市川に伝わる大汝命と小比古尼命の神話
2022年10月23日日曜日
10:37
播磨国風土記、ひいては日本神話で屈指の笑い話・埴岡神話のくだりに、
オオナムチが我慢できなくなってウ○チをした時に、笹がそのウン○を弾き上げて着物に当たった。それで、とある。この「波自加」の遺称地が、兵庫県神崎郡市川町屋形の小字の波自加 の村と名付けた。
また、埴岡神話の主人公オオナムチ(大汝命)・スクナヒコナ(小比古尼命)の二柱にまつわる言い伝えが、同町の猿田彦神社に残っている。風土記に無い、土地独自の伝承だ。
これらを確かめるべく、市川町に行ってみたよ。
あまり遠くへは行けないけど、せっかく晴れているのだからおでかけしたい。最近こればっかりな気がするけど、今回は中播磨地方に行ってみることに。気候の良い時期でどこも人出が多そうだから、少しだけ早めに出発。まず福崎町を目指して播但道を北上していくと、思った以上に路が空いていた。それなら先に市川町まで行ってしまおう。
初鹿野の地名は、バス停留所の名前にもなっている。バスの来ない間隙を縫って、ほんの数分だけ車を停めて確かめた。こんな形で確認できるのは嬉しい。
向かいには初鹿野山。市川の流れを挟んだ、神河町の埴岡の大岩からも見えるはず。
――僕を風土記の、日本神話の深みにいざなってくれた、埴岡神話のもうひとつの舞台に、ようやく立てた。滞在時間とは関係なく、心がとても充実していた。
次の目的地は、地理的にはほぼ真西にあるものの、川を渡るために遠回り。その途上、もうすぐ到着というところで、一瞬目を疑うような光景が。
古代の出雲大社の巨大神殿を彷彿させるような高層建築物が、天動寺というお寺の境内にそびえ立っている!さすがに高さは16丈(約48m)に及ばないし、妻入の大社造とは違い平入の神明造ではあるけど、こんなものがこんなところに建っているとは知らなかったから、ビックリしたのなんの。どんな理由があって建てられたのか、お聞きしてみたい。でも、いきなりお伺いするのは失礼だと思うし、本来の目的に戻ることにする。
寺院の隣に鎮座する猿田彦神社。
神域に入るには、野生動物の防止扉を開ける必要がある。神社に限らずたまに見かける物だから、戸惑いはなかった。入ったら一旦閉めておく。
その先の、社叢に囲まれた空間がとても神秘的!この雰囲気、大好き。良いお社に参ることができたなぁ。
石段をゆっくり上り、拝殿にて拝礼。拝殿にはたくさんの絵馬が掲げられており、地域の崇敬を集める神社であることを窺わせる。
神さまにご挨拶を済ませたら、磐座を探す。玉垣内には案内が無く、「宝篋印塔」の道標にすがって山道を進んでみた。
すると、あった、
岩の形が確かに、足を投げ出して腰掛けるのに丁度良さそう。そのお姿が目に浮かぶようだ。
なお、せり出した岩の下に安置されている不動明王像の、台座になっている四角い石が、南北朝時代の宝篋印塔の基礎の部分を利用したものとのこと。
市川町は、播磨国風土記の記述の少ない地域ではあるけど、意外な収穫を得られた。家で文献を読むのもいいけど、やっぱり現地に行ってみるもんだね。