明石の名水 亀の水は赤石郡の廝御井なのか
2017年2月25日土曜日
16:07
播磨国風土記に記されている赤石郡の
怪しいものだが、現地で確かめてみれば、何か感じるものがあるかも知れない。
岩屋神社をあとにして、これからどうしよう。明石市立天文科学館でプラネタリウムなんて良いかな。と思ったら館内設備工事のため休館してると、公式サイトに載ってた。危うく行ってしまうとこだった。
それなら、せっかく近くまで来たので、ここはひとつ、亀の水を見に行こう。
そのためにまず
柿本神社の御祭神は
社殿にてその人丸さんにご挨拶。
境内社は天神社と三宝荒神社。
それから五社稲荷神社。
これは亀の碑。亀の水に関係がありそうだから期待して見たんだけど、ガチの漢文……よ、読めない。
それにしても石碑の台が亀って初めて見た。調べてみたら、厳密には亀ではなく
境内には他に歌碑などがあり、隅のほうに隠れてたものなんかは嫁が目ざとく見つけた。僕に連れ回されてるうちに、神社内探索にすっかり慣れたみたい。ちょっと嬉しい。
続いて目的の湧き水を確認するため、山門を出て西参道を下った。分かれ道で道標に気づいたのも嫁。有り難い。
西鳥居を出たところに、亀の水はあった。地元の方と思しきオジサンが、丁度水を汲みに来ていた。自転車には何本もの大きなペットボトルが積んである。仕込みかと思うくらいばっちりなタイミングで、実際に使われてるのを目撃。地域の人々には欠かせない水場なんだなぁ。
鳥居の脇に綺麗に咲いた梅の花を愛でながら、彼が立ち去るのを待った。良い季節だ。
これが亀の水。石の亀の口からこんこんと水が流れ続けている。物は試し、手で受けて口に含んでみた。飲用には煮沸が必要だが、味見程度なら大丈夫だろう。思ったよりぬるかったけど、非常に軟らかく、名水というのも頷ける。
ただ、播磨三名水の1つとされてるんだけど、他の2つがいくら調べても判らない。これが意味することは……うーん。
亀の水は赤石郡の廝御井なのか。結論を出そう。ズバリ違うと考える。
僕たちが通ってきた参道を造営する際に、手水舎として設けられたのが始まりといい、それが江戸時代。景行天皇は古墳時代、播磨国風土記の成立でも奈良時代と、千年近く隔たりがある。さらに、ここから南東へわずか1キロ、大蔵中町遺跡で見つかった井戸が、明石
それから、これは理屈ではないけど、現地に立ってみて、イメージが湧かないというか、なんか違うな~って。もうこれはただの感覚、僕の直感でしかないケド。そうして肌で感じたことも否定的だった。
自分の中で納得できたので、訪れた甲斐はあった。結果的に(手前勝手な)考察にも前進がみられた。
それに、こんな場所があるんだっていう、興味深い文化に触れることができた。この狭い国にはまだまだ知らないことがたくさんある。面白い。