お伊勢参らば朝熊をかけよに込められた伊勢の祈り
2025年10月2日木曜日
19:55

今回が三度目の伊勢参宮だけど、まだ一度も「朝熊をかけ」たことがなかった。そこで今回は、ようやく山上まで足を延ばしてみることにしたよ。
金剛證寺の御本尊は
少し縁起の話になるが、永正八年(1511)の奥書を持つ『朝熊山縁起』は、弘法大師作とする『神鏡広博記』五巻内の『朝熊山秘』を引用する形で、寺の由緒を語る。
天長二年(824)、朝熊山に分け入った弘法大師(空海)が、
物語では、アマテラスが
つまり、異形の童子が聖なる守護神・雨宝童子へと変化する場面である。
この伝承から、虚空蔵菩薩信仰とアマテラスをお祀りする伊勢信仰が結び付いていることが読み取れる。ただしこの段階では、アマテラスと雨宝童子は別々の存在として描かれている。
やがて近世になると、両者は次第に同一視されるようになり、その結果、お伊勢参りの際に朝熊山にも詣でる風習が生まれたと考えられる。
もっとも、伊勢神宮と朝熊山の関係はそれよりずっと古く、平安末期にはすでに深い結び付きがあったらしい。
朝熊山から陶製の
承安三年〈癸巳〉八月十一日この銘から、当時すでに伊勢神宮の神官が当寺を信仰していたことがわかる。こうした古い信仰の素地があればこそ、「朝熊かけ」ものちに盛んになったんだろう。
伊勢大神宮権禰宜
正四位下荒木田神主時盛
ところで、その「お伊勢参らば朝熊をかけよ」という文句は、伊勢音頭の一節らしい。たとえば、
伊勢へ行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも、わしが国さは伊勢路が遠い、お伊勢恋しや参りたやや、
伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つなどの節がよく知られている。
「伊勢音頭」というからには、もっと決まった歌詞があるのかと思いきや、どうやらそう単純ではない。『伊勢参宮名所図会(寛政九年(1797))』の「古市」の挿絵には、次のような説明がある。
さてこの古市も間の山の内にて前条にいひしごとく、間の山の節をうたひしものなるに、物あはれなる節なる故、いつの頃よりかうつりて、川崎音頭流行して、これを伊勢音頭と称し、都鄙ともに要するに、お伊勢参りの流行とともに多くのバージョンが生まれ、「片参り」・「片参宮」など微妙に言い回しの異なる歌が各地に広まったということだ。いわば当時のCMソングのようなもので、誰が仕掛けたのかは分からないけど、見事な宣伝効果だったに違いない。華巷 のうたひ物とはなりたれども、この地の調は普通に越えたり。これ神都風土に協 ひ待るものか。尤もいにしへの文義は甚だ雅なり。今も年々新作を出だせり
同じような例は他にもある。たとえば、イザナギ・イザナミの二柱をお祀りする近江国の多賀社では、
お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござるという俗謡が伝わり、参宮帰りの旅人を東海道から少し外れた脇街道へと誘ったという。
信仰と旅と唄が結び付いた江戸の風景が、今もどこか生きている気がする。

お伊勢参りの車たちと別れ、伊勢志摩スカイラインへと進入する。料金所を抜けてどんどん標高が上がっていくと、ふと視界の向こうに伊勢湾が覗いた。
この日の天気予報は晴れのち曇りで、明日以降はさらに崩れる見込みとのこと。本当は神宮参拝のあとに朝熊山に登りたかったんだけど、計画を変更して先に行くことにしたのだ。せっかく見晴らしの良い所なんだから、天気が良いに越したことはないからね。
山頂の駐車場に到着し展望台に上がると、素晴らしい眺め!伊勢湾に浮かぶ志摩諸島や、対岸の渥美半島まで見渡せる。中でも神島がひときわ目を引いた。古来より神が宿ると伝わる島だけに、どこか神々しい。
予報通り空には雲が増えてきたけど、海側はまだ青空が広がっている。嫁の晴れ女ぶりに感謝するばかり。空気が澄んでいれば神島の向こうに富士山が見えるらしいけど、それでも十分に美しい景色だよ。



伊勢の古代史に思いを巡らせるとき、この沿海の存在は欠かせない。ただ景色が良いだけじゃなく、そういう意味でもぜひこの目で見ておきたかったんだ。


寺院の境内では、池は
池に架かる朱色の連珠橋と相まって、この風景が印象に残った。

少し慌ただしかったものの、改めて心を静めて、
時間があれば奥の院まで足を延ばしたかったけど、山を下りる頃にはすっかり夕方。そろそろホテルにチェックインして晩ご飯を食べたいところ。
駐車場に戻るとまだ参拝客がやって来ていて、時間に間に合うのかな、とつい気になってしまった。
宿泊先は前回と同じ。リブランドしてコンフォートホテルERA伊勢という名前になった。
唯一の難点は敷地内駐車場の狭さ。でも、16時前の時点では南側に停まっている車は一台もなくてラッキー。

昨年このお店のうどんを食べて、すっかりトリコになってしまったんだよね。一品料理もあるようなので、ちょい飲みして、伊勢うどんで締めたら最高だろうと思って。
ところが、メニューブックにはうどん・そばの単品や定食は載っているけど、一品料理が見当たらない。どうしたものかと思案していたら、嫁が店内奥の壁に貼られたメニューを見つけてくれた。
店員さんに確認したところ、書いてあるものなら用意できるとのことで、ホッとした。無事、アナゴとキスの天ぷらを肴に、地ビールで乾杯できた。
『まめや』さんの豆皿だなどとくだらないことを話しながら、嫁も僕も上機嫌で天ぷらを頬張った。衣はサクサク、中はふわふわ。そこに『伊勢角屋麦酒』のペールエールを合わせれば、もう言うことなし。

伊勢うどんは余所でも食べたけど、ここの柔らかさは群を抜いている。独特の柔らかさに箸が止まらない。美味しかったぁ!
追加注文にも快く応じてくださった人の温かさも、このお店の魅力だと思う。
こうして一日が終わった。朝熊山の眺めも、金剛證寺の静けさも、伊勢の信仰の深さを肌で感じる時間だった。やっぱり伊勢は、神さまと人、昔と今がゆるやかに溶け合っている場所なんだなぁ。
明日は外宮と内宮へ。どんな時間になるか、今から楽しみだね。
【参考文献】
久保田収「天照大神と雨宝童子 朝熊山の信仰を中心として」『皇学館論叢 (1-3)』皇学館大学人文学会,1968年
高橋健自「伊勢国朝熊山発掘の経筒」『考古学雑誌 (1-2)』日本考古学会,1910年
鳥羽重宏「天照大神の像容の変遷について 女体像・男体像から、雨宝童子像にいたる図像学」『皇学館大学神道研究所紀要 (13)』皇学館大学神道研究所,1997年
久保田収「天照大神と雨宝童子 朝熊山の信仰を中心として」『皇学館論叢 (1-3)』皇学館大学人文学会,1968年
高橋健自「伊勢国朝熊山発掘の経筒」『考古学雑誌 (1-2)』日本考古学会,1910年
鳥羽重宏「天照大神の像容の変遷について 女体像・男体像から、雨宝童子像にいたる図像学」『皇学館大学神道研究所紀要 (13)』皇学館大学神道研究所,1997年