播州松巡り 別府住吉神社の手枕の松

2017年2月19日日曜日 17:36

南毘都麻ナビツマ伝説における景行天皇の足跡を、さらに辿っていこう。
播磨国風土記に、
賀古松原かこのまつばらに至った景行天皇は、(ナビツマ嶋へ向かう途中)入江の魚を捕って、御坏みつきに盛り捧げ物とした。それで御坏江みつきえと名付けた。
とある。
御坏江は比定できていないものの、兵庫県加古川市別府町べふちょう付近との説がある。ここに鎮座する別府べふ住吉神社は、播州松巡りの東端であり、『賀古松原』を語るうえでも外せないと思った。


阿閇神社から歩いて20分、別府住吉神社に到着。立派な石造りの鳥居が目を引く。
境内に由緒書が見当たらず、縁起等は不明。なんてこった。


ともあれ拝殿にてお参りしよう。社名から住吉三神を祀ってるのはまず間違いない。兵庫県神社庁によれば、祭神はソコツツノオ,ナカツツノオ,ウワツツノオ,神功皇后とのこと。


神社に行ったら、本殿を確認するのが習慣になってきてる。銅葺の流造。


メインの前に境内の紹介を済ませるとする。
摂社は恵美須神社。


隅っこには祭神不明の小さな社。隙間から御神体の鏡が見えた。初めて目にした。


南の端には琴平宮遥拝所。社を設けるのと遥拝所を置く、その違いは何なんだろう。


さて、拝殿に向かって左手にあるのが、お目当ての手枕の松たまくらのまつ。松が横に傾き、腕枕をしているように見えることから名付けられたとか。初代は枯れてしまい、現在は3代目らしい。
石垣を巡らし、丁重に扱われてる。
その名のとおり、かなり横に倒れて生えてて、円形状に広がる枝ぶりが見事だ。


下から覗き込むとその傾斜がより判る。低い枝といい、自然にこう生え進むとは思えない。何か育て方でもあるんだろうか。


本殿の南側にも、同じように傾いた松が。4代目育成中なのかな。


そもそも手枕の松が播州松巡りなるものの1箇所だと知ったとき、もしや!?と引っかかった。他の場所がどこかというと、加古の浜松,尾上の松,高砂の松,曽根の松、とほぼ景行天皇の妻問い行程と符合するじゃないか!つまり、播州松巡りは『賀古松原』を巡ることに他ならない!これに気づいたときは興奮したね。
ここ加古川市の沿岸だけでなく播磨町から高砂市にかけた広大な範囲が、昔から松の景勝地として知れ渡ってた。それが風土記に記された『賀古松原』であり、現代における播州松巡りなんだなぁ。


木の根元に落ちた大きな松ぼっくり。そんな何気ない光景にさえ、心動かされる。かつての面影が残ってないのは理解してるけど、それでも気分が良い。

まさかこんな形で世界が広がるとは思わなかった。古代ロマンを追っていたつもりが、土地の歴史を紐解いていくことになるとは。
歴史を知れば旅行に深みが出る。どんな目的であれ、これを教訓にしていこう。

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