狐と同一視されていると知る。つまり、神宮と縁ある御倉神がモチーフだったのだろう。
とはいえ、見た目はどう見てもシャワーズで、ついポケモンかと思ってしまった。

前回見逃した展示「斎王と神宮のまつり」も今回はじっくり鑑賞。
模型の上に映像を投影して斎王の儀式を再現するという仕掛けで、太玉串を捧げる所作などが立体的に理解できた。文字だけでは想像しにくかった世界が、鮮やかに立ち上がる。
見終わって室外に出ると、展示ホールは人であふれていた。僕らが見たときはほとんど貸し切り状態だったのに、タイミングって不思議だ。

思い返してみれば、今回の伊勢巡りは、ただの参拝ではなく、受け継がれる信仰のかたちを追う旅だった気がする。1300年の時を超えても変わらぬ社殿の姿、朗々と語られる職員さんの言葉の端々に、伊勢の神々と人との絆が確かに息づいていた。その静かな連なりを感じ取れたことこそ、何よりの収穫だったのかもしれないなぁ。

【参考文献】
坂本太郎「白鳳朱雀年号考」『日本古代史の基礎的研究 (下)』東京大学出版会,1964年
下出積與「8世紀代の伊勢神宮:遷宮の式年制の意味を中心として」『明治大学人文科学研究所紀要 (16)』明治大学人文科学研究所,1978年
福山敏男「神宮の建築とその歴史」『福山敏男著作集 (4)』中央公論美術出版,1984年

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