息栖神社と忍潮井

2023年9月15日金曜日 23:51

息栖神社いきすじんじゃは茨城県神栖市にある神社。久那斗神クナドノカミを主祭神とし、相殿にアメノトリフネ・住吉三神をお祀りする。
鹿島神宮・香取神宮とともに東国三社に数えられる古社で、旅の締めくくりにお参りしてきたよ。

『鹿島宮社例伝記』に、
本社より三十里南に息栖宮がある。これを遥宮という。
とあり、『香取文書』に収載された「下総国香取社造進注文事」にも、
於岐栖社一宇
とみえるように、古来より鹿島神宮・香取神宮との関係は深い。現在は鹿島神宮の摂社という位置付けだ。地理的にも、三社は互いに10kmほどの距離と近い。
『日本書紀』神代巻第九段の一書(第二)に、
オオナムチは国譲りに従うと言い、フツヌシとタケミカヅチの二神に、岐神フナトノカミを薦めて、「この者が私に代わってお仕え申し上げるでしょう。私は今ここから退去します」と言って永久に隠れた。だから、フツヌシは岐神を先導役として、方々を巡り歩き平定した。
とあるように、フナト神は、葦原の中つ国平定においてタケミカヅチ・フツヌシの道先案内を務めた神。クナドはフナト・フナドから転じたと考えられ、鹿島・香取とのゆかりの淵源は、神話にあるということだろうね。
フナト神について、同巻第五段の一書(第二)ではイザナミとの別れに際しイザナギが、
「ここから出ないでくれ」と言って杖を投げた。これを岐神フナトノカミという。
とある。『古事記』では黄泉の国から帰ったイザナギが禊ぎをしようと、投げ捨てた杖から成った神が衝立船戸神ツキタツフナドノカミ。邪霊の侵入を防ぎ、旅人を守護する神といわれ、さえの神、道祖神とも称される。

神社については、『日本三代実録』仁和元年(885)三月十日条に、
授常陸国正六位上於岐都説神従五位下
とあり、この「於岐都説神」が息栖神社とされる。「於岐都説」は「沖都洲」であり「」は格助詞なので、語義としては「沖洲」だろう。「息長帯比売命」の例にあるように「息」は「おき」とも読む。「息栖」がいつ頃から「いきす」と読まれるようになった(恐らくは誤読)かは不明だけど、元は「おきす」だったはず。
鎌倉中期の私撰和歌集『新和歌集(藤原為氏ふじわらのためうじ)』に藤原時朝ときともの、
かしまかた おきすのもりの ほとときす ふねをとめてそ はつねききつる
(鹿島潟 沖洲の森の 郭公 船をとめてぞ 初音ききつる)
という歌もある。

江戸時代に始まった利根川東遷事業により舟運が整備され、下利根地方を遊覧できるようになった。そこへお伊勢参りの大流行に乗って、「お伊勢参りの禊ぎの三社参り」や「下三宮巡り」などと呼ばれる東国三社詣も、一大ブームを巻き起こしたという。
しかし現代人の感覚でいえば、鹿島神宮・香取神宮に比べて息栖神社は、規模にも知名度にも随分差があるように思えてならない。流行の仕掛人……例えば御師の喧伝が、功を奏したんじゃないのかなと想像する。

息栖神社には忍潮井おしおいという不思議な井戸がある。
こちらも『鹿島宮社例伝記』に、
息栖筒井というのは、入海の渚鳥居辺りにある石の瓶で、潮水の中から常に淡水が出ている。
とある。
江戸後期から明治時代にかけて編纂・訂正・増補された『新編常陸国誌しんぺんひたちこくし』には、
息栖筒井。息洲神社の海中に女瓶・男瓶という二つの奇石がある。男瓶は銚子の形、女瓶は土器に似ている。銚子の中は素水で潮の味がしない。これを忍潮井の水という。
などともう少し詳しい。

ここで、鹿島神と香取神について整理した際、信憑性に疑問があって敢えて取り上げなかった伝承に触れておきたい。
『鹿島宮社例伝記』に、
鹿島とは、御社の御名でもなく、海辺の田の中に幾程もない小島がある。これに付いた名で郡の名にも神御名にも表れている。この島に大きな壺がある。どういう理由で、鹿島と言い伝えられているのだろうか。傍らに甕山という山がある。ここに小島の壺があるだろう。
と、「鹿島」の名の由来としてそういう名前の小島があったこと、その島に大きな壺があり、近くの甕山にも壺があったらしいことが、読み取れる。
鹿島神宮宮司の東実とうみのるの著書『鹿島神宮(昭和四三年(1968))』でも、かつての鹿島神宮の津東西社のあった傍らの田の中に甕山みかやまという小塚があったことに言及しており、『神日本』第三巻第六号を引用して、
古き神人の伝に、常陸国鹿島の海底に一つの大甕があり、その上を船で通れば下に鮮やかに見えると、古老が伝えて言う。この大甕は太古は豊前にあったのを神武天皇が大和に移した。また景行天皇が当国に祭られる時、この甕も移された。この大甕は鹿島明神の御祖先を祭った壺で、鹿島第一の神宝として、代々これを甕速日という。
とある。しかし発掘の結果、大甕は出てこなかったという。
鹿島神の元来の神格は甕神・水神ではなかったかと先の記事で述べたわけだけど、もし海中の大甕が神宝としてお祀りされていたのだとしたら、甕山もその甕に由来するのだとしたら、その考えを補強してくれるものだよね。とはいえ、孫引きせざるを得なかったし、甕速日という如何にもな名前も割り引いて考えたいところ。

息栖神社の忍潮井も、海中に瓶があるという有り様が、鹿島の大甕に通ずるところがあるかもしれない。鹿島神宮と香取神宮を参拝したい気持ちが強くあって、せっかくだから東国三社詣をしておくかくらいだったのが、是非とも行きたいに変わったのは、この忍潮井の存在を知ったからといっても過言ではないんだよ。直接的な関係を示すものが見当たらないんだけど、ロマンだけはあるなぁって。


さてさて、香取神宮から小見川大橋で利根川を渡った。利根川は大きいなぁ。それから息栖大橋で常陸利根川も渡り、息栖神社駐車場へ。
東国三社詣をする人が近年増えているそうで、この日もそこそこ車が多かった。


二の鳥居と神門をくぐった右手に境内社。四柱合祀の中に鹿島神社、五柱合祀の中に香取神社が含まれていて、ニヤリとしてしまう。


息栖ゆかりの歌碑として、先述の藤原時朝の和歌が刻まれていた。


拝殿にて拝礼。境内は小ぢんまりしている。


横に回り込むと、鉄筋コンクリート造だというのが良く判る。


続いて、駐車場を通り過ぎて一の鳥居のほうへ向かった。


これが忍潮井か。南側が女瓶めがめ、北側が男瓶おがめらしい。男瓶のそばには小さな祠もあった。
忍潮井と鳥居は元々川の中にあったが、昭和四八年(1973)の河川改修に伴い、この船溜まりのほとりに移されたとのこと。
だんだん曇ってきて見えづらいけど、瓶の縁がうっすら確認できた。場所が変わったのはちょっと残念な気もするけど、今も信仰を集めているんだろうね。神秘だなぁ。

スケジュールより前倒しして、すべての予定をこなせた。とはいえ道路状況が読めないので、早めに空港に向かうに越したことはない。
潮来ICから東関東道に乗ろうとしたら、料金所手前で渋滞していた。いきなり出ばなをくじかれた恰好。東関東道に乗ってからは流れていた。そのまま首都高速湾岸線へ。ところが、湾岸線に入ると渋滞に次ぐ渋滞。予見していた通りになった。天候は下り坂で、雨が降ったりやんだり。時折稲光も。そんななか、自分が運転している車窓から、ディズニーランドホテルが見えたのは嬉しかったね。海底トンネルである東京港トンネルを通るのも楽しい。しかし嫁がお手洗いに行きたくなってからは、悠長に構えていられなくなった。ノロノロとしか前に進めないものは、自分にはどうしようもないので、嫁に我慢を強いることになった。東海JCTで高速1号羽田線に入り、羽田ICで下りたら、最寄りのガソスタへ。そこでトイレを借りられて間に合った。満タン給油もできて、どうにか無事にトヨタレンタカー羽田空港店に到着。空港までは送ってもらえた。
羽田空港に着いたら夕食をと考えていたんだけど、早くに閉まるお店が案外多くて、選択の幅が狭い。また、雷の影響で欠航や遅延が相次いでいるようで、足止めを食らった人がその少ない選択肢に向かうせいか、どこも行列。是が非でもというわけではなかったので、食事は諦めた。


じゃあ出発までカードラウンジでのんびり待つか。ということでセキュリティチェックを通過して、『POWER LOUNGE NORTH』へ。ジュースを飲みながら、旅の写真を見返すなどして過ごした。
出発25分前にラウンジを出て搭乗ゲートへ行ったところ、まだまだ混乱が続いているようす。不安や狼狽の色を浮かべた人たちが、どこかへ状況を連絡するなどしていた。僕らの便はと確かめたら、羽田20時5分発が20時50分発に変わっている。搭乗機が遅れている影響だそうだ。悪天候でここまで遅延したの初めてだよ。到着予定の空港の門限を過ぎた場合、羽田へ引き返すことも最悪あり得るという。後ろに予定は無いから遅くなるのは構わないけど、帰らせてほしいなぁ。
異様な空気で混雑する搭乗口を離れ、再びラウンジに戻って待つことにした。これは楽だ。まさかいきなりこんなに活用することになろうとはね。
幸い搭乗便は欠航することなくフライトし、神戸空港には22時10分頃着。帰宅する頃には日付が変わりそうな時間になりはしたものの、帰ってこられて良かったよ。

ディズニーリゾートで4年前にやり損ねたことを満喫し、ずっと望んでいた東国三社詣も叶った。東国三社は嫁も興味深いと言ってくれた。ちょこちょこハプニングがあったけど、大満足の千葉・茨城旅行になったよ!

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